明智吾郎に関する考察 【ペルソナ5R】
この記事は、ゲーム「ペルソナ5R」に登場するキャラクター、明智吾郎の言動を様々な視点から分析し、物語終盤での明智吾郎の心情変化やエンディングの考察を目的とするものである。なお、本記事には重大どころの話ではないネタバレが含まれるため、本作未プレイ、未クリアの方には今すぐのブラウザバックを強く推奨する。
もってない奴は、買え。
再度通告
本作未プレイ、未クリアの方には今すぐのブラウザバックを強く推奨する。
始めに
この項目では、本記事における考察の内容をおおまかにまとめる。
本記事は、「明智吾郎はシドウパレスで死亡し、3学期に登場した明智も丸喜の現実と共に消滅した。」という前提をもと、シドウパレスでの明智の心情変化や2月2日の夜の出来事、果たされなかった決闘と残された約束の意味を明智や主人公の言動を踏まえたうえで考察することを目的とするものである。
作中での明智吾郎
この項目では、作中の明智吾郎の言動をおおまかにまとめたのち、その分析を行う。
明智吾郎の言動
怪盗団が活躍する18年前、明智吾郎は獅童正義とその愛人の間に生まれる。当時それなりに権威のある立場にあったであろう獅童にとって「愛人との間に子供ができた」という出来事は醜聞に他ならなかったため、明智を身籠った母は獅童に手ひどく捨てられる。獅童に見捨てられた明智の母は失意で体を壊し、早くに世を去ったという。
以降、明智は様々な所を転々とし、「望まれない子供」であったが故の承認欲求と獅童への恨みを消化しきれないまま15歳まで成長。おそらくこの年に認知の異世界の存在を知る。
初めに覚醒させたペルソナがどちらであるかは作中で明らかにされていないが、獅童への恨みや反骨心を糧としてペルソナ、”ロキ”を初めに覚醒させ、恨みを嘘で覆い隠すために第二のペルソナ、”ロビンフッド”を覚醒させたと考えるのが自然であろう。
異世界の存在を知った明智は高1の春に獅童と接触。以降、獅童への復讐という目的のもと、ロキの能力による精神暴走やシャドウを消滅させることにより発生する廃人化を用いて一時的に獅童に協力する。
自分で起こした精神暴走事件を自分で解決するカリスマ名探偵としての役が板についてきたころに怪盗団が出現。自分と同じ能力を持っていると考えた明智は怪盗団に関する事件を追い始める。
怪盗団を罠にはめる算段が整った獅童らは、明智を介して10月26日の文化祭で怪盗団に接触。ニイジマパレスで主人公逮捕に成功するも、怪盗団側のトリックに騙され主人公の暗殺に失敗。シドウパレスで再び怪盗団と対峙するも敗北。明智の始末のために現れた認知明智との相打ちという形で、彼は最期を迎えた。
その後、怪盗団が統制の神を打ち倒したことにより神に繰り上がった丸喜のペルソナ能力、”曲解”により、明智は丸喜の作った現実で生かされることとなる。
丸喜の歪んだ現実を忌み嫌った明智は、現実の奪還という目的のもと一時的に怪盗団と協力。「自分の道は自分で決める」という信念を胸に、怪盗団と共に丸喜を打倒。丸喜の現実と共に明智は消滅することとなった。
以上、明智のおおまかな言動をまとめた。
言動の分析
親に望まれず、存在自体が醜聞であった明智には「認められたい」「特別な存在になりたい」という強い承認欲求がある。これは、シドウパレスにおける明智の発言からよく分かることである。
怪盗団との戦闘前に、明智は「獅童は俺が責任をもって生き地獄に突き落とす」という復讐の内容を示唆する発言をしているが、復讐の前段階には「自分の存在を獅童に認めさせる」というステップが組み込まれている。このことからも分かるように、明智の復讐心は強い承認欲求に由来するものなのである。
