見出し画像

662東大の母

所長:わが子全員、3人だけ4人だかすべて東大理科Ⅲ類(医学部進学過程)に入れた母親の体験談がベストセラーになっているようだ。女性雑誌でも東大進学者の母へのインタビュー記事は読者を掴みやすい。世の母親の東大ブランドに衰えはないのだろうか。
香澄:所長の娘さんはフリーライター。東大母への取材に行っているそうじゃないですか。嘆息していましたよ。すごいのは子どもの方。「ゲームは1日30分だけ」とルール化したら、それを自発的に守る。それでいてゲーム攻略は、勉強そっちのけでゲームばかりしている友達よりも早い。それに引き換え、うちの子は…と。
所長:情報源がばれているなら仕方がない。孫が食事中もゲーム機を離さない。叱ると「ごめんなさい」と電源を切るが、翌日はまた同じ。自己管理できないのかねえ。
輝明:それが普通の子どもでしょう。ネコも杓子も東大を目指すという風潮がどうかと思いますね。塾通いの子どもを観察していると、どういう子が東大に受かるか分かります。例えば算数の図形の面積を求める問題で、いろいろ補助線を引いて試行錯誤している子はよい点が取れません。正解にたどり着くのに時間がかかりすぎるのです。塾の講師は問題のパターンと解法をセットで覚えるように指導します。
 「この公式は正しいのか」と検証を始めた子どもには、「そういうことは東大に進んだ後でじっくり取り組みなさい」と注意するのです。
香澄:甥っ子の小学生が「キャベツはナノハナ科と習ったけれど全然似ていない。お姉さん、なんで?」と聞くのです。私が答えられないと、彼はネットで調べました。キャベツを収穫せずにおくと、その中心からトウが伸びてきて、そこにナノハナに似た黄色の花が咲き、タネができるのだそうです。それを見ればたしかにナノハナ科。でも、その前にいったん丸いキャベツの形になるのはなぜでしょう。
  塾の講師に聞いたのだそうです。答えは「そういう問題は入試では出ません」。
輝明:テレビの「東大王」という番組を見ます。一概に言えば、一般人は耳目に触れたとたんに忘れてしまうようなことをどれだけ記憶しているか。記号のピースから漢字を組み立てるような頓智力。四則演算を瞬時にこなす計算力などで、要するに機転と集中。でもそれらはコンピュータ―の方がはるかに強い分野。今の受験システムでは東大進学者の将来は安閑とは言えない。
香澄:教育の元締めは文部科学省。その人事発令を見て驚いた。幹部の学歴を読み上げるわね。事務次官=立命館大、文部科学審議官=神戸大と早大、官房長=早大、総合教育政策局長=早大、初等中等教育局長=東大、高等教育局長=早大、科学技術・学術政策局長=北大、研究振興局長=東大、研究開発局長=東大。局長以上10人のうち東大は3人だけ。一時的、特例的現象なのかどうか。
輝明:中央省庁の局長に東大法学部出身者以外が就任すること自体が珍しかった。その傾向が崩れているのは事実らしい。東大卒業生の業務能力が昔ほど秀でてはいないとの見方もあれば、東大卒業生が国家公務員になりたがらなくなっただけとの見方もある。
香澄:その分析は大事よね。高校以下の学校や進学塾は、その子が何をしたいか、何に適性があるかではなく、東大に何人進学させるかで人気度を競っている。学問の基本は、誰もが気付かないことに疑問を持ち、その原因を探求しようとすること。言葉は悪いかもしれないけれど、一般人とは一風変わっていることだと思うわ。『発達障害児は天才である』という趣旨の本を読んだけれど、なにかの危機の際に思わぬ能力が役に立つ。その能力は生涯、目を出す機会に遭遇しないかもしれない。そうした異才を社会が包容する。私はそれが民主主義社会の強みだと思うのよ。
輝明:エイズ事件の頃に血液製剤を勉強したことがある。普通は丸い赤血球が三日月形をした人がいて、遺伝で伝えられる。形のせいで酸素の運搬量が少なく、毛細血管を通過しにくくてときどき猛烈に痛む。だがマラリアの猖獗時にこの赤血球の持ち主の生存率が高かった。
香澄:新型コロナでも、何度も感染する人がいる反面、クラスター集団の中にいても感染しない人もいる。なぜかは解明されていないけれど、体質などに原因があるのは明らか。これは脳の知能分野においても同じだと思える。必要性が明らかになっている能力だけに注目するのは画一社会。政治的には専制主義に通じる。
 「無用の用」にどれだけ寛容であるか。それが重要。まじめに、ひたむきに生きる人であれば、それで価値がある。要領、処世術、目先の損得に秀でた人ばかりがもてはやされる社会は、長い目で発展性に乏しいと思う。
輝明:そうは言っても、世人は即時的な効果を要求する。長い目で考えるべきとは思っても、「今だけ、カネだけ、自分だけ」に走る。「東大にさえ入れば」はその類型思考だ。
香澄:人としての価値はだれもが平等。迷惑かけなければ何をするのも自由。自分にとっても幸福観念はみんな違っていてかまわない。天動説を信じようが、神はいないと主張しようが、それを理由に迫害されることはない。憲法が保障する人権とはそんなもの。考えることがバラバラで大丈夫か心配するかもしれないが、それこそが間違い。多様な国民がいることがほんとうの強み。
輝明:みんな違っていていいのだ。あなたの違いを誇りにしなさい。そんな歌詞の唄が流行ったのは民主主義が地に着いてきたからと考えたいね。
香澄:でも、甥っ子には東大目指してほしい。矛盾しているけれど、矛盾も民主主義の要素として認められるわよね。

いいなと思ったら応援しよう!