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Vol.55 久保 賢悟
SS伊豆サポーターの皆様!初めまして!
僕のことを知らない方がほとんどだと思うので、自己紹介します!
久保賢悟 大阪府出身 B型
1994年3月1日生まれ 29歳
世界的に有名なミュージシャン「ジャスティン・ビーバー」と同じ日に生まれました。
サッカーを始めたのは年長さんの頃でした。
父や兄がサッカーをしていた事もあり、兄の所属しているチームの練習や試合によく一緒に行ってました。
いつもボールで遊んでるだけでしたが、人数が足りず試合に出る事になり、その試合で初ゴールを決めたことがサッカーを始めるキッカケとなりました。
小学校、中学校の話はここでは割愛します。
高校はガンバ大阪ユースに入団しました。
入団直後、僕はここでサッカー人生初めての挫折を味わいました。
今まで足が速いと思ってたのにチームでは普通。身体が強いと思ってたのに普通。足元の技術に関しては底辺でした。
練習のボール回しではずっと鬼で紅白戦をする頃には疲れ切ってる様な状況が2か月ほど続きました。
周りのみんなのテクニックや駆け引きは、今まで身体能力や嗅覚といった、本能のままプレーしていた僕にとって、衝撃の連続でした。
徐々に環境にもなれてきて1年の夏クラブユースでは、メンバー入りし途中出場出来る様になりましたが、毎年有望な選手が入ってくるチーム。
高校3年間公式戦は途中出場がメインで、スタメンで出ることはほぼなかったです。
しかし、学んだ事は数多くありました。
ポジショニング、数的優位、DFとの駆け引き、ファーストタッチ、パスをどっちの足にのつけるか、など優位性を作り出す為に小さい部分にもこだわる事。
つまり「本能」ではなく「考えてサッカーをする事」でした。
大学は、びわこ成蹊スポーツ大学に進学しました。体育の教員になりたいと思っていた事もあり、この大学に決めました。
部員は300人以上いましたが、1年生のころからトップチームでプレー出来ました。
2年生になってからはスタメンに定着し徐々に結果を残す事ができました。この頃から関西のJクラブと試合するステップアップリーグによく呼んでもらえるようになり、自信を持ってプレー出来る様になりました。
3年生では、チームとして関西一部リーグ2位、インカレ4位。個人では関西ベストイレブン、デンソー関西選抜など振り返ってみると、この年がサッカー人生で1番良い年だったと思います。
4年生では、シーズン前に怪我をしてしまいJクラブの練習参加に行けなくなったり、リーグ戦でも降格争いをしてしまうなど不甲斐ない1年になりました。
卒業後Jリーガーにはなれませんでしたが、毎年、天皇杯滋賀県決勝で対戦していたMIOびわこ滋賀に入団する事になりました。
この大学生活で感じたのは、部員が300人以上もいる。当然、自分より足の速い選手はいる。体格に恵まれてる選手もいる。
だけど、4年生の時に10番でキャプテンマークを巻く事が出来た。
これは「考えてプレーする事」が僕の中で当たり前になったからだと考えています。
考えてプレーする本質、
小学校、中学校、社会人編は
乞うご期待、、、
(いや、誰が興味あんねん!)笑
次はMIO、FC大阪、アルテリーヴォ、SS伊豆でチームメイト。
イカツイ顔して喋り出したら止まらない、お喋り大漢こと桑水流選手です。