また、ロキの人を暴走させる力からも明智の考え方を分析することができる。丸喜の「理不尽な現実に苦しむ人々を救いたい」という心が”曲解”の能力を生んだように、明智の「他人を利用してでも復讐を果たしたい」という心が”精神暴走”の能力を生んだのではないだろうか。能力の内容から明らかなように、明智は作中でその力を自分のためだけに使用した。
理不尽な現実に抗うことのできる力を「誰かに望まれたい」という自分の欲求のためだけに使う明智の姿勢は、後述する怪盗団の美学とは正反対の姿勢であり、ゆえに(シドウパレス時点で)明智と怪盗団は相いれないのである。
以上、明智の言動について分析した。
主人公と怪盗団
この項目では、明智と対比関係にある主人公と怪盗団の信念と正義についての分析を行う。
作中での主人公
本作で最も強い信念を持つ人物のうちの一人、それが主人公である。
冤罪により傷害の前科を被り、前科を理由に社会から不当な扱いを受け、怪盗団として活動する中でも理不尽な目に遭い続けた主人公だが、(ゲームをクリアした世界線において)彼は一度たりともその信念を曲げることは無かったのである。
鴨志田シャドウに竜司が殺されかけたとき、明智らに嵌められ絶体絶命の状況に陥ったとき、大衆から拒絶され自分の存在を無かったことにさえされたとき。どんな理不尽にも屈せず、主人公は自分の正義を貫いた。
冴に仲間の情報を売るよう言われたとき、統制の神から取引を持ち掛けられたとき、明智を人質にとった丸喜に自分の現実を受け入れるよう言われたとき。どんな誘惑にも惑わされず、主人公は自分の信念を貫いた。
理不尽な現実に抗い、理不尽な現実に苦しむ人々を救わんとする姿勢を貫いた結果、その信念に共感する仲間を得、仲間との絆が主人公の信念をより強固なものとし、その信念で難局を打破し、世界をも救ったのである。
話を盛っているように聞こえるかもしれないが、実際そうなのだから仕方がない。確固たる信念を持ち、自分の道を自分で決めることができる。主人公はこのような人物であると私は解釈している。
ゆえに、確固たる意志を以て8股をかける。
信念と正義
前段落で述べたが、改めて主人公、並びに怪盗団の信念と正義について整理する。本段落では信念と正義を包括したものを美学と呼称し、その美学についての分析を行う。
怪盗団の美学、それは
理不尽な現実から目を逸らさずに立ち向かうこと
理不尽な現実に苦しむ人々の助けとなること
他者に縛られず、自分の信じた道を行くこと
であると私は考えている。
事実、怪盗団はこの美学のもと、物語後半の様々な難局を突破している。
怪盗団は主人公の信念に共感した者達によって構成された集団であるため、その美学は元来主人公に備わっていたものと考えてもよいだろう。信念が仲間に共有され、ともに難局に立ち向かうなかで信念が美学へと昇華されたのである。
小括
以上で主人公の信念と怪盗団の美学を分析をしたが、本考察にあたり主人公と明智を比較する上で特に重要になってくるのは
理不尽な現実に苦しむ人々の助けとなること
他者に縛られず、自分の信じた道を行くこと
という美学の内の2項目である。主人公を含めた怪盗団は他者に縛られることなく、人の為にその美学を実践するのである。
他者に望まれる為に行動する明智と、「誰かの為に」という信念を自らの意志でを実践する怪盗団。この2者は似ているようで正反対の立場にいるのである。
コラム
「他者に望まれる為」と「誰かの為」
って同じでは?
