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ふみコミュの雑ロで出会った異端狂乱女学生✟ちゃんとの思い出

ごめん、異端狂乱女学生☨ちゃんだったかもしれねえ 十字架が

TwitterがAPI有料化やら大量凍結やらで騒がしく、TLのオタクたちが避難所を探したり連携アプリのログイン登録などで忙しくしている。そんな様子を見てるとこちらもそわそわしてくるが、もうTwitterという名のすごく居心地のいいドヤ街を出る気がないのでぼんやりしている。俺ぁこの街と運命を共にする……(本当にTwitterがオワオワオワリになっても少なくともnoteにはたまに何か書くし、まあ、その時はその時で)

冗談半分で「Twitterなくなったら山川さん(ガチャの人)とのLINEトーク画面をTLにする」などとツイートしたが、中学生の時、メールでそんなことをしていた相手がいたんだった。
ふみコミュの雑ロで出会った異端狂乱女学生✟ちゃんである。

アラサーのインターネット老人のみんなにとっては懐かしいサイトだろう。「ふみコミュ!」という、雑に言えばティーン向け2ちゃんねるみたいなかんじのBBSサイトがゼロ年代に存在していた。前略プロフとか魔法のiらんどとかモバゲーが跋扈してたのとだいたい同時期だ。
ふみコミュに入り浸る前はピコ森にいたんだけど、それはまた別の話である。

中学生の私は、とにかく閉塞していた。スクールカースト最下層の地味陰キャで、同級生の笑い声がぜんぶ自分をバカにするために発されてると思ってた。
そのくせに自分がいちばん個性的でシニカルで最強の存在だと思っていて、なんかラメラメしたぺンとポスカでギャル文字フォントの習得に心血を注いでいる同級生たちを見下していた。

きわめつけにKERA!を読んでロリータファッションに憧れていたし、ティム・バートンを崇拝していたし、Campusのノートにオリジナル小説を書き連ねているとかいうなんかもうあのアレがフルコンボだドンの状態だった。(今もぜんぜんロリータとバートンと自著が大好きです)
そんな私の放課後の憩いこそ、インターネットである。テンプレのようにインターネットなのである。

で、ふみコミュの雑ロ、すなわち雑談ロビーを眺めるのが好きだった。たいていのユーザーがコテハンを使っており、カキコしたりスレを立てたりしてるうちに「この人こないだもしゃべったな」「あっ〇〇さんだ、話しかけよう」という、ゆるい関係が生まれる。いま思えばTwitterのTLにちょっと似ているかもしれない。

名前のとおり雑談板なので、話題はざっくばらんだった。学校や部活のこと、好きなコンテンツのこと。安価でなんかやるみたいなスレもあった。
学校で満たされない自意識の行き場、というかんじだった。
リアルだといつもつるんでるグループの子としかまともに喋れないうえ、恋空に感動してる同級生をみんなバカだと思っていたが、わざわざ雑ロに集まってくるというだけで誰にでも親近感が湧いた。

そのうち、なんだかよく話しかけてくれるし、気が合うな……という人物が現れる。異端狂乱女学生✟ちゃんである。
出会った当初はたしか狂気少女✟ちゃんだった。進化した。
アリプロが好きでゴスロリも好きで創作が好きで中二病ド真ん中、ってかんじで本当に気が合った。

狂気少女✟ちゃんのことは、当初一方的に存じ上げていた。コテハンをよく見かけるし、彼女のスレには人が集まった。顔見知りならぬコテハン見知りがたくさんいたのだろう。
それでなくとも、彼女のカキコ口調は落ち着いており、中高生独特の謎のテンションが排されていた。HNがバキバキに中二病なのに、ポエジーなところもない。

大人びた雰囲気が文面からにじみ出ているうえ、発言もアンニュイだった。こんな子、インターネットにたむろする中学生たちがお近づきになりたいに決まっている。本人曰く「別のところでネットアイドルみたいなこともしてた」とのことなので、そういう才能があったに違いない。

なんか雑ロで人気なんだろうな、と思っていたが、特にこちらから勇んで話しかけようという気はなかった。だから最初に絡んできたのは彼女からだという気がするが、覚えていない。話題も何から入ったんだろう、15年も前のことだ。

いつしか、互いのスレを見かけたらレスをつける程度には親しくなった。そしてメールアドレスを交換し、個人的にやりとりをするようになった。

当時私は中3、異端ちゃんは中1だった。年下だと思ってなかったので驚いた。私の友人を交えて異端ちゃんと3人で絵チャをした時も、友人が「大人っぽいなと思った」と言っていた。

