ブルーアーカイブにおける奇跡とはなんなのか(エデン条約編からの考察)
あけましておめでとうございます。今年も月2くらいで記事を書きたいと思っています。そして、そのためにこの昨年から温めていた記事をなんとか今日、仕上げるのです。
さて、ブルーアーカイブ、2周年おめでとうございます。
透き通るような世界観で日々プレイヤーの先生各位のスマホを過酷な労働環境に追い込んではや2年ですか。
この記事を公開しようとしている2023年1月22日はブルアカ2周年イベントが開催される予定となっています。その前に、私がプレイしてきた中で感じた感想などをまとめておきたいと思います。
本当は、第3章「エデン条約編」をクリアしたときに、そのあらすじと感想を書こうと思ったのですが、どうもまとまりきらず1ヶ月が過ぎてしまったので内容を大幅に変更しています……。
まえがき:キヴォトスにおける学園生活とそれが生み出す奇跡
さて、何を書くにしても1つの決まったテーマを設けた方がいいでしょう。
今回は主にメインストーリーとそこに登場するキャラクターに焦点をあてますが、その中で1つのテーマを考えるなら、見出しの通り「奇跡」についてです。
ブルーアーカイブはその広告やキービジュアルの各所で「奇跡」というキーワードを使っています。
「何気ない日常で、ほんの少しの奇跡を見つける物語」
おそらく配信前と配信直後くらいに広告で多く使われていたこのワード。これが個人的にはかなり刺さって当時インストールした記憶があります。
(その後しばらくやめたけど……)
現在の公式HPでは「学園の日常を、小さな奇跡へ」と変わっているので、学園が大きくフィーチャーされており、若干の捉えられ方の違いを感じますが、奇跡というところは変わりません。
ここで奇跡について考える前に念のため、奇跡の意味を確認しておきます。
つまり、通常起こり得ない、不思議な出来事というのが奇跡なわけです。
立ち返って、上記のブルーアーカイブにおけるキーワードを見ると日常と奇跡は対比されていることがわかります。
学園生活という日常において、(小さな)奇跡を発見する……。
彼らが目指す通常起こせない奇跡とは何なのか。そして、学園生活という日常と奇跡をつなぐ間にあるものはなんなのか。これこそがブルーアーカイブのストーリーで描かれていることだと考えています。
本題:奇跡についての1考察
ブルーアーカイブの基本的なストーリー構成について
ブルーアーカイブはプレイヤーである”先生”が、数多ある学園都市によって構成される世界「キヴォトス」に赴任するところからストーリーが始まります。”先生”は特定の学園に所属することはなく、すべての学園の生徒の先生として彼女らが抱えている問題と対峙していくことになります。
特にメインストーリーでは、特定の学園生徒や特定の部活生徒に焦点を当て、彼女たちの抱える問題をともに解決していくことになります。その時、最終的に立ちはだかる敵として現れるのが正体不明の超常的な存在たちなのです。この超常的な存在を、どうにかして打倒することで、ストーリーは大団円を迎えるというのが基本的なストーリーの構成です。
なるほど。ブルーアーカイブの奇跡っていうのはじゃあ、超常的な存在を倒すことなんだ。あのよくわかんねえ大人のカードとかいうのが奇跡なんだろうなあ。
まぁ、それもそうなのかなと思うのですが。
でも……、これだと日常と地続きではない気がする。学園生活の中で、大人のカードを見つけて奇跡を起こしてほしくはない。
そこで私が主に「エデン条約」編を読んでいるときに思いついた”奇跡”の解釈について、少し妄想を書こうと思います。
エデン条約のあらすじについては書いても書いても足りなかったので、これも無数にある解説ブログを読んでいただきたく思います。個人的には下記が好きです。考察しているときも参考にさせていただきました。ありがとうございます。
「エデン条約」編と「信頼」の物語について
※ここから先、エデン条約編のネタバレがございます
一番上のエデン条約編クリア後のツイートにも書いたようにエデン条約編、それは先生やその周辺にとっては「信頼」の物語だと思っています。その上で、敵対する者たち、前半のアリウススクワッド、ゲマトリア、そしてミカ にとっては「信念」の物語だと思うのです。
もっとシンプルに話せば、先生サイドは他者への信頼を、そしてその時対峙している敵サイドとしては自分自身への信頼をベースに動いているということです。以下では、登場人物に視点を当てて、それぞれの立場から話を紐解いていきます。