と、思ったそこのお前!「お前の為」に若干の補足を付け加えておく。特に引っかからなかったそこのお前は、次の項目に進んでも良いだろう。
2者の違い、それは「他者からのレスポンスを期待しているかどうか」である。前者は「望まれる為」なのだから、他者からのレスポンスを強く期待するものである。対する後者はそれを期待しない、むしろ度外視するものである。
「あなたの為に怒っているのよ」と、親に一度は言われたことがあるのではないだろうか。それが最もわかりやすい例であろう。
これは、”他者に縛られず、自分の信じた道を行くこと”という怪盗団の美学のうちの一つに通じることである。
主人公と明智
この項目では、主人公に対する明智の心情を主人公と明智の対比を踏まえたうえで分析する。
2者の対比
明智の発言からもわかるように、主人公を含む怪盗団と明智は「理不尽な大人の犠牲者であり、それに抗う意志と力を持っている」という点で共通している。彼らの中でも主人公と明智、双葉と春は奇しくも同じ人物、獅童正義に人生を狂わされている。
作中でも、10月に明智が怪盗団と接触した際、彼らは”理不尽な現実から目を逸らさずに立ち向かう”という志を共有している。
また、ありきたりではあるが、主人公と明智は負けず嫌いであるという点でも共通している。後述するが、この共通点は彼らがライバル足りえる理由の1つである。
負けず嫌いな性格と現実に抗う志を共有する彼らだが、そこにはもちろん相違点も存在する。その最たるものの1つは仲間の存在であろう。
主人公は理不尽な現実に抗う力を得たとき、その力を人の為に使った。怪盗団の仲間や惣治郎を筆頭とした協力者、ひいては大衆をその力で救い、彼らと結んだ絆で難局を打破し世界を救ったのである。
対する明智は、その力を自分のためだけに使った。復讐を果たすために廃人化や精神暴走を繰り返す明智に仲間ができるはずもなく、彼は最期まで独りで戦い続けることになる。
仲間とは、その信念を共有し、互いに認め合い協力し合える関係であると私は考えている。「認められたい」という欲望のままに力をふるった明智に仲間ができないというのは、なんとも皮肉な結果であろう。
2者の大きな相違点、そのもう1つは「心が自由か否か」にある。
心の自由とは何を意味するのであろうか。それは、「他者に縛られず自分の本音に従うことのできる心の強さ」であると私は考えている。心の自由については、以下の項目で詳しく考察する。
以上、主人公と明智の共通点と相違点についておおまかに分析した。
相反する思い
主人公と明智の対比を踏まえたうえで明智の心情について考察する。11月の明智の行動を分析すると、正義コープ7,8の時点で明智は主人公に対して相反する2つの思いを抱えていることがわかる。その根拠となる場面を以下に記載する。
「...いや、そうはならんやろ。」
私の初見の反応である。ライバルとして決闘を申し込まれたと思いきや、2週間後には殺されかけるのである。
正義コープ8が進行可能になる11月時点で主人公を逮捕、暗殺する作戦は計画されていることを考慮すると、正義コープ8の明智は暗殺する予定の相手に決闘を申し込んでいることになる。てんでおかしい話である。
では、尋問室での一方的なやりとりが決闘であったのか?
否である。事実、主人公も明智もシドウパレス時点で「決闘はなされていない」と認識している。そもそも、一方的な銃殺が決闘である訳がないというのは明らかであろう。
では、正義コープ8における発言はすべて嘘であったのか?
否である。嘘である訳がない。正義コープの内容から明らかなように、あのシーンでの明智の発言が本音でないはずがないのだ。
ならば、暗殺する予定の相手に決闘を申し込むという一見訳の分からない行為に及んだのは、前述したように、明智が主人公に対して相反する2つの思いを抱えているのが理由だと私は推察したわけだ。相反する心情が矛盾した行動を誘発したのである。
以下ではその2つの心情について考察する。
主人公への対抗心
相反する思いの1つ目は主人公に対する対抗心である。これは正義コープでよく描写されている。
正義コープを分析すると、主人公は常に明智の予想を超えてくる存在であったことがわかる。洞察力等の人間力、異世界におけるペルソナ能力、明智らの罠に嵌り、絶望的な状況に陥ってもなお抗い続けその状況を打破する信念の強さ。そのすべてが、明智が予想だにしないものであったのだ。
「理不尽な大人の犠牲者であり、それに抗う意志と力を持っている」という同じ境遇にありながらも自分を超えようとする主人公に、負けず嫌いな明智が対抗心を燃やすのは当然といえるだろう。
