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「自分」は思ったよりたくさんいる、らしい

私はやめた。

何をやめた?


私は

自分を決めつけること」をやめた。


自分は〇〇な人間だから

そう決めつけることは、ラクなの。
安心するの。

何かに属すこと」と同じこと。


人は、何かに属すと、自分の存在意義を見出し、求められていると錯覚し、安心する生き物。

自分を決めつけるというのは、その状況が、
自分の心の中で起こっている」ということ。



…だけど、気付いたんだ。

自分を「これだ」と決めつけることは、自分自身の可能性を狭めてしまうことと紙一重だと。

信じた道を進むのは大切。


だけど、

それによって周りが見えなくなって、本当に
何を求められてるかわからなくなってしまうこともある。

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今回の、北海道での地震を体験して分かったことがある。

私はずっと、「オーガニックを広めたい。けど、それが全てではないから、他を否定してはいけない」と言ってきた。

けど、それは人の言葉を借りたものだった。
とりあえずそう言っておけば変に争うこともないだろうって…

なかなかポンコツ野郎だと自分でも思う。


しかし、今回の地震のときは、食べ物を確保することに必死で、オーガニックなんか全くいってられなかった。

そこで思ったのは、


「オーガニックを求めることができるのは、もともとある程度の豊かさがあるがゆえの状態なのではないか」

ということ。
たしかに、昔はオーガニックのような自然な状態が当たり前だったのかもしれない。

しかし、いまは違う。
より良いものと定義付けられているからこそ、
よりブランド化している。

だからこそ、今の時代においてオーガニックを求めるのは、少し大変なことなのかもしれない。

それを考えずに、良いものだけを伝えようとすると、一方通行の独りよがりのものになってしまう。


そこで、本当の意味で「正しいことは一つもない」と思い知った。あれは良くて、これはダメ。そんなことは一つもない。


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おそらく私はこれからもオーガニックを伝え、本当に良いものを追求し続ける。


ただそれは、自分がやりたいからであって、
義務でも使命でもなんでもない。

自分の使命だと自分自身を決めつけることは、それだけ周囲を受け入れる器も小さくなってしまうように感じる。

一時はそれで心が満たされるかもしれないが、持続性はない。

そしてなにより

人がついてこない

これに尽きると思う。

組織の中に属していると、内輪での関係性はとても深くなるだろう。

しかしそれは、外部との接触が減ることにも繋がる。

前述にもあるように、自分を〇〇だと決めつけることも、それと同じだ。

内側の自分としでしか対話ができない。


自分は自分が思っているより

たくさんいる、らしい

ということ認めてあげよう。

人はワクワクし、楽しいところに集まってくるのだ。

自分自身をもっと広く表現し、人を巻き込むためには、「柔軟性」がとても大切だと思う。

柔軟性を「軸がない」と捉える人もいるだろう。私なんか特にそう思われるかもしれない。

昨日はこう言ってたのに、今日はこう。
そんなの日常茶飯事だ。


毎日いろんな刺激を受け取るからこそ、それに柔軟に対応し、変化していく。

「あいつ、言ってることとやってることちがうよね」

そんな、人の心配なんて全くしなくて良いのだ。大丈夫、みんな自分を生きればいいだけ。

たまにこう言ってあげればいい。
「疲れてない?大丈夫?」

それが何よりもその人の応援に繋がる。


明日も、明後日も、毎日、その日しか、自分は生きていないから、

そんな自分を好きでいてあげれば、それでいいと思うのです。おやすみなさい。



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