自分を好きだった頃のことを思い出したらスッキリした
ここ4、5年(長いな)、自分のことがけっこー嫌いだった。ずっと嫌いだったわけじゃなくて、定期的に「うわー、嫌い!」と自己嫌悪するやつ。誰でもあるよねー。
わたしにとっての「ここ4、5年」と言うと、それはほぼ丸々コロナ禍でもあるし、今の仕事を始めてからという期間でもあるし、そして結婚生活が始まってからという期間でございます。てか、令和入ってから、だね!暮らしが変わり、世界が変わり、自身が身を置く業界が変わり、個人的にも世界的にも、何もかもがブワーッと変わった期間でした。20代後半だった私は、30代になり、そして、もうすぐ30代半ばになろうとしています。もうね、30代になってから特にだけど、体調?ホルモン?も、ちょっとずっとおかしいんよね!なんなんだろうね!ほんと、嫌になるね!
でも、いま、いろいろ超スッキリしてる!
経験則上ね、タイトルにあるような「なんかスッキリした!」と言えるような気分は、持続力があるものではありません。おそらく一時的、一過性のもので、日常生活の中で何かマイナスなことがあれば、すぐに吹き飛んでしまうような感情であろうと思います。しかし、なにやら最近にしては珍しくスッキリしておるので、書き残しておくことにします。私がまたいつかスッキリするためのメソッドに、そして、もし誰かのループ的思考回路のスイッチバック的一因になるといいな。要は、なっがい自分語りなんだよ。聞いてよぉ、聞いてよぉ。
スッキリの材料たち
自分のことを好きだった時代を思い出す
先日、人生を0歳から現在の33歳に至るまで、1年ずつ振り返り、1年を3行にまとめる作業をしました。0歳から7歳ぐらいまでは、己の記憶というよりは、親からの伝聞や写真等による記録ですが。
私の人生は、振り返るまでもなく平凡でありつつも、「ここぞ!」と言うときは結構踏ん張って戦っていて、10代後半以降はそこそこ人に恵まれていて、そんなに捨てたもんじゃないなあと思いました。義務教育時代はほんとに学校に行きたくなかったし、さらに、15歳・16歳の時が一番いろんな悪いことが重なり、どん底に超最低でした。
一方で、17歳と21歳と28歳のときの自分が好きなことを思い出しました。そしてそれらと比較しても、33歳の今の自分が、かなり超好きな自分だなあ!と思えたのです。
まず、17歳の頃のことから。最悪だった15歳〜16歳のだめだめだった時間を取り戻そうと、毎日、無理やりってぐらいに、キラッキラと楽しく過ごしていました。ご近所物語に憧れて、ファッションの勉強をしたい!と思っており、雑誌をコラージュしてスタイルブックを作り、お小遣いの範囲で洋服を買い、見様見真似のお化粧をして、終わった恋愛の残り火に自ら水をかけ、新しい恋愛(それは今の夫である)に向かって猛タックルをして恋人を作り、入学当初は順位を下から数えた方が早かったのに勉強を頑張って推薦で第一志望の大学に受かり、あの頃の私、超かっこよかったんだよなあ。
15歳・16歳は、高校受験の失敗、初彼氏が出来る→からの初失恋、夏休みに入院したのをきっかけに高校での友人作りと学習につまづく、私立に通うことになって親に申し訳ない、家族が入院する、兄弟がグレる、地元の友人が心配な状況になる、など、いろいろありました。
それらのモヤモヤとした状況を日本に置いたまま、受験を失敗したあとの進学先の高校のカリキュラムでニュージーランドに1ヶ月半の留学に行くことになる、など、今振り返っても、人生で後にも先にもないほどに、しっちゃかめっちゃかでした。
(もとい、人生で一番大変なのが振り返ると高校1年生の時だよ!と言っちゃう私は、幸せ者なのでしょうな…)
そんなこんなだったのですが、17歳の自分を好きになるきっかけが出来たのは、16歳のとき。初めて親元を離れて、ニュージーランドで1ヶ月半の期間を暮らしました。この期間が人生に与えた影響は大きいです。
最初の二週間ほどこそはホームシックになり、マジで「海を泳いで日本に帰ったろかい」と思うほどの寂しさでしたが、やや過干渉で口うるさい実家の親とは違い、ホームステイ先のあたたかくも適度に放任してくれる具合と言い、庭がデカくてトランポリンがあり、大声出して歌っても大丈夫な環境とか、家の裏にすぐ海岸がある環境とか、開放的で素晴らしいところでした。あてがわれた留学先も超マンモス校で、現地の高校生だけでなく、日本、韓国や中国、チリ、アルゼンチンとかから留学に来てる人なんかも大勢いらっしゃってですね。