ライバルとは、互いに認め合い競争し、高めあうことのできる関係であると私は考えている。「認められたい」「特別な存在になりたい」という欲求を持つ明智にとって、主人公との関係はある意味で心地の良いものであったのではないだろうか。
(とは言っても、明智は認め合うだけの関係を主人公に望んでいるわけではないだろう。あくまでも、主人公と明智の関係の本質は「互いに競い合うライバルである」という点にある。)
主人公への憎悪
相反する思いの2つ目は主人公に対する、嫉妬心からくる憎悪である。
前述したように、自分の為だけに力を使った明智は仲間を得られず、人の為に力を使った主人公は美学を共有する仲間を得た。仲間に囲まれ認められる主人公の姿は、強い承認欲求を持つ明智の目にどのように映ったのだろうか。
自分と同じ境遇であったにもかかわらず正反対の道に進み、その先で認め合える仲間を得た主人公は、明智にとって認めるわけにはいかない存在なのである。主人公を認めるということは、自分が進んできた道を、その道を選んだ自分自身さえをも否定することに他ならないからだ。明智は主人公を認めるわけにはいかなかった、憎悪せざるを得なかったのだ。
明智は主人公に対して、互いに認め合い競い合うライバルとしてありたいという思いと主人公を認めるわけにはいかないという思い、相反する思いを抱えていたのである。
心の自由
主人公のライバルでありたいという明智の心情は紛れもなく本当の思いであったに違いない。しかし、その思いは彼の憎悪と復讐心が許さないのだ。明智が主人公を殺すことにこだわったのは
主人公は自分を否定する存在である
主人公の存在は自分の復讐の邪魔になる
以上の2点が理由である。
嫉妬や憎悪、復讐心は全て明智の承認欲求、つまり「認められたい」「特別な存在になりたい」という欲求に根差す心情である。他者の評価への執着心が、主人公のライバルでありたいという明智の思いを邪魔しているのだ。心が自由でないのである。
2者を対比した段落で述べたように、心の自由とは「他者に縛られず自分の本音に従うことのできる心の強さ」である。心が不自由な明智は、自分の本音に従って決めた道を進むことができる主人公を心の底から妬み、羨んでいたのだ。
以上、明智が抱える相反する思いと心の不自由さについて考察した。
シドウパレスにて
シドウパレスで怪盗団に敗北した明智は主人公に獅童の改心を託し、パレス内の認知上の自分との相打ちという形でその人生に幕を下ろした。この間に彼の心情は大きく変化する。
その心情変化を物語を追いながら分析する。
明智の最期
怪盗団との激闘の末、明智は敗北。全力を振り絞ってもなお主人公を否定できなかった明智は彼を認め、主人公への羨望を露わにした。
獅童への復讐を果たせず、主人公を否定することもできなかった明智は、仲間に囲まれる彼を見てこう呟く。
”結局、特別な存在になんて、なれなかった。”
明智のその言葉を、怪盗団のみなが否定する。
”十分すぎるくらい特別だろーが。”
”悔しいけど、知恵も力も私たちの誰より優れてる。私は、あなたの才能が羨ましかった。”
”あなたのこと、わからない訳じゃない。奪っていった大人を見返したいっていう気持ち。”
”だが、いざ叶える力を得たとき、
お前は自分の為だけにを使った。”
”一人で複数ペルソナとか、オマエ多分、
ジョーカーと同じ才能もあったんじゃね?”
”邪魔されんのは困るし、
いっそのこと、一緒にケジメつけにいく?”
怪盗団のみなは自分のためだけに力を使った明智を咎めながらも、明智の「理不尽な大人への怒り」に共感し、それに抗う強さや主人公らを陥れた知恵を特別なものであると認めたのだ。美学を完全に共有する仲間としてではないが、理不尽な現実に抗う同志として彼を認めたのだ。
カリスマ名探偵として活躍していた明智は、大衆から「特別な存在である」と認められていたことだろう。しかし、大衆に認知されているのは嘘で塗り固めた自分であり、本当の自分が認められたことは今までになかったのではないだろうか。
この場面は明智にとって、本当の自分が特別な存在であると初めて認められた場面であり、「認められたい」「特別な存在になりたい」という18年来の願いがかなった場面であるのだ。この時点で強い承認欲求に根差した主人公への嫉妬心と、それに伴う憎悪は霧散していたことだろう。
だが、ここで終わらないのがペルソナ5である。怪盗団に敗れた明智を始末すべく、彼の背後から獅童の認知上の明智が現れる。
敗北した明智に対する容赦のない言葉と共に、獅童が思う明智の姿が認知明智の口から語られる。
”オレも船長の為なら
いくらでも罪を被って死ぬ気だし。”
”そうとも、俺は人形さ。けどオレが人形なら、ほんとの人形はお前だろ。”
”認められたかったんだろ?”
”愛されたかったんだろ?”
