39w3d 出産記録
7月31日 16時3分、陣痛開始から約14時間を経て、2610gの元気な女の子を出産しました!
忘れないうちにまとめておきます。途中、汚い表現が出てきますが、ご了承ください。笑
28日、助産師外来を受診した日の夜あたりから前駆陣痛らしきものが始まりました。ちょっと重めの生理痛が1分ぐらい続く感じで、この頃はまだ全然我慢できる痛みでした。
間隔が15分だったり30分だったりとバラバラで、とりあえず寝れるうちは病院も行かなくてよいと言われていたので、この日は夫に報告だけして寝れるだけ寝ました。
29日はさらに前駆陣痛が痛くなり、深呼吸して耐えないといけないレベル(でもたぶん両親は気付いてなかった笑)。夜はほぼ一睡もできず、翌日にトータル20〜30分昼寝できただけ。
30日の夜も痛さで寝付けず、アプリで陣痛の間隔を測っていたら夜中の1時〜2時ごろぐらいからだんだん10分間隔に。
4時まで耐えて「これは陣痛だ!」と確信し、母を起こして病院へ。
病院に行っても「前駆陣痛です」って追い返された人たちをブログとか知恵袋でたくさん見てきたからビビってたけど、「子宮口3cm空いてるので入院しましょうか〜。日中には赤ちゃん会えると思うよ〜」と夜勤の助産師さん。よっしゃ!
陣痛室もあったのですが、今日はまだお産の人も少ないとのことでいきなりLDR(分娩まで行う部屋)へ案内されました。
朝の内診までその助産師さんや、朝から来た看護学校の学生さんと喋りながら陣痛に耐えました。この助産師さんが腰のさすり方が神だったなぁ(笑)今思えばこの頃は陣痛のときこそ辛いものの、朝ごはんもしっかり食べれていて、まだまだ序の口だったんだなぁ、と思います。
朝の内診で初めましての先生に見ていただき、「まだ3,4cmだねぇ」と一言。
ひ、一晩耐えて変化なしだと…!?Σ(=ω= ;)
長く険しい闘いを覚悟しました。
2晩まともに寝れていない上に、病院に着いてから15分間隔になってしまっていたので、担当の先生が「このままだと体力消耗しちゃうだけだし、促進剤使いましょう」との指示。
促進剤の点滴が30分ごとに増やされるのですが、量が増えるごとに陣痛も尋常じゃない痛さに!
間隔もどんどん短くなっていき、息を吐きながら耐えるときについいきんでしまいます。
学生さんと助産師さんが「息を吐き切って〜、ふぅ〜〜〜〜〜!」と言いながらずっと腰をさすったりうちわで仰いだりしてくれていましたが、途中で少し吐いてしまい、もう喋ることも目を開けることもできない状態。お昼ご飯もウイダーインゼリーを1個弱無理やり流し込んだだけで、食欲なんて全くありませんでした。
このあたりがゴールが見えず一番きつかったです。
メガネも外していて(普段はコンタクトだけど入院中はメガネ着用の指示でした)、時計もよく見えませんでしたが、おそらく14時半〜15時ごろ、ついに子宮口が全開に!!!
薄れゆく意識の中、「先生来るの15時半ぐらいかな〜」という助産師さん同士の会話は逃さずキャッチ!笑
夫からオンライン立ち合いしたいと言われていたのをすんでのところで思い出し、学生さんがずっとLINE電話を繋いでいてくれました(学生さんいない場合は自分でスマホ持てるなら通話可と言われていたけど、今思えば絶対無理。笑)
ベッドの形が分娩モードに変形し、トイレに行く体力もなかったため、人生初の尿管も通されました。笑
先生が来るまでの間は巨大なう◯こを我慢しながらいきみ逃しをする感じで、なんなら助産師さんがずっと肛門あたりを押さえてました。笑
助産師さんたちがしきりに「タイホウは見えてるねー」と言っていたのですが
たいほう?大砲?TAIHOU??
ナニソレ?
って感じでした。笑
あとから聞くと、「胎胞」といって赤ちゃんと羊水を覆ってる膜のことで、要するに破水しないまま出てこようとしてたみたいです。
先生が到着してから人工破膜させたみたいですが、まっっったく気づきませんでした。笑
そこからはやっっっといきみのお許しが出たので力の限り踏ん張りました。
「目つぶらないー!」
「お腹の方見てー!」
「息継ぎしたらすぐいきんでー!」
と声を掛けられながらいきむものの、寝てない食べてないのやまちは体力の限界。赤ちゃんにも酸素が回りにくくなってるということで、ここでも人生初の酸素マスクが投入されました。ドラマでみたことあるやつだー!と若干テンションがあがりましたが←
酸素吸ったからって呼吸が劇的に楽になるわけじゃない。というのが率直な感想でした。
何回かいきんでも出てこなさそうだったので、「会陰切開しますね〜」と先生。
会陰切開っていろんな人から痛さはわからないけど、後が辛いと言われていたので、
それだけはご勘弁を〜!!!
