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京都SFフェスティバル2019参加レポート(本淵洋)

 京都SFフェスティバル2019の参加レポートを記す。

 はじめに、京都SFフェスティバル(以下京フェスと略す)とは、京都大学SF・幻想文学研究会が主体となって、毎年秋に京都で開催されるSFコンベンションの一つのことを指す。ほかの大規模SFコンベンションとしては、日本SF大会、SFセミナー等がある。
 こちらのHPで詳しい情報が得られる。

 筆者が所属しているのは、正式名称を東北大学SF・推理小説研究会とする団体で、(その経緯は省略するが)SF研と推理研が共生した集団だ。
 筆者は元々推理研に入会したが、昨年頃からSFにも手を出しはじめたところであった。SF研内でのおすすめや自分で気になる作品を読み進めていたところ、今回京フェスの企画が興味を引くものばかりであったことから参加を決意したのだった。

 結果、本会・合宿どちらも大変充実した二日間だった(その前後も含めて)。参加後しばらくして下村からSFファンダムの外からみた"京フェス"の感想を要請され、筆を執った次第である。


 本レポートの目的としては、先述したSFファンダム外から見たイベントの光景を綴ると共に、京フェスへの参加を悩んでいる人たちへ、参加の後押しになることを掲げる。このレポートが、誰かのためになればと思う。
 レポートと題したからには、参加にあたっての一部始終をまるまるお見せした方が良いだろう。冗長な点や話のつながりが不明瞭な点も多々あるかと思うが、ひとつ、お付き合い頂きたい。

 なお、同行したふたりを除き、文中において言及させていただいた方々の敬称については、「〜氏」で統一させていただいた。
 また第2セクションのレポートについては、同じ小川姓の作家の混同を避けるため、「一水氏」「哲氏」と表記した。
 本会レポートの内容は筆者のメモを基に作成したものであるが、全体を通して細かい点で記憶・記録違いがある可能性は否定できない。事実と異なる記述をしてしまった場合は発見次第訂正する。

 さて、京フェス参加への機運はサークル内でも高まっており、事前の呼びかけも当初は8人での参加を予定していた。
 だが、諸般の都合により申し込み前に内3人が参加を見合わせることとなった。つまり、本来であれば東北大学SF・推理研として総勢5名での参加を予定していたのである。

 京フェス前日である10月11日、金曜日からレポートははじまる。
 この日以前に、学割の往復乗車券及び往路特急券を購入していた筆者は、翌12日始発の新幹線に乗車し、受付時間直前の到着を予定していた。
 しかし、京フェス開催日と重なって、日本列島に台風19号が接近していた。(その大きさや危険度から一時は開催すら怪しいのではないかと思った。実際、同じ日程で東京開催を予定していた劉慈欽氏登壇のイベントは中止となった。)

 巨大台風が各交通機関に与えた影響は大きく、週末にかけて多くの路線で計画運休が発表された。
 それは筆者が乗車を予定していた12日朝の東海道新幹線も対象に入ってしまっていた。筆者がこの情報を知ったのは11日午前中で、普段通り研究室で過ごしているところだった。

 急遽前日入りの検討がなされた。ここでさらにふたりが京都行きを断念。結果として下村、天津、そして筆者の3人だけでの参加となった。

 (昼過ぎまで悩んだ末)京都行きを決意した筆者は、15時ごろ一度帰宅、既に軽く準備していた荷物をまとめ直して家を飛び出した。仙台駅は老若男女でごった返していた。
 早速長蛇の列が形成されていたみどりの窓口へ並んだものの、待機列は遅々として進まない。やむを得ず列を抜けて、仮設窓口で払い戻しの手続きだけ済ませることにした。
 結局、学割分の(若干ではきかない)損をしながら、券売機で乗車券、特急券を買い直し、16時44分仙台発の東北新幹線やまびこに飛び乗った。慌てて乗ったがこの時間帯では、自由席にもまだ空きが見られ余裕で座ることができた。
 一息つくことができた東京行きの道中で、後発の下村から宿の提案を受けた。(京都へは個別に向かっていた)
 先述したように、前泊を予定していなかったので、宿の当てもなく京都へ向かっていたのだった。
 そんな折、提案されたのが、京都教育文化センターである。
 実は京フェスの本会会場でもあるこちらでは、素泊まりも可能であった。
二人部屋(風呂共有)からだが、一人当たり¥4000で泊まれるので、同行者がいるならば京フェス前泊者にはうってつけの宿である。
 デッキで予約の電話をすると空きがまだ空きがあったようだった。

