【僕がBVEATSを選んだ理由】

僕は今、BVEATSというパーソナルジムでENERGISTをしている。

ENERGISTとはトレーニングでの実感や結果だけでなく、

トレーニングを通して「エネルギー」を与え、生きる活力や、一歩を踏み出す勇気を与える。そんな職業である。

「痩せる」とか「体が変わる」それだけではなく、きついトレーニングを乗り越えた人が纏う自信はものすごい。実際に今までお客様が一歩を踏み出す、そんな瞬間をたくさん見てきた。

なぜ僕は今そんな環境にいるのか、自分の過去を振り返り言葉にしてみた。


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1995年に広島県で生まれた僕は、物心がついた頃にはカープファンだった。毎日の様にカープ帽を被って通学し、家に帰ったら毎日TVで試合を観ていた。6個上の兄の影響もあり、小学4年生から地元の野球チームで野球を始めた。広島にはどこにでもいるような子どもで、そんな僕も自然と「カープの選手になりたい!」「プロ野球選手になりたい!」と思っていた。


今、当時を振り返っても小・中と野球でいい思い出は正直あまりない(笑)もちろん、野球を通して友達ができたり、みんなで野球をして遊んでいる時間はとても楽しかった。しかし、自分が活躍して勝った試合や、野球で活躍して褒められた記憶がほとんど無かった。今思うと楽しいなーと思いながら野球をやっていなかったと思う。活躍している友達を見て凄いなと思うことはあっても、人一倍練習する訳でもなく、何より自分が上手くなって活躍している姿を全く想像出来ず、「どうせ自分は上手くなれない」と勝手に思い込んでいた。周りにいる大人も活躍していない自分には興味がないだろうと勝手に思い込んでいて、勝手に1人で落ち込んでいた。そんな風に自分の可能性やいろんな物に自分で蓋をしてしまっていたのだと思う。


そんな僕は、中学卒業と同時に野球はやめよう。そう思っていた。「これが最後の試合だ」そんな気持ちで臨んだ中学野球最後の試合。負けてしまった試合後になぜか僕は泣いていた。もうこれで終わりだって決めたはずなのに、今までの悔しかったことやその場面が蘇って、もの凄く悔しさが込み上げてきた。本当に割り切れていれば泣くこともなかったとは思うけど、泣いた自分をみて、「まだ野球をやりたいんだな」と感じた。何よりも「まだ出来る!もっとやれる!」そんな自分や自分の可能性を信じたかったのだと思う。「もっともっと活躍して今まで僕を見ていた人達を見返したい」その為に、強い高校で野球をやる必要があると思った僕は、広島では名門といわれている県立広島工業高校に進学することを決めた。


いざ練習初日、中学生の僕の実力からするとレベルの高い高校を選んだので、ギャップやレベルの差を感じることも覚悟していたが、やはり入学してからレベルの高さに驚いた。

先輩達はもちろんだが、同級生も僕より上手い人ばかりだった。それでも僕は、自分の今の実力を受け入れて「絶対にレギュラーを取る」という気持ちで自分の可能性を信じて、とにかく必死に練習した。きついなと思う練習もあったけど、自分では一度も手を抜かずに目の前の練習に取り組んだ。


2年生の時、甲子園に出場することができた。チームとしては20年ぶり。ただ僕はグラウンドではなく、アルプススタンドにいた。応援しながらも、悔しさを感じていた。来年の夏が最後のチャンス。そう意気込んで最後の冬は今まで以上に練習した。練習を終えて、自転車を漕いで1時間かけて帰宅、その後に自分で決めた練習を1人でやっていた。誰かに言われる訳でもなく、とにかく必死で自分で勝手にやっていた。そして、3年最後の夏の大会のメンバー発表、僕の名前が呼ばれることはなかった。県大会ベスト4という結果で僕の高校野球は幕を閉じた。

野球という、今までの人生の柱を失い僕は情熱の矛先を失っていた。

大企業に行ってお金を稼いでいれば、認めてもらえると考え、高校を卒業して僕は東京ガスという会社に就職した。

一緒に働いた方達は優しく、広島から出てきた僕は色んな経験をすることが出来た。本当にいい会社だった。

ただ、野球で負けてしまったあの悔しさが社会人になってからも忘れられなくて、なんかあの頃みたいに熱くなれることとか、あの頃みたいに夢中になって前向きに動けることが僕にはなかった。なんかもどかしくて、本当にこのままでいいのかなと思いながらずっと生活をしていた。


そんな時に、BVEATSのマネージャーである中川卓也さんと出会った。
初めて会った瞬間に自信がみなぎっている、その雰囲気に圧倒された。

話をしていく中で、中川さんに「佐々木さんって自分の勝てるフィールドでしか勝負してないですよね?それってなんでなんですか?」と言われ、僕は自分の人生を振り返った。

それまでの僕は高校の時、野球で負けてしまった悔しさから自信を失い、「言ったことができなかったらどうしよう」とか「目標が達成できなかったらどうしよう」と失敗した時のことばかりを考えて、何かに挑戦することを避けてしまっていた。


高校に入学する時の僕は自分の可能性だけを信じ論理的にではなく、とにかく感情的に毎日必死に生きていた。しかし、失敗の経験からいつのまにか「自分はこの程度だ」と決めつけて、可能性を信じることが出来なくなっていた。

自分でそれに気付いた瞬間に悔しさや自分に対する情けなさが込み上げてきて、僕はその場で大号泣してしまった。

僕はその時に、これからの人生では、自分の可能性を信じて、もっともっと挑戦をしていく覚悟を決めた。

これまでの人生で結果を残したことのない僕でも
チャレンジをしたことで、もう一度「今」を必死に生きることが出来ている。

こんな僕でも出来たなら誰にだってできるはず。

この世の中で「今が一番頑張っています」と胸を張って言える人がもっともっと増えるように
まずは僕自身が、レギュラーを目指して必死だったあの時よりも熱い気持ちを持って働きたいし、1度きりの人生でもっともっとチャレンジをしたい。


論理的に頭で考えるのではなく、とにかく感情的に目の前の「今」を必死に生きる。そして「高い目標を掲げ言い訳をせずに必ず結果を残す」

そんな思いで僕は今、BEATSでENERGISTをしている。

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