容赦なく話しかけてくれる校内の様々なアグレッシブな人たちとの会話も、日本の同じ高校から共にこの学校に派遣されたまだあんまり仲良くなかったクラスメイトとの切磋琢磨の奮闘や語り合いの時間、そして、現地で暮らしていて大きく「アジア人」として差別される経験なども経て、日本を離れて過ごした日々で得た経験がとてつもなく大きな糧、自信になりました。ニュージーランドに慣れてきたら、一人で街歩きや買い物も出来たのよ。スマホはおろか、現地で繋がる携帯電話すらも持ってなかったのに、やるよな、私。恐ろしいよなー、今考えると。「自分の力だけでも、こんなこともできるんだな!」、「日本だけじゃなくて、世界でもこんなに当たり前に人は生きてるんだ!」、「親から離れて楽しんでもいいんだ!」と、まさに人生を変えるような日々でした。帰ってから、「おっしゃ、私も容赦なく好きに生きてやろう!」と思った結果、17歳の自分に繋がったのですよ。
そして、次に好きな自分が、21歳のときです。大学4年生のときですね。入りたかった業界に内定が決まって就活を終え、大学1年生の春からオープニングスタッフとして在職し続けていたアルバイト先のカフェでの仕事を超頑張っていたときの自分が好きでした。バイトはですね、お金欲しさ、というのもあったけど、勤続4年目で同期が卒業し、スタッフが後輩ばかりになり、なおかつ人手不足に喘いでいたころに、店長とバイトリーダーとともに店をぐるっぐると回し、新しいスタッフに先輩風をびゅーんっびゅん吹かしながら明るく楽しく教えて、後輩が育っていく日々がね、楽しくて仕方なかったなあ。アルバイトを始めた頃はただの役立たず・足手まといで、怒られてばかりだったのに、辞めずに続けて一人の人員として貢献できている自分、認めてもらえている、受け入れてもらえている環境で働けることが、精神的に気持ちよかったし、これらの気持ちを動機に働いている自分が誇らしかった。
あんな給料(4年間、時給800円…)であんな状況下で、ようやってたな!大切な大学4年生の時間、もっとやっておくべき何かがあったやろ!と後悔していた時期もあるんだけど、大学入学から4年間、同じ仕事を良好な人間関係を築いた上で継続できた事実は、これまた糧なのです。
28歳の自分もまた、好きです。28歳になった瞬間は、新卒で入社して約6年間働いた仕事をすっぱりと辞め、晴々とした無職でした。28歳は、12ヶ月中、9ヶ月間も無職でした。ハハハ。ただ無職ってわけでもなくて、28歳になるや否や謎の高熱を出して1ヶ月寝込み、海外旅行に5回行き、実家で楽しく過ごし、なかなか「結婚」の二文字を出さぬ彼氏にしびれを切らして自ら落とし前をつけ、前職とは全くの異業種であるところの今の仕事を始めるなどとする、なかなかに動きのある歳でした。28歳の自分、まじ武士。
毎日に近いぐらいの頻度で何かしらのnoteを書いて、まあそんなバズるとかフォロワーが増えるとか注目されるとかは無かったですが、今に繋がる活動を活発に始めたのもこの歳だなあ。失うものがないから、何も怖くなかった28歳。
ここ数年、MBTIで言うと自称「INFJ」と思っていたのですが、過去のnoteを振り返ると、このときは自らを「ESFJ」と思っていたようです。なんか、そう言われるとそんな気もしてきました。「ESFJ」かあ。自己評価、あてにならんなあ。
そして、今。今の自分。33歳の自分のことも、本当は結構好きみたいです。
33歳の自分は、うーん、仕事をまあまあ任されています。多くの職業でもそうであるように、守秘義務があるので詳しいことは書けぬのですが、毎日がわりと皿回しです。非正規雇用なので、正規職員の人よりお休みの日は多いですが、その分収入も少ないし、贅沢をできるというわけでもないです。非正規という身分は、まあ、不安定でもあります。年収も前職のMAXベースで言うと75%ぐらいですな。
でもですね、治療を始めた当初はあんなに支払うことを憂鬱に思っていた高額な歯列矯正代が、なんとか全部払えたのですよ。歯列矯正を始めた頃は、「まじ、モチベーション持たんぜよ」と思っていました。払えたのです。そして今年は、毎月50,000円ずつの貯金も出来ています。行きたいところに旅行にも行けているし、物価高に負けず、自炊も外食もそれなりにしています。ホルモンや気圧や月の満ち欠け?とかに影響されながらも、どっこい生きています。ほぼワンオペの家事も、たまに怒りながらも普通にやっています。仕事もね、たまに惨めな気持ちになるし、辞めてやる!という衝動もあったんです。が、そこそこ上手にやれている自信もありまして、だからこそ、そろそろどこかで区切りをつけて辞めたろかなとも軽やかに前向きに思っていて、「いつ仕事を変わってもやってやる!」という気概?というか、自信も生まれてきました。振り返ると、昔持っていたんですよね、なけなしの自信。失っていた自信を少しだけ取り戻せてきた心地、そう、スッキリ、なのです。かつて、自分のことを好きだった頃のことを思い出したからかもです。かつて出会った人のおかげで、今はきっと成長もしてる。大事だー。
