大学教育をほんとうに変えたいならば・・・
下に紹介するのは、大学入試が本来のあり方を見失っていることを批判する新聞社説である。書かれていることはそれぞれまっとう。言い古されていることばかりだが、一向に改善しないどころか、各大学の生き残りをかけて悪化するばかりとの憤りが感じられる。
入試の仕方の改革で済むよう問題ではないというのが素直な気もち。
記事の中に、京都大学が後期試験を廃止して前期に集中したことを批判する部分があるが、当事者の気持ちを知って書いているのかどうか。
京大大学の入試が後期中心になったと仮定しよう。受験生は前期で東京大学を受験する。落ちた者が後期で京都大学を受験する。両校の間に明確な勝ち組、負け組のレッテルができる。それには我慢がばならない。これが京都大学が前期にこだわった理由にほかならない。当時の学長もそう言っていた。
問題は、両校どちらでもどうぞと言われたら大部分が東京大学を選択することなのだ。東大を出たからといってみんながみんな大人物になるわけではないのに、なぜ東京大学にこだわるのか。これが日本の大学問題の本質。
ボクが思うのは、入学時の学力は審査するが、卒業時の学力(つまり大学での学習到達度)をだれも判定しないこと。高校まではその学校で卒業時能力判定しなくても、進学先の入試で客観的判定がされているとの暗黙合意があった。
大学入試の共通試験があるのであれば、卒業時の共通試験をやるべきではないか。理学部とか、経済学部とか、学問分野別に全国一斉におこなうことだ。そうすれば各大学は入学後にもしかり勉強する学生を選抜することになり、教授も教育のし甲斐が出ることになる。逆に東京大学は焦ることになろう。(高校入試では断トツだった開成や灘の高校生で東京大学に行けない者がいて、その受験におちた公立高校進学者で東京大学に受かる者がいる。この点に着目すれば、開成や灘の教育は最善ではないと言えることになる。)
大学共通卒業時統一試験の成績が客観的なものであれば、新入社員を受けいれる企業の採用担当者も、大学名にこだわらずに実力を判断して採用できる。ウイン・ウインではあろう。
さらに在学中の奨学金についても、入学時と卒業時の統一試験の成績変化度により、得点上昇率上位10%は返済免除。下落率が大きい10%は返済利息を倍にする。こうしておけば、東京大学に入ったからと安閑とはしていられなくなる。
ここでさらに思うのだが、授業料を国が負担するなんてナンセンスで国費の無駄である。大学教育と就職後の能力が一致するならば、企業は採用に本気度が増す。よい学生を採用する条件として、見込んだ学生の奨学金返済を肩代わり申し出することになろう。
学費が大きい医学部などではもっと有効だ。診療で身を立てる医師の給料の元財源は国民医療費。すなわち国皆保険から支払われる診療報酬だ。総財源の一部をリザーブしておき(1%でも数千憶円になる)、ていねい正確な健康保険診療の口コミ医師について、学生時代に納付した授業料をご褒美として給与する。
京都新聞社説の最期部分は次のようになっている。
「今後の大学には科学技術の発展だけでなく、人口減少への対応や国際連帯の必要といった社会ニーズの変化を的確にとらえ、その課題に挑む多彩な人材の育成こそ急務だ。私立も含めた各大学と文部科学省には、旧来の殻を破る入試改革を望む。」
高等教育を受ける者には社会のエリートしての責務があるはずだ。国(文科省)が運営費補助をするのは、経済メカニズムでは研究や教育が進みにくい分野に限定すべきである。そうすれば国立大学として残す必要がある分野は数少なくなり、それ以外は県立移管するか、民営化させればよい。
護送船団方式を維持する余裕も必要もないと思われる。
社説:「一発勝負」の入試 大学の多様性広げる改革を 京都新聞社説 2024.2.26
大学入試シーズンのまっただ中、京都、滋賀でも多くの受験生の姿が目に付く。
近年、国公立大の入試で学力試験を基本にした「一発勝負」の傾向が強まっていることに、疑問を禁じ得ない。社会の多様性が求められる時代にあって、最高学府の選抜には受験生の能力を多角的に評価する道を広げるよう求めたい。
前期と後期、一部公立大の中期を加えた三つの日程で実施されている国公立大の一般入試2次試験だが、形骸化が著しい。
1989年に導入された入試の「分離分割方式」は、前・中・後期でそれぞれ1校ずつ出願できる。後期は小論文や面接など多様な観点からの選抜が多いが、前期で合格して入学手続きを完了すると、中・後期の合格対象から除外される。
成績優秀者をいち早く確保したいという各大学の思惑から、前期の定員を増やす流れが加速してきた。国公立の総合大学で、後期を全廃したのは2007年度の京都大が最初だ。東京大や大阪大も前期に一本化し、24年度入試では前期と後期の定員配分は5対1になっている。
受験生に負担の大きい一発勝負を避けるため、分離分割方式が掲げた「受験機会の複数化」「評価尺度の多元化」といった理念は、どこにいったのか。
こうした状況から一律の学力試験でなく、調査書や取得資格、論文、面接など多様な評価手法を用いた「総合型選抜」や「学校推薦型選抜」の存在感が高まっている。
「それでは基礎学力が保証されにくい」との指摘は古くからあるが、各大学の独自試験や大学入学共通テストを組み合わせることで、一定の学力を担保できるとの認識が主流になっている。手間がかかるのが難とされるが、新型コロナウイルス禍では試験日程の柔軟性やオンライン面接の活用などにより、「一般入試より実施しやすかった」との声も多かったようだ。
総合型と学校推薦型を合わせた入学定員が全体に占める割合は年々上昇しており、24年度は国立大で20%になった。国立大学協会は30%を目標に掲げる。各大学で蓄積したノウハウをいっそう共有してほしい。
理工系学部における「女子枠」導入の動きも注目される。
東京工業大は24年度入試で58人の枠を設け、翌年度には143人に拡大する。現在は13%の女子学生比率を20%以上に高めることを見込む。制度導入は学びや研究の活性化のみならず、社会発信の狙いもあるという。広がりを期待したい。
今後の大学には科学技術の発展だけでなく、人口減少への対応や国際連帯の必要といった社会ニーズの変化を的確にとらえ、その課題に挑む多彩な人材の育成こそ急務だ。私立も含めた各大学と文部科学省には、旧来の殻を破る入試改革を望む。