 18時30分、東京駅に到着。すぐ東海道新幹線に乗り換えようとする。
 が、こちらは指定席が予想通り満席。自由席搭乗者も大多数いるため、指定席車両のデッキも立乗り自由席として開放された。筆者もすし詰め状態になりながら乗り込んだ。
 19時前に出発予定の新幹線は結局、40分頃まで出発が遅延。その後も何度か駅外での停車を挟んだのち、京都駅に到着したのは22時を過ぎた頃だった。身動きが取れない中、3時間強新幹線で立ちっぱなしだったので、身体はボロボロ。余力を出しきって、東福寺駅(JR奈良線)で乗り換えて神宮丸太町駅(京阪本線)まで向かう。ここが京都教育文化センターの最寄り駅となる。
 22時50分頃、京都教育文化センターに無事到着。23時以降締切なので、時間的にもギリギリだった。(同泊予定だった下村は大幅な遅延のため、時間内には到着できなかった。下村が京都入りしたのは日が回ってからのことだった)
 キャンセルの旨を伝えたところ、ご厚意で一人でも宿泊させてもらえた。この場を借りて、改めて御礼させていただきたい。

 翌10月12日(土)は、疲れは残っていたものの8時頃に起床。
 会場に到着していた下村、天津と合流し、受付に向かう。

 ここで京都教育文化センターの構造について説明する。建物1Fにロビーがあり、宿泊等の手続きはここで行う。本会会場は3Fであり、筆者が宿泊していた部屋は4Fに配置されている。
 このためチェックアウト後、すぐに会場・受付へ行くことができる。当日の移動の手間を考えると、翌日の会場で前泊出来るのはコストや手間を考えても非常に良いと思えた。

 受付では事前登録した氏名を伝えると名札を貰える。各自、本名やPNを記入して期間中身に付けることとなる。

 開会まで30分以上待ち時間があったのでロビーで時間を潰していると名大SF研OBの林哲矢氏、京大SF研の鯨井氏や京大SF研OBの谷林氏にお会いすることに。各氏に挨拶し、いよいよ本会がはじまった。

 第1セクションは翻訳家の木原善彦氏と藤井光氏による「実験小説を語る」
 講演の始まりは、そもそも実験小説とはどのようなものか、というところからだった。
 木原氏からは、『製本や文章に通常とは異なる仕掛けが施されている』ことが多いが、なにより『言語芸術そのものに疑義を投げかける』性質の作品が多いとのこと。
 一例として挙げられたのが、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」。日記や手紙など複数のテキストで構成されている点が実験的との指摘がされる。
 また、その後継作品として、D.A.Stern "Shadows in the asylum" も示される。この物語ではある施設の報告書や医師のカルテなどを、活字で記述せずコピーを添付する形式をとることで、リアリティを増幅させている。周辺情報による物語の構築とリアリティの実現との相関を垣間見ることができる紹介だった。
 講演に際し、両氏は邦訳未訳を問わず、取り上げた作品の実物を持参してくれていた。
 実際にこの目で実験的趣向を目にすることができ、より興味を掻き立てられた。

 藤井氏からは、物語とリアルの境界線が実験小説のスタートと語った上で、サルバトール・プラセンシア "The People of Paper" が紹介された。
 こちらの作品、作者(神の視点)と登場人物、作者の存在を認識している人物、三者が並行して記述される形式のメタフィクションとなっている。

 これに続き木原氏から紹介されたマーク・Z・ダニエレブスキー "House of Leaves" は物語の内容に併せて活字組みが変わっていくもので、例えばトンネル内の描写では本文も円に収められた形式をとる。
 併せて紹介されたB.S.Johnson "The Unfortunates" は数頁ずつの紙束が函に入れられた状態の書籍である。
 この本は "First" と "Last" と書かれた紙束以外は順番を自由に入れ替えても読むことが出来る作品のようだった。にわかには信じがたい構造だが、この趣向にも先例があるようで、人間の発想力に改めて感じ入ってしまった。
 ジョナサン・サフラン・フォア "Tree of codes" は、ブルーノ・シュルツ "The Street of Crocodiles" という作品から文章を削ることで出来上がった作品。こちらも詩の分野ではよく用いられている手法だという。
 関連して、国内作品では黒田マキ「クロヌリハイク」が紹介された。新聞記事を黒く塗りつぶし、俳句形式にした作品集で、季語もしっかりと含まれているあたりに思わず笑ってしまった。
 「ひょっとしたら出来るかも」を試みるところに実験小説の面白さがある、という言葉も実例を交えることでより深く納得することができた。ほかにも一文がとてつもなく長い作品や一単語の連なりで成立している作品があったりと、実験小説の幅の広さ・懐の深さに圧倒されるばかりで興味の尽きることがなかった。