主に1・2章における先生と補習授業部メンバーの"信頼"について
①先生
先生は冒頭、ナギサに呼び出されエデン条約、そしてトリニティの裏切り者について協力を依頼されます。猜疑心に取り憑かれているナギサに対し、先生はあくまで生徒を信じ、行動していくことを告げます。この先生の決意は最後まで揺らぐことはありません。これが最もわかりやすい、このシナリオにおける信頼の発露でしょう。
②ヒフミ
そして、今回のシナリオにおける主人公と言える補修授業部。そのリーダーであるヒフミもまた、「裏切り者」のことを聞いています。彼女もまた、裏切り者の存在を信じてはいないものの、先生ほど絶対的な信頼を持てずにいました。特に序盤において、だれもを完全に信じられなかったのは彼女なのではないでしょうか。裏切り者を探すようにと命じられ補習授業部に送り込まれるものの裏切り者がいることは信じられない。そして、その送り込んだ張本人であるナギサは自分のこともまた疑っている。集められたメンバーはなぜか明晰な頭脳を隠しているもの、言っていることがどこまで正しいのかわからないもの、どこか知らないところに行っているもの。こんな中、それでもなお、メンバーのことを信じようという意思を彼女が持つまでの物語、そしてそれに寄り添う先生の物語が特に序盤のストーリーの要だと思うのです。
③ハナコ
一方、補習授業部の他のメンバーに視線を移すと、それぞれのメンバーはヒフミと異なり、どこか擦り切れてしまい、信頼という言葉を持ち合わせていないメンバーだったと言えます。最もわかりやすいのは学内政治に巻き込まれたハナコと言えます。たぐいまれな頭脳をもち、その才能を利用しようとするあらゆる勢力の光と闇を見てきた結果、学校を去るところまで検討していた彼女が、裏表のない他者への信頼を見せるヒフミを見ることで、この世界にも少しだけよい側面があるかもしれない。そういう救いを信頼から得ています。
④コハル
アズサはシナリオをまたいだ話になるため後述するとして、解釈が難しいのがコハルです。シナリオ内で開示された情報も少なめだったように感じる彼女ですが、彼女はヒフミやハナコと異なり、そもそもバックボーンとして所属していた正義実現委員会という存在が重要な要素なのかと考えています。おそらくトリニティの中でも屈指の頭脳とフィジカル、精神性が求められるかの組織にいて、なお実力や頭脳、そしてある種の精神性が伴っていないことについて、おそらく自分の中で葛藤があったのではないかと思っている。
彼女は元来の人見知りと自信のなさで虚勢をはってしまうことで、自ら周囲の人との間に壁を作ってしまった。そんな中で、補習授業部にやってきて、本来所属する委員会ではないメンバーとのふれあいの中で自分を見つめ直し、本当の(頭が悪いという意味で)自分を曝け出したことで本当に信じられる仲間を得ることができたのではないか。それがこのシナリオにおける彼女が得た自分と他者への信頼ではないかと思います。
中盤概説とアリウススクワッドメンバーの「信念」について
中盤はアリウススクワッドの物語だったと思われる。
その前に、ひとつだけ特筆することがあるとすれば、ヒナについてだろう。彼女はゲヘナ学園の風紀委員長であり、学内の風紀委員のトップに君臨する存在だ。圧倒的な力で学内はもとよりキヴォトスに君臨する存在だが、故に常に多忙でそして孤高だった。彼女自身、その立ち位置を強く理解しているが故に仲間と呼べるのは数少ない風紀委員会のメンバーと先生のみだった。そんな彼女が風紀委員と先生のために1人孤独に戦い、そしてその後には恐怖と孤独に震えていたこと、それを先生が助ける様はこの物語に共通する、先生と生徒の関係性がわかりやすく表現された1つの場面だったと思います。
閑話休題、ほかメンバーの話に移ろう。
①アズサ
前半から1人戦っていたのはアズサだった。彼女はアリウススクワッドの一員でありながら、トリニティのセイアを救おうと立ち回っていた。結果、どちらからも追われる存在となりながらも、自らの信じる道を1人進もうとする。そのために一度は手にすることができた補習授業部との絆を物理的にも心理的にも断ち切るシーンは印象的でした。
しかしそうは許さないのが先生と補修授業部のメンバーでした。何とか仲間をかき集め、久しぶりに登場した対策委員会のメンバーともに、みんなが幸せなハッピーエンドの道を進もうとするヒフミ、お前最高だよ。これが仲間と青春の物語、というものを見せつける3章の最終戦。あまりにも熱い。ブルーアーカイブってそういうことだったんだ!!!
