【幸せの】価値観とは
🐈⬛段々と冷え込みが進む11月も終わりのとある朝、温もりが恋しいなと、ある事から "幸せ"について主様と談義する。「幸せとは、何かの状態を指すのではなく "在り方"だよ」と教わる。大事なモノは目に見えないから、自分を好きで居られる様に、日々の変化にも感謝出来る様に…そんな感情にも気付ける様に…主様は見た目のクールさとは裏腹に、反応が早いし、意外にも内側は熱いヒトなのが私は嬉しいし、大好きな部分でもある。
私が思うに”幸せ”とは…先ずは、心が「ほくほく」している状態。「ほわほわ」でも良いかもしれない。そしてそんな状態にある「自分」を感じる事が出来て「気持ちイイ」或いは「楽しい・愉しい」と思える事。主様は常々「モノはいつか壊れるけど、思い出はなくならない。最高のコスパだ。無駄を楽しむ、時間を浪費するのもまた人生。その最高の思い出を作る為に、今はきちんと稼いでいたいし、そこにお金を掛ける事がその人にとってとても贅沢なモノでなければ、支払う意味もないんだよ」・・・。
確かに、あくせく働いたところで、何にも代えられないのでは真の幸せとは何なのか?と自分を責めてしまうかもしれない。ただ、美味しいものを食べられたり、少し贅沢な体験を味わえたり…ほんの少し感じ方が変わるだけで「幸せ」には近づける。でも、それはその瞬間の本人の感情の持ちようや、生活環境、状況に於いて余裕がないと生まれないモノかもしれない。
来年の話だけど、とてもワクワクして心が躍りだしそうなイベントを発見!主様に話すと「次は行こう!などと考えず、すぐに行動しなさい」と言う。こういうモノにこそお金は使うべきだと。その時芽生えた感覚を大事に、後回しにしてはいけない、と教わるとある12月の始まり。
🐈⬛うちの関係性は、D/sの括りだと認識してる。初めこそ、自分と同じくらいの熱量を持ってこの関係性に執着して欲しいと思っていたけど、時を重ねた今は、主に対して同じ重さで居て欲しいとは思わない。主がブレない限り、私の想いは変わらないし、きっとそこに永遠に、そして何度も同じ様に恋をする。だから、私の一方的な想いさえ 深く強ければ、それでいい。
先日、私が強請った自分用のお誕生日の品が届いた。主様の誕生石と、私の誕生花が 1本に繋がったブレスレット 。私は首輪を好まないので、以前主様の声で頂いた言葉(ほぼプロポーズな言葉!)の波形で作ったブレスレットを従属の証として肌身離さず身に着けている。その品と並べて着けようと企んでいる。大事なモノがまた一つ増えて、この品は、次の逢瀬で主様に着けて貰うんだ。
実は、誕生日は10月。だったけど、特に欲しいモノもなくその月は、色々忙しく逢えなかったから、そのままになっていた。だけど、このブレスを見つけて主様に強請ったら、快諾してくれたので嬉しかった。私達のこの関係性では、残るような「品物」を贈ることがとても難しい。モノより想い出派の主様だけど、私は薄れていく記憶を呼び覚ます為のツールの一つとして、やはり残るモノも相応に持っていたいと思っている。写真や音楽、映像や言葉…本当は、これらを残すのはリスクでしかないのだろうけれど…。
🐈⬛11月の終わりに…大好きだったアーティストがまた星になった。立て続けに重なる大好きな人々の訃報には抗えないけど、それぞれの生き様は私を含めた多くの人々に多大な影響を及ぼしている。主様が 「いつ、その最期が来ても満足だった、と言えるように 気持ちだけでもそう 生きないとな」なんて。本当に、仰る通り。私には最期まで貴方を 悦ばせる使命があるから。
私はどちらかというと、出来れば「看取りたい」と思う。最後の最期まで、余すことなく貴方の全てを感じていたい。ただ、私の方が順番的には先だし、若い貴方が先に逝くのは心情としては辛いところ。なんて言うと「え?俺が先に逝くの?」とまたもやツッコむ声が聞こえてきそうだけれど。笑
そんな事を考えていたら、もう無性に逢いたくなってきた…(定期)! ふわふわの髪の毛を、もしゃもしゃしたいし、バキバキの身体をやわやわに解したい。マッサージの動画を見ながら あれやこれやと妄想多めで、自分の手で快楽へ誘いたい。
早く逢いたいと、毎日飽きもせず願うばかりで、こんな気持ちだけは無くなったり薄れたりはしないものなんだなぁと、しみじみ思う。ふとした瞬間に、主様の仕草や表情を思い浮かべ、独りニヤニヤしてしまうし、なんなら幻聴も聞こえてきそうに思える…それだけでもう幸せ。あの優しくも、少しだけ冷たそうに響く声が、全身に沁みついていて「あぁ、もうこの声無しでは生きていけないなぁ…」と我ながら思う。
会社の忘年会の時期。「お料理がとても楽しみなんです」と話すと、主様の好きな料理は何だろう? から始まり、逢瀬の日に一緒に食べたいなぁなどと発展していく。普段の逢瀬では、なかなかゆっくり料理を味わう時間が取れないので「そんな日があってもいいね」と話す。「食べる」という行為は、 淫靡さも直結してると思うの。そんな風に、普通の会話から楽しめる。私達は、こんな雰囲気。
🐈⬛コミュニケーションって、先ずはお互いに「話す」事から始まる。勝手な憶測で、自分が扉を閉ざしてしまうのは 少し勿体ない。話し、聞きあいこをしてみてから判断しても遅くはない。どちらを選ぶかは 話せた後で良い。私は、人見知りはしないけれど食わず嫌いみたいなところはある。ある程度、人を観察してしまうし、初めから何もかもを曝け出せるような人間でもないから。
そんな会話から、主様と「モチベが上がるのはどんな話か? 」という件についてやり取りする。「やっぱり話していてワクワクしたいよね!共感も出来つつ 自分が興味惹かれる、又は知らない事を学べる、そんな話が出来るような熱い人と話すと自分も熱くなれそう!」そんな会話が出来るとやっぱり嬉しいものだと思う。実は、主様もクールな外見に反して、意外だけど中身はとても熱いひと。だから、冷静だけど熱い話が出来る主様は、私にとって最高にテンションが上がるのです。
心はいつも主様の懐の中。ぬくぬくと温められ、たまに「暑い!」と手足を投げ出してみると、しっかりと正して嗜められながら「主様」という深くて広い 器の中でくるくると泳ぎ続け、溺れる感覚が心地好い。いつまでも浸っていたい、貴方の中で。
「人間家具」について話す。世の中には様々な性癖があって、様々な趣味の方が居るけれど "モノ"として扱われる悦びとは どういう感覚なんだろう?私にはまだまだ未知の世界。その深層心理が気になる。主様専用の家具になれた時「わたし」自身はどう思うのだろう?
🐈⬛be continued🐈⬛