TOEIC勉強をはじめたきっかけの話
今回は、終盤まであんまり英語ネタが見られないテイストです。
えすえすのお話に興味を持っていただけたら、このままお進みください!
ここから、5年前の冬に起こり、その年末に一応受け入れて、
そこから約4年半くらい忘れていた「えすえすがTOEIC勉強をはじめたきっかけ」について書きたいと思う。
たぶんだいぶ変わっていると思うのだけれど、「転職のため」とか「自己実現のため」とは正直ちょっと異なる。
「必要に迫られて」はいたと感じている。
一人の推しがいなくなったことを受け容れて、感情をいったんでも手放せて、新しく何かを始めようと思った話。
ストレスのループで本格的に勉強を続けようと思った日々より少し昔、
ただ現実にポッカリ空いた穴を埋める何かが欲しかった頃の話。
5年前の年が明けてすぐの冬、突然病で旅立った推しのお別れ会に参列した。
東北のほぼ北からみなとみらいへ向かい、その時までに訪れて一目惚れしていた七色に光る観覧車を、果てしなく虚無った目で見ることになるとは思っていなかった。
この頃はまだ、高校時代に挫折した英語をまた勉強する気になんてなっていなかった。
ただの時々ライブで遠征する、誰でも大好きでライトなアイドルオタクの一人だった。
訃報を聞いた後はネットニュースの文字が仕事をしながら頭の中を通り過ぎ、いったんは”生活もあるし”と3日で「いつ泣き出してもおかしくない状態」からは無理やり抜けた、と思っていた。
んでそのまま、割り切って平常心を取り戻したと思い込んだ。
その数週間後のお別れ会で、泣きはしたけれどさらに気持ちの整理は付けられたと思っていた、が。
推しの月命日に、親御さんが開設したSNSアカウントで生前の写真をupしてくれるようになり、見に行くようになった。
毎月のようにまた泣くようになった。
コンディションが落ち着いていないと、切れもしない通知が飛んでくるだけで泣けた。
本当は毎回毎回、「つれぇよ、きついよ」と、自分の気持ちを認めてあげることが必要だったんだろう。
とにかく月命日に投稿を見て泣いて、よしまた前向きにがんばろうとか思いこんで、進んでいってしまった。そうしていればいつか悲しくなる日が来なくなると思いたかった。
その年の春の始めから年末まで、毎月1回それを繰り返していた中で、
推しの誕生日に所属グループのライブが行われることは知っていた。
夏のツアーファイナル、会場はお別れ会と同じくみなとみらい。
推しの未発表音源が、観客だけでなくメンバーにもサプライズで公開されたらしい。
そしてその冬には、ライブ円盤ではなくドキュメンタリー円盤発売の形で観れるとのこと。
観ない選択肢もあっただろうけど、一番新しい歌は聴きたかった。
円盤を予約し、12月の冬までずるずると過ごしながら発売日を待った。
いざ円盤が手元に届き、平日の仕事休みを待って、
静かに一人きりでいられるタイミングを作り再生したはいいけど、
そのシーンに突入したらありえないくらいえげつなく泣けた。
おいここ賃貸の壁薄い部屋だよとか一瞬理性がツッコんでたけど、
ブチ切れたいような消えたいような感情でひたすら泣けた。
推しが旅立ってから一時期活動休止していたグループが、
新アルバム発売前にMVを公開した一つの楽曲。
その一曲だけ、推しが生前レコーディングを済ませていた。
このアルバムは当時自分も手に取ったけれど、推し以外のメンバーだけで構成されたものだと思っていた。
世に出なかった歌声と、泣き崩れるメンバーと、世に出なかった当初のアルバムジャケット撮影の映像と。
推しが確かにいた声と映像と、夏の時点でもこの円盤を観てる冬にも「もう推しはいないんだ」という現実が、そこで一気に押し寄せてきた。
訳が分からないくらい悲しくて寂しくて苦しくて、ひたっすら観てんのか聴いてんのか泣いてんのかよく分からない時間を過ごした。
