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こどもの恋は、乾いてる。

「ねえ、矢島。幼稚園のころにした約束、覚えてるよね。待ってるんだけど。」

授業が終わり、「うーん…」と伸びをしていたら、森下が教室にやって来て、おれの前に立ってこう言うから、とても驚いた。
幼稚園の頃?いきなり何だ。
よくわかんないけど、何で急にここに来て、怒ってるんだろう。

「何?幼稚園って……いきなり何の話…?」

「幼稚園の時だよ。大きくなったら、お嫁さんにしてくれるって言ったじゃん。待ってたけど、もう待てないよ。それっていつなの。」


友達が教壇の前で、にやにやしながらこちらを見ている。
森下は、机をコンコンと指先で叩きながらポニーテールを揺らして俺に一生懸命訴えているけど、……いや、そんなこと出来るわけないじゃん。

「お、大人って…まだ四年生だから…。それに、そんな約束、忘れていてよ…」

「ひどくない。ずっと待ってたのに。」


森下が顔を歪めて、目元をうるうるさせる。
あ、やばい、これは泣かれるやつだ。
幼稚園時代の記憶からいくと、この子を泣かせると面倒だ。
お母さん同士が仲が良いから、きっと泣かせたのがバレたら怒られる。



それにしてもさ、変じゃない。
最近ずっと会っていなかったのに、急にお嫁さんだなんて、一体どういうこと。
泣かれたって、結婚なんて、そんな遠い話。

「ごめんだけどさ…次、移動しなきゃだから……」

「サボってよ。」

「え。」

「サボってよって。」

「そ、そんなこと言われても。森下も授業あるんじゃないの。」

「私はない。」

「な、ないって……。」

「適当にお腹痛いとか言ってよ。終わったら、途中で授業に行ってもいいから。」

「えええ…。」


わ、わかったよ。
何だかよくわからないけど、この空気で放っておくわけにはいかない。
こっそりと人目の少ない階段の下に隠れるように二人並ぶ。
そういえば、森下とはよくこうやって一緒に二人で秘密基地に行ったり、隠れんぼをしたりしたっけ。
久しぶりに並ぶと、「好きだったなあ」って、懐かしい気持ちを思い出して、顔が赤くなった。
ひんやりとした空気、窓からの隙間風が、足元に寒さを運んでくる。


「森下、あのさ。幼稚園の時の話は悪かったけど、その…結婚とかさ、難しいじゃん。だからさ…」

「じゃあ、じゃあ……つ、つきあってよ。つきあうのはいいでしょ。」

「つきあうって。本気で言ってんの?ずっと俺たち話してなかったんだよ。森下、別に俺のこと好きじゃないでしょ。いきなり意味わかんないよ。困るよ。」

思わず大声が出そうになるのを必死にこらえる。
急にそんなことを言われても、俺は一体、どうしたらいいの。
ムカつくような、泣きたいような、変な気持ちが込み上げてくる。

「矢島は、……他に好きな人がいるの?」

「いないけど……でもさ、こういうのって順番があるんじゃないの。」

「そうだけど…私、もう間に合わないと思ったから。」

「なにが……?」

「おばさんに聞いたよ。東京に行くんでしょ。」

「……そうだよ。だから、いきなりつきあうとか結婚とか言っても、無理だよ。17年も前の約束を取り出されても、困るよ。

俺だってずっと、好きだったのに。」



幼稚園を卒園して、小学校、中学校、高校と、ずっと幼馴染の森下のことが好きだった。
好きだった。
いや、好きという単語が似つかわしいのかもわからないくらいに、狂おしく。
いつしか、話しかけるのすら、怖くなった。
話しかけたり、メールをくれるたびに高鳴ったけど、必死に喜びをおさえた。
好きな気持ちが伝わってしまうことを、恐れた。
もし、森下が俺のことを好きだとしても、俺の方がきっと、森下のことを好きだから。