と思いましたが、子どもが安全に出てくるため、と腹を括りました。
麻酔の痛みがチクッとあったものの、切開の痛みは全くわかりませんでした!
そこから3セットほど全力でいきんで、ついに!!!
「はい頭出たよ!力抜いて〜!!」
と言われ、すぐに娘誕生!!!
鼻からスイカというよりは、尻から巨大なう◯こ!←(すまぬ娘!でも知り合いも同じこと言ってた!笑)
出てきた瞬間から爆音で泣いていて、生まれたてでこんなに声出るんかとビックリしましたが(笑)、まずは一安心。
そして、
「やっと解放された…!!!」
というのが率直な感想でした。
みんなにおめでとうございます!と言われながら抱っこさせてくれた我が子の可愛いこと!!!
「生まれたら出産の辛さも吹っ飛ぶ」って本当でした。
このときはまだ実感が湧きませんでしたが、先生に後処置をしてもらっている間、別室で助産師さんや画面上の夫(笑)がワイワイと赤ちゃんの計測をしてもらっている声を聞いて、やっと
「あぁ、お母さんにになったんだなぁ」
と実感。
ちなみに名前の候補はあったものの、夫とは実際に生まれて顔を見てから決めようと言っていたのですが、夫が計測時にもうその名前で呼んでいて、助産師さんたちもその名前で呼び始めたので、そのまま決定しました。笑
母乳も臨月に入ってからおっぱいマッサージをしていたので、すぐに初乳をあげることができました!
生まれながらに上手に吸っていた我が子ですが、途中で飽きて自分の指をしゃぶっていました(笑)
まぁいきなりそんなに飲めないよね!
その後、2時間ほどLDRに一緒にいましたが、私は産後のせいか珍しく発熱、娘は逆に少し体温が低いので新生児室で温めるとのことでサヨウナラ。
このご時世で38℃の発熱のため、私はたまたま空いていた陣痛室で一晩過ごしているところです。
まさかLDRのあとに陣痛室のお世話になるとは。笑
両親にも連絡して、マタニティブルーでキツく当たってしまっていた母にも今までごめんねと伝えられました。
あと、ビックリしたのが後処置が終わってからのトイレ!
会陰を縫ってもらったので2時間はトイレに行けなかったのですが、尿意が限界に。
2時間後すぐにトイレに行こうとしましたが、まず痛くて立ち上がれない!歩けない!
3m先のトイレの遠いこと!笑
点滴の台に縋り付いてようやくトイレに腰を下ろしましたが、
今度はおしっこが出ない!←
というか、会陰が裂けてしまいそうで、力の入れ方がわからない!
いままでどうやっておしっこしてたんだっけ!?笑
と、いう感じで、最初のトイレは10分以上かかりました。笑
陣痛室に移ってからは部屋にトイレが無いので、最初だけ助産師さんに付き添ってもらい、あとは「このご時世で発熱しているので、ごめんけどマスクして男子トイレの個室使ってね〜」とのこと。
たしかに今は面会できないから、産婦人科エリアの男子トイレ使う人はいないんですけど、ちょっと入るのに勇気がいりました。笑
熱が出ているとはいえ、おそらく産後の発熱だろうと言われているし、産んだ瞬間からお腹空きすぎて(笑)、量多めの晩ご飯も完食したので、明日からは予定通り母子同室かな〜と信じています。
とりあえず今は、早く我が子に会いたいというワクワク半分、ロキソニンと麻酔が切れてからの痛みへの恐怖半分で過ごしています。あと、やっと仰向けで寝れるのが地味に嬉しいです。笑
今日が一人でゆっくり寝られる最後の日かなと思いつつも、食後に1時間ウトウトしたら全く寝られなくなったので、今日の記録を残しました。
これから7月31日が特別な日になっていくんだろうなぁ。
コロナに散々振り回された今回の出産でしたが、
ずっと支え続けてくれて、当日も会議を休んで職場からオンライン立ち合いで応援してくれた夫
マタニティブルーの不機嫌にも負けず、夜中でも送り届けてくれた両親
早目の産休スタートにも関わらず快く送り出してくれた職場の方々
ずっとサポートし続けてくれた助産師さんたち&看護学校の学生さん(とくに学生さんは朝から出産までほぼ付きっきりでいろいろサポートしてくれました)
検診から出産までお世話になったたくさんの先生方
振り返ったらもっとたくさんいますが、とにかく関わってくださった全ての人に感謝です!
あと、弱音を吐かずに産む!と決めて14時間耐え切った自分!
そしてなにより元気に生まれてきてくれた娘!ぐっじょぶ!
ダラダラと産後のハイテンションの勢いで綴りましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。おやすみなさい。
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