好きだったものと人を思い出す
この間、好きなもの100個をあげる行為を2年半ぶりにしました。
私、こうやって挙げますと、好きなものがいっぱいあるわーっ。改めてそう思って、満たされた。2年半前にも100個を挙げていたし、これまでにも好きなもののことをたくさん書いてきましたな。ネット上に書いてきた以前にも、生まれてから今までに好きなものがいっぱいあって、好きなものの数以上に、好きな理由やきっかけがあって、ここに挙げたもの以外にも、好きな人とかもいっぱいいて、じゃあもうそれで十分やね、これ以降も概ね増えるだけやん!という、清々しい気持ちになった。家の中にも、家の外にも、過去にも未来にも、いっぱいあるんだもの、好きなもの。潜在的好きなもの。なんと心強いことか。
私は、ややコンプレックスでもあるのだけど、他者との壁の隔たりが高いというか分厚いというか、どちらかというととっつきにくい(とっつかれにくい)し、保守的な人間だと思う。掴みどころがないとよく言われるが、掴まれたくもないし、誰かを掴めるとも思ってないぜ!みたいな、人に対して自由でいたいし、人には気楽に接していただきたい気持ちもある。傾向的にめっちゃ嫌われるわけでもないし、かと言って、多方面に好かれるわけでもない。そして、誰かを理由なく嫌うこともないけど、直感で惚れ込みまくるということも、アンテナを張り巡らせて好きなものを増やすというのでもなく、旧知の好きなものをしつこく何度も愛でるタイプと自覚している。そうなの。それでもね、好きなものが100個もあるし、多いわけでもないけど、信頼している人、してもらっている人、好きな人もいるんだよなあ。私、こんなだけど、ものだけじゃなくて、人間も好きなんだよ。数として多いわけじゃないけど、友達が好きだし、尊敬している。学生の頃からの友達もだし、仲良くしてくれているネット上の友達も、好きよ。様々なライフステージ、様々な土地にいて、頻繁に会ったり遊んだりするわけではないけど、それぞれに世界を持っていて、いつも何かに頑張っている、ひたむきな友達たちが好きなんだよ。
実現している人間、普通の人間たちが頑張って生きている社会、私も生きたいし、これからも一緒に年を重ねたい。生きる希望が湧いてくるとね、明日からも元気に生きたるぜ!と、これもまたスッキリなのです。
今を楽しむのも大事
私には悩みとか心配がたくさんあります。ありますなあ。尽きませんなあ。生まれては消え、消えては生まれ。じいさんは何歳まで生きてくれるだろうか。親の健康は大丈夫か。心身ともに健やかか。なんか危ない情報に踊らされてないか。夫の健康診断の結果は大丈夫か。我々の心身は健やかか。私が家事ができなくなったとき、夫は大丈夫か。夫がもし失職したら、私はどうするか。私も失業したらどうしよ。夫の両親はどうだ。なんか私、白髪増えたけどどっか悪いんか。引越しの時、退去費用はどのくらいかかるか。洗濯機が変な音するけど、急に壊れたらどうしよう。保険、今ので大丈夫か。年末年始の予定はどうなるかな。年始の手土産はどうしよう。急に寒くなったら、冬布団を出さなきゃ。早く粗大ゴミ予約をしなきゃ。明日起きられるかな。こんなことを書いて炎上しないかなとか、シャンプー買いに行かなきゃとか、なんとかかんとか…
心配に対して案を講じるのはもちろん大事よ。時間がムダだ、とは言えません。言いたくないです。でもな、もうね、大事やけど、考えすぎやねん。張り切りすぎ。寝なはれ。あなたを休めさせられるのは、あなたしかいないの。ほんで、明日の朝とかにコーヒーを飲みながら、ゆっくり考えなはれ。とりあえず、行きたいカフェとかに行って、考えなはれ。
大丈夫。私は自分を好きだった時期もあるし、こんなに好きなものがあって、好きな人がいるんだから、もし心配していることが本当に起こったとしても、泣いたり起こったりしながら、なんとかする努力はするんだよ、きっと。
明日からも生活は続く。予期せぬことも起こるかも。困るかも。迷うかも。落ち込むかも。何度だって泣くかも。また、嫌になるかも。全部を投げ出して、どっか遠くに行きたくなるかも。行けばいいんよ。どっかに行けるだけ、元気ならいいよ。ありきたりな言葉が浮かびそうだ。J-POPの歌詞みたいな、普通にそこらに転がってるけど、一番大事で、見失いがちなやつ。好きな歌のことを思い出して。好きな人のことを思い出して。好きな自分のことを思い出してね。あー、なっがい自分語りだった。起きたら恥ずかしいやーつ。