本当に日本一か、確かめてやる。
つやつや、あめ色の豚肉生姜焼きがやってきた。
2〜3ミリ厚の豚肉はスライス肉タイプの生姜焼きにしては分厚い。ポークステーキタイプの生姜焼きほどではないが、噛み切れるだろうか。
醤油と肉と生姜とにんにくが焦げる香りと音に刺激されて、よく観察もせずに噛み付いてしまったな、と噛み付いてから後悔した。
肉が柔らかい。水分なのか油分なのか判断がつきかねるほどサラサラの肉汁をよく含んでいる。こうも柔らかくては、通常の薄さのスライス肉では焼肉の様な感覚で食べ進めてしまうだろう。
豚肉生姜焼きは、噛みたいものじゃないか。
舌だけで堪能するのでは惜しい。歯で、顎で、対峙したいじゃないか。
焼いた豚肉に付き物なのは、パサパサ感だ。表面はタレやソースで潤わせていても、ある程度厚みをもたせると、噛み締めた歯触りの奥の奥、芯たるゾーンにパサつきが感じられるものだ。それが悪いってわけじゃない。豚肉はそういう食材なのだから。
ところが菱田屋の豚肉生姜焼きときたら、タレでびちゃびちゃにしているわけでもないのに肉の芯部まで「プリッ」という感触で繊維がちぎれてくれる。これは心地いい。
豚肉生姜焼きは、「シバシバシバ…」と噛むものだと思っていたし、それを憎からず思っていた。そこへジューシーさ補うのがタレの水分の役目なのだと。その手法に頼らない豚肉生姜焼きを知ってしまった。
更にそのタレの味付けはというと、生姜に負けず劣らずにんにくが効いているのだ。[豚肉にんにく生姜焼き]という別名義にしてもいいくらいだ。
美味くて噛み心地がよくて元気が出る。
東京都目黒区。京王井の頭線駒場東大前駅東口から徒歩4分ほどの住宅街にある定食屋が菱田屋だ。明治時代に創業し、100年以上の歴史を持つ。
グルメサイトでは「何を食べても大当たり」とのクチコミが連なるなか、頭一つ飛び抜けた人気メニューが豚肉生姜焼きだ。「日本一の豚肉生姜焼き」と記載するグルメサイトやクチコミ投稿者があとをたたない。
こう言われると「本当に日本一かどうか、確かめてやる」と思ってしまうものだ。
「美味い」に日本一などあるのだろうか。「美味い」は、「痛い」「可愛い」「楽しい」のような、主観的なものだ。数値化できないもので、唐揚げ選手権のように大きな大会で審査されていないものに対して日本一だというのはどういうことなのかと思っていた。
ある夜の菱田屋では、店内テレビでサッカーU23の国際試合が中継されていた。
東大生と思われる男性2人がサークル仲間に彼女ができたことを毒づき、家族連れのお父さんはテレビが見えないと首をのばし腰を浮かし焦れていた。
みんなの豚肉生姜焼きがやってくると、もう誰も彼も「うま」としか言わなかった。私がよく観察もせず肉に噛み付いていたように。
日本一の豚肉生姜焼きとは、《日本一だと思う人が日本一多い》豚肉生姜焼きなのだと思った。
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