だけど、高校三年生のある日に、女子校に通っている森下に初めての彼氏が出来たと親から又聞きして、勘違いを思い知らされたのだった。
俺は、森下にとって思ったより小さな存在だったのだと。
もう、俺との約束は過去になってしまったのだと。
告白できずにいたけれど、いつかはきっと森下に言おうと決めていたのに。
言えずにいた俺が悪いのだけど、絶望した。
なんであんな子ども同士の約束を、お守りみたいに信じていたのだろうと、自分を恥ずかしく思った。
だから、きっぱり全部忘れるように努めていた。
連絡先も消した。
何度か来た取り止めのないメールも、全部無視をした。
そのうちに、何も来なくなったけど、それでいいと思った。
片想いよりも、よっぽど楽に感じた。
無味がずっと続いた。それだけ。


想いを振り切るようにたくさん勉強して、この地方で一番の大学に入学した。
東京に本社を持つ、業界でも先進的な企業にも内定が決まった。
東京で。東京なら。東京でならきっと。
なのに、なのに、なのに。
こんなタイミングで大学にまで乗り込んできて、今更普通そんなこと言う?
お嫁さんって。
ただの思いつきだろ。冗談だろ。ひどすぎだろ。
どれだけ俺のことを振り回せば気が済むんだよ。


「あー、あのさぁ。彼氏出来たのって、嘘だよ。」

「……なに。いつの話。」

「高三。おばさんから聞いたでしょ。」

「……うん。聞いたけど。」

「がっかりしたなあ。とってもがっかりした。」

「はあ?何がよ。」

「だって、奪いにきてくれるって思ったもん。さすがに。すぐに。架空の彼氏から。好きだったよね。あたしのこと。なのにさあ、ひどいよ。こんなになるって、思ってなかったよ。」

「……ほんと、おまえさぁ……。嘘って…そっちの方がめっちゃひどいよ。」

「…あんたも、ひどいよ。小学生の頃から、ずっと待ってたのに。告白して来てくれなかったじゃん。ばか。言えなかったよ。無視するんだもん。」

「うるさいな。……幸せが欲しけりゃ、自分で掴み取れにきやがれ。」


そう口にしつつも、口元はにやけが止まらなくて、あっという間に恋をしていたころの悪い病が再発した。
先程まで戸惑って受け入れられなかったことが、いとも簡単に何もかもちっぽけなことに感じて、目の前の身体をいつのまにか自然に抱き寄せていた。
ああ、ずっとこうしたかった。
ごめんな。
ずっと、こうしたかったのに、ダサいなあ俺。
ダサいなあ、俺たち。
でも、今から、とっても素直だ。


五時間目、夕暮れ、オレンジの空。
人気のない階段下の小さなスペースで、何度も何度も、輪郭を確かめるように唇を重ねた。
唇も首筋も、おそるおそる手を伸ばして触れたところは全て、熱いくらいに火照りを帯びていたけれど、子どもの頃に繋いだ手だけはずいぶんと冷たくて、熱を輸送するかのように、何度も握った。
恐る恐る伸ばしあう手の先も舌の先も、お互いに相当ぎこちないはず。
なのに、お互いの存在を触覚で確認すると、初めてとは思えないくらいに慣れ親しんだ喜びが、泉のように溢れ出でた。
何度も身体の上に置き直した手は、気がついたら春の訪れを歓喜するかのように蠢きそうだったので、必死に停止の信号を送った。
森下の赤らんだ顔が、夕陽に照って綺麗。


「……てかさ、何で教室わかったの。びっくりしたんだけど。」
おでこに唇を押し付ける。
ヂュ、と、唾液の混じった恥ずかしい音がした。

「おばさんに聞いたんだよ。」

「ああ、それでか…。今朝、急に教室のこと聞いてきたから。」

「ね。あの、……東京行くまでに、いっぱい会ってね。」



……ねえ、今さら俺、離れるつもりないんだけど。


かっこつけて調子のって、そう耳元でつぶやいてもう一度抱きしめたら、森下はすごいことになってしまった。

こどもの恋は、乾いてる。
だから、すぐ火がつく。



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