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やりたくもない大太鼓を泣きながら叩いた話

こいつnoteで泣いた話ばっかしてんな
アホみたいなタイトルだけど当時マジでクソしんどかった

同じような思いをしたことがあるが、言語化できない誰かがいると思うのでどこかに書いておきたかった。今まさにしんどい小中学生が絶対にいる。

私が通っていた小学校では、4年生から部活動があった。全員なんらかの部に強制的に所属させられ、金曜日の放課後に活動する。

4年生の時はバドミントン部に所属していた。覇気のないラリーをぽんぽん続けるだけの、週1のお気楽なたのしみである。
学年切り替わりのタイミングで部はいちど全員解散、再度どこに所属するか選択するのだが、5年生になってもバド部がいいなと思っていた。

しかし、体育館の中で隣で行われていたバスケ部とバド部が統合され、室内スポーツ部になったのである。バスケは好きじゃなかった。当時からすでに集団がダルかったので、チームで戦うタイプのやつに苦手意識があった。

いちどは室内スポーツ部で希望を出した。バスケはやりたくないなあ~と思っていたところ、室内スポーツ部の定員割れが発覚し、ここぞとばかりによその部で大丈夫です! と挙手する。ホッとしていた。この後が地獄なのに。

放課後、部活動が決まっていない生徒が集められた。黒板にまだ定員が埋まっていない部活動と、何人受け入れられるかの一覧が記されている。
たしか集団競技系の部、家庭科部、そしてブラスバンド部があった。ブラバンはダントツで人が足りてなかった。

私は家庭科部を希望した。じゃんけんに負けた。ほかの部活はぜんぶ興味がなくてやりたくなかった。
かなり消去法でブラスバンド部に入った。ぜったいに縁なんかないと思っていた。

人前に立って何かをするような、目立つことは極力避けたい。もっと言えば集団の中で自分だけミスをして怒られるのとかスゲーーー嫌なので、そういった緊張感がフルコンボ、楽器なんかリコーダーとピアニカしかやったことないし楽譜なんか読めないし、もう最悪だ。

イメージ的にリコーダーに近いし、やるならクラリネットがいいかな、と思った。その希望からもあぶれてトロンボーンに配属された。
金管楽器は興味持ったこともないし、スライドをびよびよさせて音出す楽器とかマジイミフもうぜんぶ嫌~~~ぜんぜんやりたくないんですけどへ音記号って何~~!!!

気が滅入った。やりたくもないが、練習しないとついていけない。
ほかの部活は金曜の放課後だけ集まるのに対し、ブラバンは毎日朝練があった。自由参加ということになっていたが、行かないことには吹き方も曲も覚えられない。
でもあんまり朝練に行かなかった。だってやりたくねえんだもんモチベもクソもあったもんじゃねえよ。というわけでテキトーにやってた。

が、秋にはイベントが控えていた。近隣小学校の吹奏楽部が集まり、演奏を披露する定期演奏会である。

そこで演奏する予定の曲で、パーカッションの人数が足りない。というわけでホーンセクションの人間が駆り出されることになり、たいして朝練に来てないしトロンボーンの譜読みもしとらん私も選出された。

で、大太鼓(バスドラム)をやるやつが決まらなかったのである。ひとりしかいないパートなうえにクソデカ楽器なので目立つ。絶対にやりたくない。

顧問の音楽教師が「誰がやる? 体力のある人がいいんだけど」と言う。
すると外野(でもないが)のトランペットのクラスメイトが「こいつ去年運動会で選抜リレーの選手やってたよ」と私を差した。

おい!!!言うな!!!あれもめちゃくちゃ嫌だったんだよ!!!嫌の追い打ちをかけるな!!!!!!

というわけで、1曲限定で大太鼓担当になってしまう。もうブラスバンド部にネガティブな感情しかなかった。

もちろん太鼓なんか叩いたことないので、放課後に個人レッスンをつけられることになった。もうほんとクソ嫌だったアレ マジで

Aから始まるタイトルの曲だったような気がする。スウェアリンジェンの作。ド頭からバスドラムが入ってスネア・低音楽器と並走、徐々にメロディラインが加わり荘厳になっていく。誰か特定できたらタイトル教えてください。

大太鼓、打楽器なのに(打楽器なのにとか言うな)全音符(伸ばす音)とかを出さなきゃいけなかったりするので、小学5年生のズブの素人にはどうしたらいいか見当もつかなかった。

しかし顧問は「大太鼓はいちばん大事なパート」「あなたの最初の一音で全部決まるから責任重大なの」と圧をかけてくる。
顧問は小柄なマダムで、ベートーベンみたいな髪型で、眼鏡でつり目で性格がキツかった。ダメなところはピシャッと指摘してくるし「ちがう!」とまあまあの声量で怒鳴られる。

