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【コブクロ JUKE BOX readingmusical”FAMILY”】なぜ泣いた

2024年7月27日。この日も暑かった。

 滂沱の涙を流すとは思わなかった。
 コブクロの曲とともに紡がれる朗読ミュージカルだけど、私はコブクロの曲はヒット曲を数曲知っている程度の知識しかなかったし。
 なんであんなに泣いたんでしょうね。
 
 「親からもらった命を粗末にするな」と古よりの教訓をきれいな台詞にして塗りこまれても、多分表皮から奥には浸透しなかったはずなんです。色々な攻撃から身を守るために、あまりにも面の皮が厚くなりすぎましたから。
 そういう言葉に頼らずとも、どこまでもコブクロの楽曲と、本作のシナリオと、役者の力量によって、伝えたいことって捻くれ者の角質層を突き抜けて内部に届くんだなあ。
 本作に対し、コブクロのお二人はこのようなメッセージを贈られていました。

人は、出会いと別れの中で、心の中に残る、形の無い「何か」を、人生という棚に並べながら生きているとするなら、美しいものも、醜いものも、愛しいものも、忘れたいものも、その全てが「今」と「未来」を照らしている事を音楽で伝えていけたら良いなと、いつも心掛けています。

コブクロ JUKE BOX readingmusical”FAMILY” 公式サイト

 
 さて、私は今[男1]のように自分の人生をパッとしない、無くなるなら無くなっても構わないと思うことが多く、自分のことを能無しだと思うことが多いです。ところがこの日、[男2]に、「行って来い」と送り出されてしまった。どこへ行こう。この不出来な体を持って。


白い部屋に男2人。椅子はひとつ。


 観劇後、気持ちが180度反転して「ああ、明日が来るのが楽しみ!」「今日も空がきれいだわ!」なんて思えているわけではありません。そういう薬は抜けるのも早いし、胡散臭いじゃないですか。
 本作は、御託を並べて人生の素晴らしさを伝えていたのではなく、“本当は人生は(いくらかは)素晴らしいと知っている”ことを、ちょっと認めさせてくれる。そんな話だったのだと思う。だからこの捻くれ者は、泣けて泣けて仕方なかったのだと思います。

 本作は本日2024年7月28日まで、毎回日替わりキャストで―つまり毎日が初日で千穐楽というスタイルをとってきました。ネタバレも厳禁なシナリオですが、本日が最終日ということで内容に関わることも書きました。
 藤田玲さん、上田堪大さん、コブクロさん、スタッフさん、“私は私の人生を(いくらかは)素晴らしいものだと知っている”ことを認めさせてくださり、ありがとうございました。
 

あえて最後にあらすじを。

あらすじ

事故に遭ったらしい男1と男2。
ここはどうやら【人生の一部/走馬灯】を 見ることができる生と死の狭間の部屋のようだ。
扉や窓などを開ける度に流れ込んでくる人生の一部。

ぱっとしない人生だと言う男1。
今が一番しあわせだと語る男2。
部屋には一つの椅子が置いてある。
一個の椅子に二人の人間。
何かを悟る二人。

...ここが生と死の狭間ならば、 この椅子に座った方が生き残る...ということなのでは?

コブクロ JUKE BOX readingmusical”FAMILY” 公式サイト あらすじより


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