小さい頃、葬儀場で働きたかった私が「人の生」と向き合う理由
こんばんは。
久しぶりの右脳ブログです。笑
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「人の死」に昔から異常なる神秘を感じていた私は、なぜかいま、生きることと真剣に向き合っている。なぜだろう。
もともとある
この感情、感覚とか
抽象的な言葉選びとか
論理的に説明しろって言われると
ごめんなさいってなるけど
この力を
左脳の現場や経済的な側面で
活かせたらきっとおもしろいのだろうと
つくづく思う。
人はもっと自由であって良くて
自分らしい生き方を追求して良くて。
説明できたらなおよしだけど
できなくてもいい。
宇宙人がこの地球にいると信じてたし、
地球人に絶望をおぼえたこともあった。
けど
やっぱり私は地球人だからこそ
今ここで、生きている中で、自分が死ぬまでに
未来の地球人たちにのこせることを
したいなとすごく思う。
別に他の星でもよかったのに
こんな多様な生物が行き交うこの地球に
なぜ生まれてきたのかを考えると…
うん、頭がいかれそう。笑
だけど
きっと共存して、平和を願う行為は
この先もずっと続くのだろうな。
じゃあ
今の私たちができることってなんだろう。
きっと 「今の自分を生きる」
それに尽きるんじゃないかな。
当たり前のようにみんな明日がやってくると思っているけど、実はそうでもなくて
だからって「明日死ぬなら」とか考えるのは
ちょっと時間を消耗してる感覚になる。
つまり、未来のためにっていうけど
それって生産活動の中でみんな当たり前にやってる。未来って明日でもあるからね。
だから、明日をよりよくするとか、
明日のために今日も働くとか、
そんな当たり前の日々のために、世の中に浸透する当たり前のサービスを生み出すことにとても意義があるように感じる。
だからこそ、より「人の生」に近い分野に携わることをしたいって思う。
ただ感謝されるからとかではなく、
人の生きる活動に携わることで、
自分だけでない人の暮らしを
ちょっとだけ幸せにできるお手伝いが
できそうな気がするから。
そして、自分自身、生きてる実感をより味わえる気がするから。ある種の自己満かもしれない。
けど、生きている実感があると、
それがちゃんと地球貢献に繋がると
そう信じている。
それは、食なのか、住なのか、なんなのか。
ただ、この二つは何か深い関係性があると
この第六感が働いている。笑
きっとその中に自分の生きてる意味とか意義とかそんなものが隠されている気がして。
それがどうしても
知りたくて知りたくてしかたない。
だからこそ、面白そうなところに
その瞬間瞬間、今を生きられるところに
ちょっと足を踏み入れてみようとおもいます。
あと私は80年ちかく
死ぬまで生きるから
そんな長旅を
自分らしく
楽しみます。ね。