”お前はさ、ハナから人形だったんだよ。”
獅童にとって、明智は都合のいい人形であったのだ。認知の異世界で強大な力を持つ明智といえど、現実世界ではただの高校生である。
「利用するだけ利用して、用が済んだら都合の悪い事実ごと消す。」
獅童が考えそうなことであろうし、実際獅童はそう考え実行に移している。
明智であれば、獅童がそう企んでいる可能性に考え付くこともできただろう。しかし、この場面から分かるように、獅童に利用され用済みになれば殺されるなどと明智は思ってもいなかったのである。
復讐のために獅童に協力していたはずの明智は、いつのまにか利用されるだけの人形に成り下がっていたのである。自分の意志で歩いていたつもりが、その実、「認められたい」「愛されたい」という欲求を利用され、獅童の手のひらで踊らされていただけだったのだ。承認という罠に嵌まっていた明智が、自分にとって都合の悪い事実に気づけなかったのは当然のことであろう。
”はは…俺は、ほんとにバカだったよ。”
認知明智に怪盗団を撃てと命じられた明智は、主人公に銃口を向ける。
”そう、それが船長の望む、お前だ。”
認知明智がそう告げた、次の瞬間
”…勘違いするなよ。”
”消えるのは、お前だっ!!”
明智はジョーカーではなく認知明智を銃撃。続けて銃弾で非常用システムを作動させ水密隔壁を閉鎖。シャドウを引き連れた認知明智と怪盗団を隔壁で分断し、当の明智は認知明智側に取り残されることとなった。
獅童からの評価を願うあまり獅童に利用されるに至った自分の愚かさを自覚した明智は、認知明智の言葉を自分自身の意思で否定して見せたのだ。
認知明智と大量のシャドウに単身対峙する明智は、怪盗団を助けた見返りとして1つの取引を持ち掛ける。
”獅童を…改心、させろ。”
”俺の代わりに、罪を終わりに…”
”頼む…!”
獅童に自分を認めさせ復讐するためではなく、獅童が積み上げてきた数々の罪を終わりにするため、「理不尽な現実から目を逸らさずに立ち向かう」という信念のもと、その志を共にする怪盗団に獅童の改心を託したのである。誰にも縛られず、自分の意思で。
明智の言葉を聞き届けた主人公は、決闘の約束を果たせと彼に言い放つ。
「俺たちは未だにライバルだ」と、「ライバルとしての勝負はまだついていない」と、主人公の言葉にはこういった意味が込められているのではないだろうか。主人公とのライバル関係を望んでいた明智が、この言葉を受けて笑みを浮かべるのも当然といえよう。
怪盗団のみなから特別な存在であると認められ、主人公からライバルであると認められ、承認欲求という名の檻から抜け出した明智は再び立ち上がり、「人形としての自分」である認知明智に銃口を向ける。
”最後の相手が、『人形だった俺自身』か…”
”俺は…!”
隔壁の向こう側で、2発の銃声が鳴り響く。
”反応が…もう無い…”
"ザコどもの分しか…感じない…"
小括
以上がシドウパレスにおける事の顛末である。
主人公ら怪盗団に敗北したことにより憎悪の炎は燃え尽き、怪盗団に認められたことで欲求の餓えが満たされ、自らの愚かさを自覚した上で復讐心を打ち捨てた。そして最後には認知明智を、「人形であった自分自身」を打倒したのである。
怪盗団との戦闘後に起きた様々な出来事、そのひとつひとつが明智を縛る鎖を断ち、最後には自分自身の意志で他者に縛られていた自分と訣別するに至ったのである。最期の最期で、明智は心の自由を手にしたのだ。
以上、シドウパレスでの明智の心情変化について考察した。
2月2日の夜
この項目では、2月2日の明智の言動について主人公の心情を踏まえたうえで考察する。これまでは明智に焦点を当てた分析と考察を行ってきたが、以下では主人公に焦点を当てた分析と考察を行う。
信念の揺らぎ
主人公の信念について分析した段落で「本作で最も強い信念を持つ人物のうちの一人、それが主人公である」と述べたが、彼の信念は揺ぎ無いものであった訳ではない。これは冴や統制の神、丸喜との取引の様子からわかることである。
いずれの取引においても相手の要求を受け入れる選択肢、つまり自分の信念を曲げることになってしまうような選択肢が存在しているのだ。