 終盤には事前募集していた課題の講評も行われた。今回取り上げられた作品のほとんどは海外作品であり、原文で読まない場合には翻訳を待つしかない。ただ、英語で成立している試みが、翻訳を通すことで崩れてしまうことも多い。それを実践して、難しさと楽しさを味わおうというのがこの課題だ。
 今回の課題は英語版あいうえお作文ともいえるもの。「FERN(シダ/ぜんまい)」の各アルファベットを文頭に4つの文章が書かれている児童向けの本の一説で、言葉遊びに富んだ作品だった。原文にならって、「ん」ではじまるの文をつくってみたり、日本語特有の音の使い方を活用して、なんとか制約を乗りこえようとする翻訳者の苦労の一端を垣間見ることができた。

 興味はあったものの、漠然とした理解しか持てていなかった「実験小説」について、魅力やその背景まで含めて堪能できた講演であった。

 講演で取り上げられた作品については、割愛したものも含めて以下に再度まとめておく。

ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(平井呈一訳、創元推理文庫)
サルバトール・プラセンシア "The People of Paper" (「紙の民」藤井光訳、白水社)
マーク・Z・ダニエレブスキー "House of Leaves" (「紙葉の家」嶋田洋一訳、ソニーマガジンズ)
B. S. Johnson "The Unfortunates" (未訳)
ジョナサン・サフラン・フォア "Tree of codes" (未訳)
黒田マキ「クロヌリハイク」(マルコボ. コム)
福永信「アクロバット前夜」(リトルモア)
Deepak Unnikrishnan "Temporary People" (未訳)
ウィリアム・ギャディス「JR」(木原善彦訳、国書刊行会)
ミロラド・パヴィチ「ハザール事典-夢の狩人たちの物語 男性版/女性版」(工藤幸雄訳、創元ライブラリ)
ジェニファー・イーガン「ならずものがやってくる」(谷崎由依訳、ハヤカワepi文庫)

 第2セクションまで1時間程度時間が空いていたので、この間に昼食をとることにした。しかし、適切な対応ではあるが、台風の影響で多くの店が臨時休業になっていた。
 神宮丸太町駅周辺を探索中に見つけた蕎麦屋・御料理山上に決める。筆者は天ぷら蕎麦を注文した。
 はじめこそ食べ足りないのではないかと不安だったが、蕎麦湯や食後のかりんとうなども出してもらい、食べ終えると丁度お腹いっぱいになった。

 会場までの帰途、到着間際のことだったが、背後から同じ会場に向けて歩いてくる人物に気づき、何気なく見たところ、次の講演者でもある小川哲氏だった。
 第2セクション開始直前には、京大推理研の鷲羽氏とも対面した。

 第2セクションは小川一水氏、小川哲氏による「アリスマ王vs魔術師 W小川対談」
 大作『天冥の標』全10巻を完結させた一水氏と、「魔術師」を巻頭にした初の短編集『嘘と正典』を上梓した小川哲氏のふたりが登壇。のちの2019年末には同作が直木賞候補に挙げられることになる哲氏に対して、一水氏が質問していくという豪華な構成となった。
 開幕は哲氏から。
 「場の流れ」でいろいろ話していきたいとして、まずは作家界隈に(両氏を含め)多くの“小川”氏がいることを挙げ、みんなで小川アンソロジーを出したいと話し、会場の笑いを誘い、場の流れを掴む。
 哲氏のデビューは早川書房開催のハヤカワSFコンテストの第3回大賞受賞によるもの(受賞作は「ユートロニカのこちら側」)。
 同コンテスト第2回大賞の柴田勝家氏、第4回特別賞の草野原々氏とはよく集まるそうで、3人でメイド喫茶にいったこともあるらしい。その際の原々氏について、0か100かの人間であるとし、3人以下では話が止まらないが、4人以上の場だと一切しゃべらなくなるなど意外な一面を聞くこともできた。

