あの頃のGLAYだ~BRIGHTEN UPを聴いて~
こんにちは。
始めたてはテンションが上がるもので連続更新。
三日坊主にならないよう気長にやっていこう。
※当方音楽ブログではありません。
さて、今回は楽曲レビュー。
アルバムレビューでもない、楽曲のレビュー。
今回の記事は何も見ずに書く完全に俺の感想。
この曲との出会いは偶然。
Spotifyおすすめに出てきたGLAYのニューアルバム
『BACK TO THE POPS』
過去への回帰?音楽性の変化?を想起させるタイトルである。
その中でたまたま再生ボタンを押したのがBRIGHTEN UPであった。
筆者はアルバムを平気で7曲目から再生する人間である。
正直、驚いた。
今年聴いた曲の中で一番ハマっている。
あの頃のGLAYなのである。
GLAYといえば世間のイメージは90年代後半だろう。
誘惑、HOWEVER、雪景色、手を広げるTERU。。。
筆者は世代的に00年代後半直撃。
GLAY×EXILEが大好きである。
ええ、大好きですよ。
ここでいうあの頃とは90年代後半から00年代後半を指す。
バンドというのは長く続けているといろいろな変化があるものだ。
音楽性の変化、サウンドの変化、声質の変化、、、
良い悪いの話ではない。
そんな変化を楽しめるのもバンドの魅力である。
しかし今回の曲は度肝を抜かれた。
イントロでもう確信する。
遠くに聴こえるさわやかなシンセに乗る優しく歯切れのいいギター。
奥行きを感じさせる空間エフェクトのボーカルにサンズアンプのかかったベースの高音。
GLAYである。
あのGLAYなのである。
筆者のイメージでは、近年のGLAYはフォーク、歌謡曲、パンクといったところ(もちろん音楽的には違うが、熱量やメッセージはこんな感じ)。
この曲はそのイメージを覆す、
ポップスの心を持ったロックバンドGLAYなのだ。
Aメロ→Bメロ→サビの王道展開。
特にサビの疾走感はたまらない。
筆者はこのサビのようなズタズタドラム+キャッチーなメロディが大変もう、あの、なんというかもうめちゃくちゃ好き。なんでこんなにツボ押してくるの?
さて、パートごとに分解していこう。
まずはボーカル。
本当に驚きでしかない。
TERUの声質が変わらないのだ。
同世代だとHYDE等変わらないアーティストもいるが、TERUのこのTERU感。
キャラクターがわかるこの声を30年以上維持しているのは脅威でしかない。
ベースは安定のJIRO。
先にも述べたがサウンド面では特にイントロ、
これがJIROなのである。
ルート弾きを中心としつつもBメロや間奏の動くフレーズ、ドラムとシンクロする計算された間の取り方、流石としか言いようがない。
そして今回一番驚きだったのがギターである。
どちらがHISASHIでどちらがTAKUROかわからないのである。
GLAYといえばLがHISASHI、RがTAKUROくらいのイメージであった。
音楽的に90年代はHISASHIがリード、TAKUROがバッキングといったおおよその住み分けがあった。
00年代以降はHISASHIがデジタル、TAKUROがブルースというバンド内にとどまらず、各々が個々のギタリストとして存在感を増していった。
そして今回のBRIGHTEN UP、どちらがどちらがわからない。
これはどういう現象だろう。
イントロの単音フレーズはGLAY展開からいえばHISASHIなのだろうが、TAKUROサウンドにも聞こえるのである。
(そうすると頭のHISASHIっぽいギターはTAKURO?)
サバイバルのイントロと同じパターンと言えばわかりやすいか。
というか、全体的にギターがブルージーなのである。
わずかなズレ、グルーヴを感じるのである。
もっと言えば、HISASHIのサウンドと
TAKUROのザラつきが融合しているのである。
長い歴史を通じ、本当に面白い変化である。
「HISASHI」と「TAKURO」がゲシュタルト崩壊してきた。
歌詞は過度にメッセージ的でなくいい意味でとても軽い。
フレーズ選びが上手く軽やかに聴くことができるのもあの頃のGLAYを感じる。
ちなみに歌詞の内容よりフレーズ選びとキャッチーさに重きを置くのはBOØWYの影響と考えている。
さて、いろいろ書いてきたが、とにかくこの曲はたくさんの人に聴かれるべきだと考えている。
そして改めて思うのが、筆者の思うGLAYらしさとは
・TERUの声質
・ベースの音色
・ギターの絡み
・キャッチーさ
といったところか。
せっかくだからまたGLAYを深堀しようと思う。