ゲームシステム的にそうなっているだけだろうと言われてしまうと元も子も無いのだが、この選択肢を主人公の思考であると捉えることはできないだろうか。自分の信念を曲げて彼らの取引に応じる、そんな可能性が頭に浮かんだからこそこれらの選択肢が現れたのである。
以上のことから、主人公の信念は強固なものではあるが揺ぎ無いものではない、ということがわかる。
主人公の思い
明智が主人公に対して並々ならぬ感情を抱いているということは、これまでの分析と考察でわかってもらえただろう。しかし、並々ならぬ感情を抱いているのは主人公にも言えることである。
これらのシーンには、明智をライバルとして強く意識し明智との決闘にこだわる主人公の心情がよく表れている。
明智にとっての主人公は唯一無二のライバルであるのだが、主人公にとっての明智も同様なのである。主人公には仲間や協力者が存在するが、ライバルと呼べるような存在は明智以外に存在しなかった。認め合い競い合うライバルという関係は主人公にとっても特別なものであり、ライバルである明智もまた特別な存在なのである。
そんな明智を、主人公は救うことができなかった。彼はそのことを酷く後悔しており、実際その心情を丸喜に指摘されている。
以上の分析からも主人公が明智に大きな思いを抱いていることがわかるのだが、これ以上に主人公の思いを描写しているものが存在する。それは、本作のエンディングテーマ「僕らの光」である。以下に「僕らの光」の再生リンクとその歌詞を添付する。一度、歌詞を見ながら曲を聴いてみるとよいだろう。
明智の曲すぎではないだろうか。もちろん歌詞の解釈は人それぞれであるし、そうあるべきであるのだが、ここでは「僕らの光」が2月2日の夜の主人公と明智の様子を描写するものである、という立場のもと考察を進める。
夢を夢と気づいた夜
君を見つめ瞼を閉じる
温もりも重ねた手も声も
目覚めれば微睡みへと消えて
「僕らの光」の始めのフレーズである。上で示したような立場で歌詞を解釈すると、「2月2日の夜、明智の存在が丸喜の曲解による産物であると気づかされた主人公」の様子を描写していることがわかる。
甘い甘いおとぎの国
君と会えた歪んだ世界
偽りの幸せでもいいと告げる口
君がそっと塞ぐ
2番の始めのフレーズである。この歌詞では、主人公の明智に対する未練と、丸喜の現実を受け入れようとする主人公を咎める明智の様子が描写されている。
僕らが二度と会えなくても
過ぎた時が痛みに変わっても
その痛みさえ超えていくよ
流す涙乘り越えより高く
3番サビのフレーズである。この歌詞は、元の現実で明智の死を痛感した主人公の、彼と2度と出会えないことへの悲痛とそれを乗り越えて前に進もうとする姿を描写している。
以上、「僕らの光」の一部分を上記の立場のもと考察した。
なんというか、表現がかなり、ものすごく重くはないだろうか?明智に対する主人公の思いが、ゲーム内で描写されているそれに比べて数段重いと私は感じたのだ。というか、実際重いだろう。特に初めと最後に挙げた歌詞。重いよ。
作中では、2月2日で覚悟が完全に固まったかのように描写されている(と、私は感じている)のだが、実際は明智への未練がたらたらなのである。
ゲーム内で描写しきれなかった主人公の感情を「僕らの光」が描写していると捉えるのならば、主人公は明智に対してクソデカい感情を抱いていると考えることができるだろう。
揺れる心
2月2日の夜、明智は曲解によって生み出された現実の一部であるということを、主人公は丸喜から聞かされる。
「僕らの光」の歌詞からもわかるように、この場面の主人公はかなりシナシナである。元の現実の明智は死亡しているということと、丸喜の現実を否定することは明智の生を否定することと同義であるという2つの事実を同時に突き付けられたのだから、シナシナになるのも当然と言えよう。
”僕は、自分の道は自分で決める。”
”誰かに作られた現実で、
一生飼い殺されるなんて御免だよ。”
”君は変わらず、丸喜と戦う道を選べばいい。”
”それとも、君はこの程度で
意志を曲げるようなやつなのか?”