 2019年は神林長平氏の作家デビュー40周年でもあった。SFマガジンで特集が組まれるなど様々なイベントが催された。神林氏はハヤカワSFコンテストの審査員を一水氏と共に務めている。一水氏によれば、哲氏が受賞した第三回では「ユートロニカのこちら側」の完成度がとても高かったことからすんなりと決まったという。

 ここで、一水氏が「魔術師」や「ひとすじの光」など、小川哲作品には「父と子」という主題、モチーフが数多く現れていると指摘。この点について、Cakesでのインタビューを補助線に、本人への質問によって、哲氏が無意識に選んでしまっている背景を看破した場面はいまなお強く印象に残っている。

 一方、哲氏は一水作品に抱くイメージとして「科学に対するポジティブな信頼感」を挙げていた。これについては今度は哲氏の方から質問がされ、一水氏からは宗教やイデオロギーなどといった非科学的なものに対する反発感が関係しているとの回答が得られた。

 哲氏といえば、私は『読書のいずみ』(大学生協の発行する読書推進ブックレット)掲載のインタビューで大学時代に岩波文庫の読破に挑戦したと語っていたことが非常に印象に残っていた。(論文執筆の際は並行して青背を一日一冊読んでいたそうだ)
 この点についても話がおよんだ。
 岩波文庫の良い点として、哲氏は“面白さ”と“文化的価値”のバランスがとれていることを挙げた。
 当時のことを語っていく中で、面白い本を読むことに対する罪悪感があったことや評価を気にせず読み漁ったそれを“岩波ガチャ”(面白ければアタリ、面白くなければハズレ)と呼ぶなど、先のインタビューに加えて更に掘り下げた話が聞けたのが個人的にとても良かった。
 また、つまらなく感じた本にしても“読者の心がどのように折れるかの感覚”を得る経験となり、執筆時の客観的視点に役立っているという。この視点は目から鱗だった。
 他には一水氏から、あえて冗長に描写することで物語に緩急をつけることができるなどの話も聞けた。

 また、哲氏が執筆に対してのアプローチを変えたという話もあった。
 デビュー作「ユートロニカのこちら側」では、自分の書きたいように書き、現在の3章にあたる話から連作化させていったという。
 一方、日本SF大賞・山本周五郎賞を受賞した「ゲームの王国」では、執筆の際に分岐点に差し掛かった場合、最も先のなさそうな道を選択したそうだ。

 このセクションでは、両者の小説執筆にまつわる相違点からその裏側まで深く知ることができ、両作品への解像度も上げることができたように感じた。


 第3セクションは小林泰三氏、矢部嵩氏による「ホラーとSF-『未知』を描く2ジャンルの交点」
 角川ホラー小説大賞を経てデビューした両者。
 「アリス殺し」にはじまる《メルヘン殺し》シリーズでも人気を集めている小林氏と、百合SFフェアと同時期に「〔少女庭国〕」が文庫化された矢部氏。
 ともにSFとホラー、あるいはSFとミステリと、ジャンルを越境した作風のイメージを持たれている書き手と講演前には感じていた。
 しかし、講演が始まってみると両者の意識の違いが明確となった。
 小林氏は自作について全て“SF”を書いているつもりであり、矢部氏の方は全て“ホラー”を書いているつもりだという。開幕から対極の意見が出て、とても興味深かった。

 会場でも同じイメージを持っていた人は多かったようだった。
 こういったイメージが持たれやすい理由として、ジャンルとレーベルを強く結びつけた認識が多いからという指摘があった。(創元推理文庫、ハヤカワ文庫JA、角川ホラー文庫等はそれぞれミステリ、SF、ホラーとジャンル読者向けレーベルとしての側面は実際多いと思われる)

 お互いの作品観のようなものがわかったところで、作品に踏み込んだ話へと移った。

 小林氏からは矢部氏の「魔女の子供はやってこない」について“魔女”すなわち“魔法少女”に対するアンチテーゼだとの指摘がされた。
 また、矢部氏からはホラーにSFを足しあわせていった結果、ホラーに近づいたとの話も聞けた。(こちらの話が「魔女の子供はやってこない」か「〔少女庭国〕」、どちらについてかは記録が不確かである)