「たとえ全てが虚しいものだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない」
彼女を通底するこの信念を、彼女は最初1人で遂行しようとしていました。彼女はあがいて、あがいて、あがき続けて。そうしてくじけかけた時、仲間が助けに来てくれた。自分の信じる道を進んで、最後には仲間を手に入れることができた。ここが信念と信頼が交差するところだったように思います。
②アリウススクワッド
では逆に、3章において対峙していたアリウススクワッドはどのような存在だったのか。
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.を信念にトリニティ、ひいてはキヴォトスへの復讐を進めていた彼女たちにあったのはベアトリーチェによる洗脳に近いほどの教育の果てに刷り込まれたトリニティへの敵意と自分たちが行っていることについての絶対的な確信でした。しかしながら、その確固たる信念に基づいた行動は、先生と生徒、そして補習授業部、さらには対策委員会の間の信頼関係によって阻止されてしまう。
そうして、3章のエピローグに至るのです。
忘れ去られた神々のためのキリエ。アリウススクワッドとミカについて
忘れ去られた神々のためのキリエ。章タイトルがあまりにも良すぎる。
このタイトルをミカがあのスチルで回収するシーンが、今のところブルーアーカイブにおけるピークだと思っています。
それはさておき、4章。
3章のラストにおいて、概ね全員が幸せになり、平穏な生活を取り戻しかけていた時、しかし、この流れでハッピーエンドに向かえてない子達が残されていました。それが、アズサを除くアリウススクワッドのメンバーとミカです。
①アリウススクワッド
アリウススクワッドはことの始末をつけるためにゲマトリアであるベアトリーチェと話をしますが、その中でアツコが拘束されてしまいます。自分たちではどうすることもできない。それを悟ったサオリは先生に助けを求めます。つい少し前まで敵と味方だったわけですが、ゲマトリア相手なら、そして先生と生徒なら話は簡単です。助けるしかない。
先生からの信頼に若干追いつかないサオリではありましたが、その後散り散りとなったアリウススクワッドのメンバーを再び集め、アツコ救出に乗り出します。アリウススクワッドの過去編が並行して映し出される中で、彼女たちにも幼い頃からの縁があり、サオリを中心とした信頼関係がもととなって形成された集団であることが見えてくるわけです。
そんな中、後述するミカとの戦いにおいて自分たちが信じてきたアリウスとしての信念、そして行いが間違っていたことを理解するのですが、そこで先生が生徒に対して過ちを認めやり直すことができるようにするのが大人の役目なんだと諭すシーン。これが"先生"と"生徒"にある信頼の形なのではないかと思うのです。なんだかまとまらないまとめだな。もうちょっと加筆したい。
聖園ミカにおける信念と信頼の物語について
ようやくここまでかけました。
エデン条約編において最も魅力的で最も難しいキャラクターがミカであることは言うまでもないでしょう。
彼女は当初、ゲヘナに対する悪意によってアリウスと手を組み、セイアをティーパーティーから排除し、その後はエデン条約を破壊するために画策します。これはゲヘナ憎しという信念が彼女の中に強く存在したことに由来する行動でした。結果、セイアを殺害してしまったと思いこんでいた彼女は自らの信念を更に強化、犠牲を払ったからには最後までやり抜かなければならないという意志を持って2章ラストにおいて主人公の前に立ち塞がるのです。
結果、実はセイアは生きていたことが明らかとなりその意志は解かれ、彼女は一旦投降し拘束されることになります。しかしながら、不幸が重なり、彼女がセイアとの和解を進めようとした矢先、セイアは倒れ、再びミカはトリニティの敵と認知されてしまいます。ミカはそこで強いショックを受け、再び、セイアに対する贖罪の思いと、ここまでの過程で結果的に自分が起こしてしまった騒動に決着をつけるために、自分が巻いた種、アリウススクワッドを倒さなければならないという新たな信念を心に宿して追いかけてくるのです。
ここまでの問題は、ミカは常に孤独だったということです。