その頃、私は魔法のiらんどに小説を載せていて、異端ちゃんはそれを気に入ってくれていた。魔女になりたての女の子が、失踪した父を探すファンタジーである。iらんどが数年前にアップデートされた際に1文字のこらず消し飛んだ。

異端ちゃんも創作をしていて、メールでは創作キャラのこととか思いついた小ネタを投げ合ったり、今でいう作業監視的なやりとりもした。クロスオーバー小説も書いたし、イラストも描き合った。
学校から帰ったらとりあえず雑ロを覗くというルーティンがあり、雑ロで互いが互いを見かけたら「ていうかメールするわ」というかんじだった。それもいつしか、帰ったら異端ちゃんからメールがきてないかチェックし、来ていなければこちらから「ただいま」と送信するぐらいの仲になったのである。

ちなみに当時、わたしはケータイを与えられてなかったのでデスクトップパソコンから@niftyのアドレスでやりとりしてた。中3にケータイが支給されてないのに、父のおさがりデスクトップが自分の部屋にあったしアドレスも父が生やしてくれた。なんか妙な環境だったな。

学校や用事さえなければ、本当にずっと異端ちゃんとメールをしていた。もし近所に住んでいたらすぐにでも会っていただろうが、私は東京で彼女は宮崎。中学生がどうこうできる距離じゃない。

中3といえば修学旅行がある。2泊3日で奈良と京都だ。
本当に行きたくなかった。異端ちゃんとメールができないからである。今思えば、アレは共依存と言って過言ではない。
憂鬱になりながらも、実際に行ってしまえばけっこう楽しかった。それでもやっぱり創作のことを考えていて、私の小説を読んでくれている寛大で優しい友人に向かって異端ちゃんに話しているような話をした。

八ッ橋を提げて帰宅し、真っ先にデスクトップの電源を入れて「ただいま」とメールをした。すぐさま異端ちゃんから返信があった。今でも文面を覚えてる。
「会いたかった。ノイローゼになるかと思った」
ラブラブだったなマジで……
「東京と宮崎より京都と宮崎のほうが近いのに、遠くなっちゃうなんて変だね」とか言ったりもした。これが青春じゃなくてなんなんですか?

当時、iらんどに載せてる小説を読んでくれる人なんてほとんどいなかった。そんなことは百も承知だったが、とにかく書くのが好きだったし、少なくとも異端ちゃんが一緒に楽しんでくれてるからそれで満たされてた。

Twitterや文フリのおかげで、あの頃と比べたらびっくりするぐらい私の書いたものを読んでくれる人がいる。今もハッピーだが、苦痛で仕方なかった中学時代、異端ちゃんというソウルメイトがいてくれた時間の濃密さはなにものにも代えがたい。
具体的に何を喋ったかは忘れてしまったが、彼女が私にとって特別な女の子だったことは覚えてる。

そんな異端ちゃんとの蜜月にも終わりはきた。私が高校に進学し、生活環境が変わったり創作から離れ気味になったりしたことから、メールの頻度は下がっていった。
正確なタイミングは覚えていないが、ふみコミュが閉鎖されたのもこれぐらいの時期だ。「思い出に雑ロ民のコテハンを集めた画像をつくる、載せてほしい人挙手して」みたいなムーブもあった。こういう微笑ましさを見るに、本当にティーンのたまり場だったんだろうな。

異端ちゃんとはちょいちょい「最近何してる?」という近況報告をしていたが、私が高2になり、バイトを始めて疲れ果てていたあたりから本格的に疎遠になってしまった。廃棄の総菜を抱え、マンゴーパッションティーフラペチーノを吸いながら帰路につく頃に異端ちゃんからメールがきても、返す気になれなかった。
ついに、私からメールをしても返事が来なくなった。
みんな友達とかフォロワーを大事にしような~~~!!!

あの時にTwitterがあれば、私も異端ちゃんも負担に思わずに交流を続けられたのかなあとも、Twitterがなくて1対1のやりとりだったからあんなに仲良くなれたんだろうな、とも思う。
異端ちゃん、いまも元気で過ごしてたらいいなあ。また会えたらうれしいので、億が一これを見てたら連絡ください。

っていう思い出を喋りたかっただけ。みんなやみんなの好きな人のアカウントが凍結解除されますように。

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