加賀楓さんの「モーニング娘。らしさ」、あるいは加賀楓さんが与えてくれていたものについて
加賀楓さんの「モーニング娘。らしさ」について
私は加賀楓さんを3年ほど推してきて、加賀楓さんをある意味で最もモーニング娘。らしい人だと感じてきました。ある意味で、とは最近のモーニング娘。の、つんく的自己啓発ソングの登場人物らしい、という意味です。
つんくさんの自己啓発ソングに私が読み取ったのは、箇条書きすると、以下の5点になります。
①自分に厳しい、目標の達成まで努力する
②過度な自己否定も自己肯定もしない
③②に関連して、極論のどちらかだけが正しいとは言わない
④自分は自分、他人は他人という軸がある
⑤本音は出さないけれど、言うべきことは言う
これらについては、実際のつんく曲の歌詞を引用して説明すべきかもしれないですし、該当する曲も浮かんでいますが、ここでは割愛します。(②については、自己肯定しているじゃないか、という意見もあるかと思いますが、イメージとしては70点のものを高くも低くも見積もらないということです)
この5点を、よくある自己啓発的な本になぞらえると、①は飛ばすことになるのですが、
②自己肯定感、自己効力感
③白黒思考をしない(認知の歪みを正す)
④課題の分離、自他境界をつくる
⑤アサーショントレーニングやソーシャルスキルトレーニング
に該当するのではないかと考えています。
※私は諸事情あって精神科に通ったりカウンセリングを受けたりしたことがあり、その過程で関連する本を読んだことがありますが、心理学について詳しいわけではないです。
そして私は加賀楓さんの言動にも、このような要素を感じ続けてきました。(数日前までは、この5つが、とかはっきり考えていたわけではなく、なんとなくぼやぼやとそう思ってきた、程度です。)
こちらも実際の加賀さんの言動を引用すべきかもしれませんが、この文章の趣旨はそれではない上に、ぱっと思いつくのが④と⑤しか無いという惨状ですが、
④については、non-noのwebインタビューで、KOKORO&KARADAのダンスについて、「他のメンバーにここをこうしたほうがいい!と言いたいところもあるんですけど、それをやってしまうと今頑張って追求している個々の個性がなくなっちゃうので、ひたすら自分で実践しています(笑)」というように、他人の領域・個性を侵害しないという姿勢を示していますし、
⑤については、可愛く振る舞うことが苦手であるということを表明し、可愛いポーズを強要されると抵抗していました。(結局はやってくれていたのでアサーションにはなっていなかったかもしれませんが、個人的には苦手なことを表明してくれている、という安心感を持っていました)
ここまで、近年のモーニング娘。の自己啓発ソングと、加賀楓さんの言動には親和性がある、ということを見てきました。(見てきましたというほど肉付けはされていないですが)
実のところこの順番は逆とも言えて、私は加賀楓さんを通して、初めてつんくさんによる自己啓発ソングが響いた人間です。自分語りになって申し訳ないのですが、それまでの私は、「セクシーキャットの演説」で、セクシーキャットにお説教されている女の子(?)のような人間でした。そのとき既にアンジュルムのファンにはなっていて、他のハロプログループの楽曲を聴いて「モーニング娘。の最近の楽曲は暗いしよくわからない」と思っていたのに、加賀楓さんに「落ちた」瞬間に、モーニング娘。の楽曲の内容がわかるようになったのです。
自己啓発的な言葉は世に溢れているけれど、それを私に理解させ、腹落ちするところまで持っていってくれたのは、間違いなく加賀楓さんでした。
加賀楓さんが与えてくれていたものについて
そして、これ以降がこの文章の趣旨です。
今私は、私はこれまで加賀楓さんの何を見てきたんだろうか?と思っています。
卒業前の3日間のブログを読み、blt graphのインタビューを読み、またその他のweb上のインタビュー等も読みました。※以下ネタバレを含むのでご注意ください。
卒業を2019-20年には決めていたこと、ダンスを学んだことを誰かのために生かしたい思いがあること、モーニング娘。にいる自分への自己評価の低さ。(blt graphより)
「君のためならばなんでもしたげたいね」という歌詞に共感していること。(webザテレビジョンのインタビューより「私は自分のためより他人のために動きたいタイプで、いつの間にかそういう行動をしがちだって周りからも言われるし、自分でも若干自覚はあるんです。だから「君の為ならば なんでもしたげたいね」というサビの歌詞は、私の普段の行動を表しているようだなって思いました。」)
リミスタでの「目標と言われることが目標だった」という言葉。
遡ると、櫻井梨央さん加入にあたってのモーニング娘。'22講座での、「普段の行動や考えは、全て表情に表れます」という言葉。ひいては、「ラジリオ」で話していた楽屋での過ごし方など。
私は、加賀さんが「憧れられるような人になりたい」と言うとき、それはステージでのパフォーマンスや、外見上のものだと思っていました。でももしかしたら、精神的な面でも、それを目指していたのかもしれないと、これらの情報にふれ、ようやく思い至りました。彼女の「モーニング娘。らしさ」は、自然とそうなったのではなく、彼女の努力によって成り立っていたのかもしれない、と。
もちろん、どこまでが無意識的でどこからが意識的だったかは、わかりません。いや、無意識のように見えていました。しかし、アイドルという仕事がパーソナリティを切り売りする以上は、それが負担になっていなかったとは言い切れません。
私はここ1-2年の加賀楓さんを見ていて、自信がないと自己評価していると思ったことがありませんでした。それくらい、常に前向きで、ステージでは気迫のあるパフォーマンスを見せてくれたし、ふざけるところではふざけて楽しませてくれました。彼女の自信のなさに気づかなかったのは、私が加入当初(彼女が誹謗中傷を受けていたらしいとき)を見ていないからなのかもしれません。接触イベに行くようなファンでもなく、間近で加賀さんを見ていなかったからかもしれません。2019年ごろは、まだ自信のなさが見え隠れして、共感して好きになったところも、あったはずなのに。
加賀さんがずっとグループのためを思って活動してきたことは、私もわかっていました。だから卒業発表があったとき、私は彼女が自分のために道を選ぶことができてよかった、と思いました。そこに「誰かのために」という思いがあることに、気付くことはできませんでした。
加賀さんは、私が思っているより遥かに、誰かを思って行動していました。(100%誰かのためでもなければ、100%自分のためでもないという、当たり前のことなのかもしれませんが)
加賀楓さんが与えてくれていたものに、私は十分に気付けていただろうか、いやいなかったのではないかと、思っています。
加賀さんは、パフォーマンスであれ対人関係であれ、常人には難しいことでも、さらっとやってのけているように見えるのです。自分のためより他人のため、を、苦もなくやっているように見えてしまっていました。だから、いつのまにか、彼女が与えてくれるものの大きさを、忘れてしまっていました。
卒業コンサートのソロ歌唱で、加賀さんはGive me 愛を歌いました。愛について、モーニング娘。の楽曲は何度も言及してきましたが、私は考えることを判断保留してきました。でも、推しが愛について歌ったなら、ファンは何かを考えざるを得ません。(別に深い意図はないかもしれませんが…)
私は加賀さんからもらった自己啓発的な考え方を、自分の弱い心を守るために使ってきて、それが悪いわけではないんだと思います。でも、加賀楓さんは、自分の能力や経験を、常に周りにgiveしてきたんだと思いました。それはつまり、加賀さんが周りを愛してきたということだと思いました。
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