それでも改めて、自分はそこで推しが旅立ったことに一度はっきりと向き合えたんだろう。
それ以降も月命日などふとしたタイミングで泣けるし、正直これ打ちながら泣いてるし、簡単に忘れられはしなかったけれど、落ち着いて捉えられることが増えたように感じた。
なお、これを一度きりで観て円盤を手放したのか、何回か再生してから手放したのかは思い出せない。
この円盤を観て号泣した記憶は、今年の推しの誕生日前日まで約4年半が過ぎてからやっと思い出せた。それくらい忘れてないとやっていけなかったんでしょうねこれ。余談。
おそらく人生で一番くらいのとてつもない感情を爆発させた反動のせいか、そこから少しの間は前向きに抜け殻な(?)時間をやり過ごしていた。
当時はまだストレスフルになっていなかった仕事をぼーっとこなし、
家に帰ったら洗濯や軽い料理くらいを済ませて読書などをして寝る。
そんなサイクルを何回か繰り返す中でも、帰り道に近所の書店に寄ってふらっといろんな本を開いて帰るのが自分の日課だった。
その日は珍しく、普段気にも目にも留めない棚が気になった。
英検に落ち続けた高校時代から見向きもしなかった英語の参考書棚が、
学生時代からよく読んでいたラノベ棚の向かいにあった。
それを認識したのが始まりだった。
英検の問題集とは別の棚を埋める、新書サイズのカラフルな本。
棚の説明ポップを見上げれば「TOEIC」の文字。
この日まで、見たことも聞いたこともない5文字だった。
学生時代からその時点までの十数年間、
洋楽と洋画をフィーリングや字幕で嗜み、好きな海外児童書の原作を取り寄せてはすぐに放置。
前職のバイト時代にお客さんと何度かたどたどしくコミュニケーションを取っていたくらいの英語使用歴の自分が、なぜTOEICや特急シリーズが気になったのかが今考えても謎みが強いのだけれど。
社内サイトを調べてみたら、翌年の初夏にIP試験を受けられると知り、
約半年TOEICの勉強をしてみようと決めた。
ろくに調べずに金フレとサラリーマン特急リスニングをお買い上げしたこの時が、TOEIC勉強を始めようと踏み出した瞬間だっただろう。
大学受験を経験せず、専門学校の授業はあってないようなレベル。
高校時代は主要五科目をまともに勉強しなくてもいい商業科。
中学時代までの英語好きマインド、高校受験で留学できる高校を諦めてからそれも萎んだままくらいな、書けば書くほど「いやほんとなんでまた英語勉強しようと思ったん?」レベルすぎてだな・・・ry
とは一見捉えられるかもしれないけれど。
単語帳をまともににらめっこして覚える経験に、
問題集やアプリで問題を解きまくる経験、
自分で申込みから支払いからまともにやってみる経験だって、
やればやるほど面白くて、常識からは程遠いような人間だった自分に社会性も身に着けさせてくれていたと感じる。
一つのきっかけは、英語の勉強が楽しいんだと思い出させてくれた。
英語垢でネットの絡みが増え、同志がいる温かさを感じた。
フォロワーさんの幅がだんだん広がり、いろんな趣味が増えて、
好きな言葉や声を発信する、好きな人が世界中に増えた。
まだまだ英語は現在進行系で勉強し続けているけれど、
英語以外にも思いっきり自分の世界は広がり続けている。
このきっかけがあってよかった、なんて、絶対に言いたくない。
推しの現在進行形を、今も見ていたかった。
月命日や誕生日にはまだまだ寂しくも悲しくもなる。
だからいつもこう思っている。
推しに出会えてよかった。好きになってよかった。
いなくなって寂しいと感じる、推しを知った自分でよかった。
生前ろくに推せてなかった。応援してると直接伝えたかった。
たくさん悔やんだ分だけいつも、好きなことを好きで居られて、
時には言葉を届ける自分でありたい。
ただ、本人に伝えられない「ありがとう」を、
ふとしたときに思い出して伝えているという、きっかけの話。