私は『BLUE GIANT』で修羅のごとくドラムに励む玉田を観てなんだかこのことを思い出して書いているが、チャゼル監督の『セッション』を観た時のほうが心情的には近い。
マジでただの小5の部活動だが、バチクソに怒鳴り散らかすフレッチャー先生を観ていると当時の記憶がよみがえる。やりたくてやっているならまだしも、ほんとうに1ミリも楽しくない。
個人の感覚だが、パーカッションはあらゆる楽器の中でいちばん入門しやすく、いちばん「楽しい」と思えるまで時間がかかると思う。

複数人いるセクションなら、リズムを自発的に意識しなくても周りの様子をうかがって合わせれば最悪どうにかなるが、私しかいないのである。ていうか私がみんなのリズムをとる係なのである。

バチを握る私の右手を上から強めに握られ、怒気のこもったカウントを唱えられながら叩かせられる。音の長短は打面に添えた左手で調節する。

右手が解放されようが、ミスをしたり譜面の支持に満たない出来だと怒られながらやり直す。しつこいようだがほんとうに音楽の楽しみもクソもない。ただ誰かがやらなければならないので、仕方なくこなしている。

音楽室の片隅、マンツーマンで怒鳴られながら大太鼓を叩いていたら涙が出てきた。もうやりたくないよお~~こわいよお~~帰ってだらだらしながらちゃおとか読みたいよえ~~ん、という気持ちとやればいいんだろチクショーーーーーというヤケクソ感情でいっぱいいっぱいだ。

やりたくもないのに放課後の時間を割き、終わり際に「ありがとうございました」と言いながら、なんなんだこれは……になった。なぜやりたくもない部活でやりたくもない楽器を怒鳴られて泣きながら演奏し、頭を下げねばならないのか。

顧問はとにかくパーカッションを強化することに熱心だった。放課後のキレ散らかしレッスンから解放されたと思うと、パーカッションのメンバーだけ土日に集められ、どこかから呼んだなぞの打楽器の先生に指導された。氷川きよしに似てたことだけ覚えてる。

定演のためにもう1曲、ふつうにトロンボーンで参加した曲はなんだったかまるで記憶にない。それぐらいインパクトの強い思い出だ。小学生~専門学校までの強烈な記憶ランキング上位に食い込む。

そんなわけで、バキバキのバスドラムプレイヤーに仕上がり(?)、定期演奏会を迎えた。
会場は区民会館だ。参加校の生徒を座らせても、父兄が観覧に来れる余裕があるんだからまあまあな規模のハコである。

とにかく人前に立つのが苦手だった私は、出番までひたすら緊張していた。いざ本番。もう片方の曲を先にやり(のは覚えてるけど何の曲だったかぜんぜん思い出せない)、大太鼓のポジションまで移動する。

管楽器やこまごました打楽器は持参していたが、大太鼓は会場の備品だった。ボルトを締めて打面の張りを調整し、衝撃を加えても安定するように車輪のストッパーを止m……止まらないんですけど~~!!!!!??????????

おい!!! 動くな!!! おまえに動かれると叩くたびに打面が押されて逃げるだろうが!!! でかい音が出せねえだろうが!!! 動くな!!!岸辺露伴だって動かないんだからおまえも動くな!!!!!!
と、まあ岸辺露伴のことは当時存じ上げなかったが心中で叫んだ。叫んではいたが「あ……(察し)(諦め)」の気持ちになり、もうこれでやるしかねえと腹を括った。

指揮棒を持った顧問が私に目を合わせる。準備はできてます(だがこいつはどうかなァ)の目つきでアイコンタクトを返した。
言うまでもなく100%の出力で叩けなかった。とにかく大太鼓が逃げていかない叩き方を探るのに必死だった記憶しかない。

言われたことをやっているだけで情熱も自信もなかったので、とにかく顧問に叱られなければそれでいいと思っていた。この演奏のあとに褒められた記憶も叱られた記憶もないので、とりあえず叱られはしなかったんだろう。
もちろん、あんなに練習したのになあ……という気持ちにはなったが。
このあとに学校の行事か何かで何度か披露する場はあったので、まあ泣きながらうけたレッスンも無駄にはならなかったはずだ。

曲名はどうしても思い出せないけれど、今でも譜面なしで叩ける自信がある。スネアもたぶんまあまあいける。もしご入用でしたらお呼びください。

この年度で顧問は退職だか異動だかが決まり、送別会があった。
どういう意味だったのか今でも分からないが、この時彼女に「あなた将来、美人になるわよ」と言われたのを覚えている。繰り返すが曲名は忘れた。


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