うなだれる主人公を見かねた明智が彼に放った言葉である。ここで明智への返答として弱弱しいセリフを選択をすると、彼から怒りの籠った言葉が投げ返される。死すら覚悟の上で丸喜の現実を否定するのだと。自分で決めた道なのだから、お前からの哀れみなど必要ないのだと。
前述したとおり、シドウパレスで明智を救えなかったことを主人公は酷く後悔しており、それゆえに「丸喜の現実にしか明智は生きられない」という事実を受けてシナシナになるのである。そんな主人公の態度と言葉から、「自分は同情されている」と明智が思うのも無理はないだろう。
主人公にとって、シドウパレスでの明智の死は「彼を救えなかったことの結果」であるのだが、明智にとっては「救われた上で、自らの意志に従った結果」なのである。
明智は怪盗団がいたからこそ他者に縛られていた自分の愚かさを自覚し、最期には心の自由を手に入れることができたのだ。明智にとっての死は、ようやく得た心の自由のもと、自らの意志で選択した道の行き着いた先の結果であったのだ。ゆえに、他者に哀れまれる道理などひとかけらも存在しないのである。
明智の怒り、それはライバルという対等な関係であるはずの主人公に同情されていることに対するものでもあるのだろうが、自分の死を「救うことのできなかった結果」と考えるその姿勢に対するものでもあるのだろう。
明智の怒りの訳は前述したものが全てでは無い。もう1つの理由は、明智が放った次のひと言に集約されている。
”君が迷うことは…僕への裏切りだ。”
この言葉に心を抉られたのは私だけではないはずだ。かなりエグいひと言である。丸喜の現実を受け入れること以前に、もとの現実と丸喜の現実を秤にかけていること自体が自分への裏切りであると、明智は言っているのである。
明智がライバルと認めたのは「確固たる信念と共に前に進み続ける主人公」であり、かつての明智の嫉妬は主人公の心の自由さゆえのものである。
そんな主人公が、「理不尽な現実から目を逸らさずに立ち向かう」「他人に縛られず、自分の信じた道を行く」という信念を曲げて丸喜の現実に身を委ねようとすること、それに飽き足らず、明智がようやく得た心の自由のもと選択した道を他の誰でもない主人公が肯定しないということは、彼にとって裏切りに他ならないのである。
「お前は、自分がライバルとして認め、自分がかつて羨み憎んでいたお前であれ」と、明智は言っているのである。
あの言葉を言い放ったのち、明智は主人公に丸喜の現実を受け入れるのか否かを答えさせる。すぐには答えを求めなかった丸喜とは対照的に、明智は今この場で答えを出すよう求めた。
ここで”丸喜と戦おう”を選択すると真エンド√が確定する。
明智の覚悟と主人公の決断
前述したとおり、2月2日の主人公は丸喜の現実を受け入れてしまいそうになるほどシナシナである。しかし、(真エンド√の)主人公は丸喜と戦う道を選んだ。何がそうさせたのだろうか。
主人公は信念を貫くその姿勢で様々な人の支えとなってきた。理不尽な現実に抗うその姿勢が怪盗団の仲間や協力者たちを勇気づけ、彼らもまた主人公と同じ信念をその胸に宿すこととなったのだ。
12月24日のベルベットルームでの出来事がわかりやすい例であろう。大衆に拒絶された怪盗団の仲間たちが戦う意味と立ち上がる理由を見失いそうになったとき、絶望的な状況に陥ってもなお抗い続ける主人公の姿が彼らの支えとなり、結果彼らは再び立ち上がることができたのである。
では、2月2日の夜、挫けかけていた主人公の支えとなり、彼を再び立ち上がらせたのは誰であったのだろうか。
そう、明智吾郎である。
自分の死すら自分で選んだ道であると言い切り、自らの信念を貫き通さんとする明智の姿と言葉が主人公の支えとなったのだ。
「明智が前を向いて進もうとしているのに、自分だけ下を向いている訳にはいかない」
主人公はそう思ったからこそ丸喜と戦う道を選んだのではないだろうか。何故なら、明智は主人公のライバルであり、主人公は彼に置いていかれるわけにはいかないからだ。
2月2日の夜、主人公は明智がいたからこそ、信念を曲げずに丸喜と戦うという決断を成せたのである。
以上。2月2日の夜の明智と主人公の言動について考察した。
彼らの行方
丸喜の現実と共に明智も消滅することとなり、結果決闘の約束は果たされなかった。この項目では残された約束の意味について考察する。
三学期をクリアし、エンディングを見終わった誰もがこう思っただろう。
「決闘せんのかい!」と。
明智との決闘を期待しながらゲームを進めていた私にとって、この展開はかなりがっくり来るものであった。それに加え、「どういうことだ?」と困惑する私に追い打ちをかけるかの如くエンディング後のムービーで明智が出現するのだ。
