ちょっと聞いてほしいだけだよん(あなたたちのような友達向け告知)
今年も今年とて、書いている。あけましておめでとう、地球。そして、わーるどわいどうぇぶ。「 書くことに救われてきました 」と、何度もここに刻みつけてきた。しかし、そもそも、なんでインターネットで書くように、書き続けるようになったんだったろうか。よく考えたことがなかった。
遡ると、高校1年生。15歳の夏休みだわさ。この頃、雨後の筍だか、破竹の勢いだか、若気の至りズムだか、こぞってみなが手作りのホームページをオープンしていた。仲間内で一つのホームページを運営する人もいれば、一人でドドンと開設する人もいた。時代はmixiが全盛期を迎える前で、Twitterはまだ生まれていない、2006年。ネットリテラシーの「ネ」の字も無いあれこそがティーンの無法地帯で、みなが赤裸々な日記を世に放ち、撮ったばかりのプリをアップロードし、前略プロフの更新と徘徊に命をかけてた時代のお話だ。
私も一人で細々と、しかしながらに振り返るのも嫌なほど痛々しい、仔細な日記を書いて公開していた。仲仔。ゥチらまぢ最強。ぁたしωち。いたたたたたたいたたたたたたうわあああああああ(←なんか思い出したようです)
中3の冬、受験生が一番頑張らんといかん期間から(私は高校受験に失敗した)、初めての彼氏とつきあいだした。別々の高校に進学し、すったもんだの末、高校1年の秋に別れた。
と、同時に、爆発的に我がチョイ痛ホームページのアクセス数が増えたのだ。
中学生の時は垢抜けない、モテない、風変わりで、がりがりガリ勉だった元彼は、(私とは違って)高校入試に成功し、華々しい垢抜けを遂げ、高校ではそこそこモテていたらしい。分厚いメガネを脱ぎ捨て、コンタクトに。がりがりな身体は部活動で逞しくなり、ヒョロリと背が伸びた。甲高かった声は声変わりでいい感じに低くなり、彼の「垢抜けない」のシンボルマークとも言えた天然パーマは、上手に固形整髪料で生かされて、…悔しいけど、彼は自分を一生懸命磨いていたのだ。私のいない、違う学校で。
きっと、そんなもんだから、中学から付き合っていた女と別れた、だとか、向こうの高校で噂にでもなったのだろうな。それとも、彼が「 俺のイタイ元カノのホムペw」的な感じで晒しあげでもしたのだろうか。どちらにせよ、思いがけずにホームページのアクセス数が増え、悲しみに暮れながらちょっと舞い上がったのは事実。私はその冬、ホムペの更新に自身の熱を費やした。
爆発的って言っても、5や6が、20や30になった程度でしたけどね。
それでも、NANAのモノローグのつもりか?ってぐらい、ポエミーな言い回しが誰かの心をくすぐったのだろうか。魂の叫びのように失恋を憂いた未練がましい日記がウケたのだろうか。かげでひそかに笑われてたのだろうか。それとも、失恋で傷ついてる私は心配されていたのだろうか。見守られていたのだろうか。
振り返ってもなんだかわからないけど、見られる努力なんてミリもしていないのに、我がどうでもヨカロスな日記が不特定多数の瞳に映っている事実とか、でもその人の心の見えない不確かさとかが、私を不健全に、じくりと疼かせたのだ。怖かったけど、確かにそこに、変な快感があった。
そうだね。ある種、優越感だったかもしれない。あれが、最初の承認欲求の萌芽だったのかも。思春期はたいてい、不健全だ。あ、私でも注目を浴びることができるんだなァとか、私の選んだ垢抜けなかった男がすっかり垢抜けて別の世界線でモテてるんだなとか、振り返れば振り返るほど、実のない、果てしなく他人本位の評価による、承認欲求。
だけどね、そんなでも不思議なことにね。
