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392尖閣に島名標柱

尖閣諸島海域での中国海警船の遊弋は常態化。先般のオリンピック期間中の初期にしばらく鳴りを潜めていたが、日本政府の対抗措置がないのをいいことに、すぐに元に戻った。領海にも入り込み、日本漁船を追い回し、日本の巡視船に対して出て行けと暴言。地上げを請け負ったヤクザでもここまではするまい。
尖閣諸島はれっきとした日本領土。今は無人島だが、これは日本政府が日本人の上陸を認めないからで、過去にはここに住まって事業をする人がいた。
地籍的には沖縄県石垣市に属す。主な5島の名称は、写真にあるように魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島。

市役所はこれらの島に行政標柱を建てることにした。そのことを8月23日に報道陣に公開した。
石垣市の中山市長は「尖閣諸島周辺海域では中国による領海侵犯など厳しい状況が続いている」として、このような状況を「広く正しく知っていただくことが重要だ」と挨拶したと報じられている。「しっかりと石垣市の行政区域であるということと、字名変更にいたった経緯を末代までしっかりと伝えていけるものだと思います」とも語っている。
標柱には石垣島産の御影石が使われ、「八重山尖閣諸島魚釣島」や「沖縄県石垣市字登野城尖閣二三九二番地」などと記されている。製作費は総額約200万円で、ふるさと納税による寄付でまかなった。

問題はこの後だ。いかにして島に持ち込み、建立するか。漁船をチャーターするか、巡視船に依頼するなど方法は簡単。障壁はそこではなく、日本政府が島への上陸を認めないことなのだ。市長は政府からの上陸許可が出るのを待つとしている。つまり標柱建立時期を定められない。市長がいらいらで健康を害さないよう祈る。
制作費用200万円。ふるさと納税で賄ったそうだが、寄付者の気持ちが宙に浮く可能性がある。ボクも経済的に余裕があった年に3度寄付をした。見返りに焼酎の小瓶5本セットが届いた。知人と飲む際に提供すると、「島の人の気持ちがこもっておいしい」と好評だ。寄付する際に使途希望を書く欄があり、ボクは毎回「尖閣を守り抜くために使って欲しい」と書いた。同じ気持ちの国民が多数いたということだろう。
それにしても管轄自治体が地籍を示す標柱を建てることを妨害する政府とはどういう構図なのか。
横浜の市長選で自ら応援する候補が敗退したことで菅総理の進退が極まったなどと無責任に評論する者が多い。これはあんまりだと思う。ボクが思うに、菅さんは「理念や決断力がない」と誤解されている。それを払しょくすればよいのだ。
石垣市長からの「標柱建立のための上陸申請」を認める。そして返す刀で「重要なことだからみんなでやろう」と宣言し、地方自治担当の総務大臣と上級自治体である沖縄県知事に同行を命令ないし強く指示する。
次にその時期だ。「善は急げ」の鉄を貫き、即時実行。ちょうど東京パラリンピックの開催中だ。オリンピックほどではないが、世界の視線が日本に集まっている。標柱運搬船を中国海警船が進路妨害し、体当たりでもしてくればしめたもので、中国を批判する国際世論の大波が起きる。「正義」と「実行」という法治社会の鉄則は、民主主義国の外交に共通するはず。
それが「領土を守り抜く」という決断力である。

尖閣問題を解決する機会は少なくとも二度あったと石平(せきへい)さんが怒って書いている(「話の肖像画23」『産経新聞』2021.8.24)。
一度目は1972年の日中国交正常化交渉。正常化を急いでいたのは中国側。国際社会で孤立していたからだ。尖閣への領土主張を唐突に始めたものの見通しはなかった。国交正常化に際して、領土は最重要課題の一つ。中国の周恩来首相は尖閣については「今は話したくない」と言った。すかさず「ならば国交正常化は先送り」として席を蹴ればよかった。しかるに当時の田中角栄総理はみすみすその機会を自ら逃した。領土よりも目先の何かに釣られたのだろう。
二度目は鄧小平が経済開放のための資金を求めていた時期。中国は日本と平和友好条約を結び、日本からの政府開発援助資金と先端技術供与を求めていた。ところが日本政府は鄧小平の「尖閣棚上げ論」を認めてしまう。
中国は目指すものを代償なしにすべて手に入れ、日本は何も得なかった。これでは交渉の名前にも値しない。そして棚上げのはずの尖閣を、周囲海域の資源ともどもただ取りされようとしている。
自由と民主主義の日本を信じて帰化してきた石平さんならずとも、心ある国民すべてが切歯扼腕していることだ。

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