 「〔少女庭国〕」については、デスゲームから構想を膨らませていく中で、SF的(と評価された)発想に達したという。これと合わせて「〔少女庭国〕」を二部構成にした理由が語られるとともに、小林氏の方から登場人物が全員女性であることが寓話性をもたらしているといった指摘もされた。
 このような講演中の指摘からも、小林氏の視点や発想がとてもSF的であると強く感じられ、冒頭での発言に改めて納得することとなった。
 小林泰三作品に多く見られるPhysicalな(生理的な)嫌悪感についても本人の話を聞くことができた。本人としては(想定される)読者に対してのサービスと捉えていたとのことで、この事実には会場からも驚きの声が多かった。
 矢部氏はそういった“嫌悪感”や読者の裏、隙をつく構成などを継承していきたいとし、心の内にイマジナリー小林泰三を持っていると語った。


 16時半となり、本会企画の方はいったん閉会となった。ここから合宿の開会までの間は自由時間となる。
 今年は18時に開場、合宿企画のオープニングは19時から開始という流れとなっていた。この間に、夕食を済ませたり、風呂に入ったり各自準備を済ませることとなる。
 なお、風呂についてだが、旅館さわや本店内の浴場を利用可能ではあるが、バスタオルが有料貸出となっているので持参しておくと良いだろう。
 我々は近隣のからふね屋珈琲熊野店で軽食をとった後、コンビニで少し買い物をしてから合宿会場の旅館さわや本店へ向かった。

 まずは大広間にて開会。
 各企画の代表者による企画紹介を簡単に済ませた後、林哲矢氏によるプロ作家(本会企画からはW小川、小林、矢部氏が参加)や翻訳者、編集者、ライター等の紹介が行われた。

 ここからの流れは、筆者の行動を基に述べていく。
 同セクションでのほかの企画については京フェスHPのタイムテーブルなどを参照していただきたい。
 筆者は参加できなかったが、「英語圏SFの部屋」「魔術的リアリズムに見るSF―ラテンアメリカ文学部屋」「2019年の神経科学とフィクション」など興味深い企画も多かった。

 開会後、大広間では京フェス参加者による同人誌の頒布や出版社提供のプロ作家作品(サイン入り含む)をお買い得価格で提供するディーラーズルームを開催された。
 京フェスが初頒布であり、筆者のお目当てでもあった『あたらしいサハリンの静止点』(第三象限)を早速購入する。頒布開始後すぐに購入者が殺到し、閉会時には持ち込み分が見事完売したようだった。
 筆者らもSF・推理研発行の機関誌『九龍』第2号を頒布した。こちらも持参したうちの過半数をお買い上げいただけたので良かった。

 合宿企画は各セクション1時間で、今年は4セッション行われた。
 第1セクションで向かったのは「若者部屋」。25歳以上出入り禁止の交流部屋であるが、台風の影響もあったせいか、主に京大SF研の人が多かった。(ほかにも、阪大生のイーガンファンだという方もいらっしゃったような)
 ここでは東北大SF研としての活動(バーチャル会員の卜部理玲や中国SF等)についての話で大いに場が盛り上がっており、第2セクションにむけて良い雰囲気がすでに出来上がっていた。

 第2セクションは部屋を変えずに東北大SF・推理研主催の企画「東北大SF研、中国SFを大いに語る」に参加した。
 メインの話し手は天津。そのサポートと種々の補足を下村が務めた。筆者はサポートのサポートといったところ。
 内容についてはその場限りのお楽しみとしたため、詳細については明かせないが、要旨をまとめたレジュメを軸に、参加者からの質問に答えていく形式で行われた。
 部屋は40人入れるぐらいのキャパシティがあったのだが開始前はすでに満員となっていて、セクション途中には廊下にまで参加者が溢れてしまっていた。ホットなジャンル、かつ実際に翻訳した者、本場中国からの生の情報も聴けるとあってか、SFファンから編集者、プロ作家まで見られた。(『九龍』第2号には天津・下村が共訳した潘海天「偃師伝説」を掲載している)
 最も近く、フラットに聞いていた立場からしても、毎度毎度大いに盛り上がるSF研の部会をさらに上回る、白熱した1時間となっていた。
 下村と企画に参加していた一水氏との間で日本SFの翻訳状況などについて、丁々発止の遣り取りが行われ、こちらも大いに場を盛り上げた。