明智は生きているのか。決闘はどうなったのか。以下ではこれらのことについての考察を行う。
明智の生死
結論は既に序論で述べているが、改めて私の立場を明示しておく。
明智吾郎は丸喜の現実と共に消滅し、
もとの現実の明智も死亡している。
これが私の考えである。理由は至極単純で、そうでないと私が納得できないからである。
シドウパレスにて、明智は獅童の人形として生き続ける道ではなく、過去の自分と訣別し心の自由と心中する道を選んだ。
丸喜の現実では、ぬるい世界で丸喜に支配されながら生き続ける道ではなく、消滅すら厭わずに自らの信念を貫く道を選んだ。
どちらも明智自身が進むと決めた道であり、その道は(明智の業ゆえに)死と消滅を受け入れなければ進むことのできなかった道なのである。
であるならば、明智の死を否定することは彼の覚悟を無碍に扱うことになるのではないだろうか。少なくとも私はそう考えている。
消滅を承知の上で前に進もうとしたのは明智だけではない。主人公もまた明智の消滅を受け入れ、乗り越えて前に進んだのである。明智のいる現実ではなく、明智のいない現実で前を向くのだと、2月2日の夜に決断したのである。
主人公や明智、怪盗団のみなが理不尽な世界の中でも前を向き、辛さや悲しみさえ糧にして進もうとするからこそ、ペルソナ5Rの物語は美しく魅力あるものなのである。
ゆえに、明智の死を否定するという考えはペルソナ5Rの美しさを損なう考えであり、私にとって受け入れがたい考えなのである。
以上、明智の生死に関する私の考えを述べた。
残された約束とその意味
明智が死んでいると考えるならば、決闘の約束はどうなるのであろうか。私は、決闘それ自体が行われることが重要なのではなく、決闘の約束をし、その約束の証が残っているという事実が重要なのだと考えている。
明智が死んでしまっていたとしても決闘の約束は手袋という形で残っており、約束の証が残っているならば勝負はまだ終わっていない。
明智と主人公は未だライバルなのである。
では、約束の証である手袋はどんな意味をもっているのだろうか。何の変哲もない解釈にはなってしまうが、手袋は明智の形見であると私は考えている。
「明智が前を向いて進もうとしているのに、自分だけ下を向いている訳にはいかない」
こう思ったからこそ主人公は丸喜と戦う道を選んだのだと前段落で述べた。2月2日の夜、主人公がこの道を選ぶことができたのは明智が隣にいたからである。
ライバルである明智を前にして信念を曲げるわけにはいかないと思ったからこそ、明智の消滅を受け入れ前に進むことができたのである。
(念押ししておくが、主人公の決断は明智に認められたいが為、などでは決してない。明智がどう思うかではなく、主人公自身が前を向くべきだと思ったからこその決断である。)
手袋は明智の形見、すなわち、2月2日の夜に主人公を支えとなった明智の代わりなのである。
エンディング後のムービーでは以上に掲載したような意味深な描写がなされている。これはどちらも幻覚であり、主人公の覚悟の現れであると私は考えている。
自分のライバルであると同時に支えでもある明智の存在と、理不尽な現実に対して抗い前に進み続けた「ジョーカー」としての自分を改めて思い返し、それらが紡いできた信念をこれからも貫き続ける、という覚悟がこのシーンに表れているのである。
主人公は年度の終わりに東京を離れ地元に帰ることになる。冴や仲間の尽力によって前科がなかったことになったとしても、地元ではレッテルを貼られ、腫物扱いを受けることになるだろう。高校を卒業したその先でも理不尽な目にあい、その理不尽から目を逸らしてしまいそうになるかもしれない。
しかし、彼には約束の証、明智の形見である手袋がある。手袋を見るたびに2月2日の決断を思い出し、「明智と共に選んだ現実で自分が下を向くわけにはいかない」と思い直すのだ。
この先どんな理不尽に遭おうとも、約束の証を持つ主人公が信念を曲げることは無いだろう。約束の続く限り、彼らはライバルであるのだから。
終わりに
以上、明智吾郎に関する考察を行った。この考察はあくまで私の考えであり、決して答えを与えるものではないということを一応念押ししておく。
当初は決闘の意味のみを考察するつもりであったのだが、あれやこれやと考えているうちにシドウパレスや怪盗団についての話まで広がってしまった。しかし、これはこれで良いものが書けたのではないかと私自身満足している。
自己満足の記事ではあったが、ここまでご精読いただいたこと真に感謝する。
以上