そんなきっかけなもんだから、時の流れとともにアクセス数とか目減りしそうなもんだけど、書けば書くほどアクセス数が微増したんだよね。彼のことなんて、ちっとも思い出さなくなるぐらいの時が経ったあとも。新しい恋もしたのに。ハチクロの感想とか、おかんと喧嘩した話とか、志望大学のオープンキャンパスに行った話とか、極めて通俗的な日記が読まれた。読んでもらえた。書くのが本質的に楽しいし自分に合ってるのだと気づいた。いっぱい書いたな。
どこかに住む誰かの日記を読むのも、大好きな毎日のルーティンになった。元彼とはまったく関連なく、他校の女の子がコメントをくれたのをきっかけに友達になったケースもありました。私から「友達になろうよ!」と誘い、ライブに行ったりね、スタバでお茶したりね、しましたね。ふふふ、実はね、今の夫もホームページ運営において同じ手口で17歳の時に交際にいたったのだよ。ふふふ。こわいね。
日記って最高。書くって楽しい。
そう。そんなあぶなっかしい思春期ネット日記コミュニケーションを存分に楽しんでいたのが、17歳の時。
それからなんとびっくり、さらに17年の時を経て、私、今、まったく同じことを楽しんでいます。
っていうような、
極めて通俗的で一般的で個人的な話をひたすら書いた、
文学フリマ京都9で、新刊ZINEを出します!
ほんとにほんとに、人生初めての本です。
私のインターネット文字書きライフは20歳の時に下火になりました。いろいろあり(ZINE内で触れています)、27歳、約8年前にnoteに出会って文字書きライフを復活しました。不死鳥のごとく。🐦🔥バーニングだぜ。
それ以降も、私は楽しく文章を書き、まあ、日々色々ありつつも、楽しく暮らしています。17歳の、書くのが楽しかった頃と同じように、書くことを通して仲の良い友達もできました。好きな文章に出会いました。そして今も、楽しく書いています。ほんっと、ね。あのとき、痛々しい個人ホムペをして初めて良かったなあ、怪我の功名やなあと、心底思っています。きっかけはどうあれ、私はあのとき、文章を書き始めてよかった。元彼になんの感情もないけど、あのとき奇跡的に感情の爆発をもたらせてくれたことに関しては、感謝すべきなのかもしれない。ありがとうなのかもしれない。
ZINEの中身、お品書きはこちら。
エッセイ、日記、小説、旅行記を、A5の紙面に愛と文字数をギッチギチで詰め込んでおります。
書くことは、拠り所です。このZINEを作りながら、何度か確信したことがあります。私の文章には大した技巧もありませんが、「私は、書くのがやっぱ好きだなあ」って。そして、「なんだかんだ、私の文章が好きだなあ」ってことです。そー言うと、かなりナルシストの極みな気もしますが、私は私の脳内から漏れ出た抽出物、私から出る率直且つへそ曲がりな言葉たちが好きです。何かを正確に伝えようとするとき、公文書みたいに固くなるところも好きです。幼くて痛い過去の自分の地層がミチミチに詰まっているところも好きです。うーん、それもあるけど、下手なりにも続けてきた誇りそのものだから、捨てられないです。好きです。いつも爆発です。爆発を読んでくれて、ありがとう。ただでさえ好きです。でも、このZINEは1ページ開けば、もっと過激な、好きの爆弾でありますのよ。
こんな告知とも言えないような告知でどこかの誰かの購買意欲をそそるとも思えないのですが、どうしてもこれを伝えたくて書きました。逆効果だったら、失敗すぎるな。はずかし。まあでも、空回りだとしても、この冬の思い出だな。あの手この手を尽くし、当日まで悶えましょうな、文フリの同志たちよっっっ。大人の祭りだーっっっ!!!
最後になりましたが、今年もよろしくお願いいたします。このnoteは恥ずかしくなった頃に何事もなかったように消します。