 筆者はここで部屋を移動して、第3セクション「ここまで訳した『××××』」が開催される部屋へ移動した。
 この企画では、各自が自家翻訳した海外小説を持ち寄ってそれについていろいろな話を聞けた。
 台風の影響によって、企画者の1人で東北大SF研OBでもあるたこい氏が不参加となってしまい、お会いできなかったのは大変残念であった。一方で、同じく企画者のらっぱ亭氏からは自家翻訳した作品がプロの翻訳家に訳されてしまうという珍しい経験談等を聞かせてもらった。

 他にも、殊能将之に関連した翻訳作品や、存在だけ知っていたとある同人誌についても実物をお目にかかることが出来た。
 企画者以外からの飛び込みもあり、色々と楽しみな土産を頂けた企画だった。

 最初の部屋に戻って参加した第4セクション「SF・海外文学読書会(仮)出張版 伴名練『なめらかな世界と、その敵』他」は大阪を拠点に活動している読書サークルの方が主催されていた。
 収録作に関して、その元ネタであったりSFとしての魅力であったりを語り合うことがメインとなった。
 SF・推理研以外の場で読書会に参加することがはじめてでもあったので、各人の意見に耳を打つとともに新鮮な気分を味わうことができ、良い経験となった。

 企画としてはここでお開きとなった。この時点で日付をまたいでいたこともあり、部屋に戻って眠りに入る人もいれば、語り足りないもの同士で更に議論する人たちもいた。

 筆者も開会を行った大広間に場所を移した。
 最初はこぢんまりと集まり、東大SF研の人たちと若手同士歓談したりしていた。
 ふと気がつくと、いつのまにか別のグループと接近していてそのまま合流し、大人数でいろいろと話が盛り上がった。別グループには、京大SF研の人や小川哲氏、橋本輝幸氏などもおり、貴重な場に同席することができた。この京フェスでは、ファン同士の交流に加えて、ファンと第一線で活動している人たちと気軽に接することができた。こういった点も京フェスに参加して良かったところである。
 今後も良い形でこのような場が継続されるようであってほしい。
 筆者と下村は、そのまま徹夜で一晩中SF談義に花を咲かせていたのであった。

 午前7時を過ぎた頃から、起きてきた人たちもぞくぞくと大広間に集まり、8時をもって2019年の京フェスは無事閉会された。

 蛇足だが、京フェス終了後の行動について。
 10月13日朝の時点で東海道新幹線は運転を再開していたものの、東北新幹線で線路上に巨大な岩がある等の理由で、運転見合わせが続いていた。このため仙台に当日中に帰れるかはわからないが、東京までひとまずもどる方針を立てた。
 会場を出て、神宮丸太町駅に向かうと、前日までの大雨で水位が上昇した鴨川が見えた。ひそかに鴨川神社に行くの計画していたが今回は断念。2、3年前に京都に来たときも豪雨のため行けなかったので、次回こそは…...。
 昼前まで3人で河原町三条周辺の古本屋やブックオフを一巡りしたのち、解散。帰路もバラバラに仙台へ(下村は京都でもう一泊、天津は高速バス、筆者は新幹線)。
 東京到着のタイミングで、東北新幹線も復旧したため幸運にもそのまま仙台へもどることができた。

 京フェスはおろか、SF系のイベントも初参加であった今回だが、2日間にわたり、興味の尽きるところがなかった。

 本レポート執筆が滞っている間に新しい年を迎え、また2020年の京フェス日程も発表され(てしまっ)た。今年は昨年よりも一月早い9月12、13日に開催される。会場は同じく、京都教育文化センターである。
 この時期は大学生だと、夏季休業を過ごしている人も多いのではないだろうか。SFイベント初参加の方も気軽に参加できるイベントであることは、今回身をもって体験した。2019年では飛び入り参加の人もいたほどだ。ぜひ参加をすすめたい。
 冒頭にも述べたが、京フェスに興味を抱いて参加を迷っている方がいれば、筆者としては少しでもその手助けできればこのレポートも書いた甲斐があったというもの。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。
 2020年の京フェスが好天に恵まれ、大いに盛り上がることを願って筆をおく。


(本淵洋)  #SF


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