セイアに危害を加えてしまった。このことでミカは少なくとも自分自身の中において、裏切り者であるという思いを持ったはずです。そうして、仲間だったはずのティーパーティーのメンバーには本当の思いを伝えることはできなくなり、常に1人、孤独にゲヘナへの憎しみを宿して行動していました。ここで誰かが助けることができれば。いや、その助けの手は伸びていたはずなのです。先生とのプールサイドでの会話で。でも、ミカはそれを握ることができなかった。結果として、先生の前に敵として立ってしまった。私はこれがミカの完全な孤独の完成なのではないかと思っています。
その後、投獄されたわけですが一見気丈にふるまい過ごしていたミカですが、実際まともにコミュニケーションも取れていなければお互いのわだかまりの解消の場は設けられていなかったと思っています。ナギサとはある程度喋っていたかもしれませんが、おそらくお互いの立場を考えれば思いを交わすほどの会話はできていないでしょう。彼女は裏切ったメンバーとの信頼を取り戻す機会を持てていなかったわけです。そして、セイアとの会話もあのタイミングまでできていなかった。ただ、この場面できちんと和解が成立していればよかった。少なくともミカの裏切り者の十字架は少し軽くなっていたはずです。でも、それはできなかった。こうしてミカは再び、己の信念のみを原動力として動き出すわけです。
ミカが他の人物と違ったのは、己の信念を貫く圧倒的な力がそこにあったということです。その力で一度はアリウススクワッドをくじく。その時、アリウススクワッド・サオリが言う、間違ったことを信じ続けて過ちを犯し続けた。どこかで正しい道を歩めていれば、お前のようになれたのか。この言葉がそっくりそのまま、ミカ自身に刺さるわけです。
サオリもミカも、どこかで道がずれてしまったことで結果的に取り返しの付かないことを起こしてしまった。サオリがその贖罪として自分が死ぬことをよしとするならば、ミカもまた取り返しがつかない事を起こしてしまっている。誰かの贖罪のために死ぬことになるかもしれない。
ここに待ったをかけたのが先生の言葉でした。子どもの過ちを許し、もう一度チャンスを作るのが大人の役目だと。そう伝えることでミカもサオリも救いを得るのです。
ミカはその後、その力でアリウススクワッドを聖堂へ送り込み敵を食い止める役割を担います。失敗から立ち上がり仲間を救って新しい道を得ようとするアリウススクワッド。その手助けをすることで、許しを得ようとしているミカ。結果的に満身創痍となってしまい、でもこれもまた贖罪と割り切りかけたミカの前に先生が最後に現れ、ハッピーエンドとなるわけですが。
結論:奇跡とは何なのか
ブルーアーカイブにおいて様々言われている"奇跡"とはなんなのか。
ここまでエデン条約編を考察してきたことをベースに私が考えた結論は
「信頼」によって生み出される他者を圧倒する力
これだと思います。
エデン条約編において、主人公及び主人公サイドであった補習授業部そしてアリウススクワッドは仲間を信じ、そして先生が生徒を信じることで強い力を発揮する場面がありました。逆に敵として対峙していたアリウススクワッドとミカ、そしてあまり触れませんでしたが(かわいくないので)、ベアトリーチェは孤独でそして己の信念によって動いていたのです。ストーリーにおいて単純なパワーとしては負けていたかもしれない相手に勝つ時、そこには信頼があったと思っています。
これは、対策委員会編においてホシノを救おうと立ち上がった対策委員会vsゲマトリアでもそうですし、時計じかけの花のパヴァーヌ編(名前大好き)においてアリスを救おうと立ち上がったゲーム開発部、他ミレニアムオールスターvsリオ+トキでもそうです。主人公サイドは信頼そして仲間がいたのに対して、敵は孤独で1人で信念に沿って行動していたといえます。
なんとも陳腐なオチだと思うのですが、これが私がブルーアーカイブを信頼の物語として捉えている理由です。
おわりに
長文を読んでいただきありがとうございました。
もともとは5000字くらいで終わらせるつもりが結局8000字くらいになっています。そもそも、12月15日くらいから、エデン条約編の信頼性について書こう!とエデン条約編のあらすじを書き始めて、ただそれがまとまりきらず越年してしまい、本当は他にもいろいろな、買ってよかったものとかブルアカのチョコ渡した時のかわいいランキングとか、そういう細かいことも書きたいのにいつまでも下書きにこれがあるというのが魚の骨のように……。なんとか2周年に間に合わせるために必死に書きました。正直、練りきれていないですしシナリオはあと3周くらい読んで書くべきだったと猛省しております。
ただ、私がエデン条約編、そしてブルーアーカイブのストーリーについて思っていることのエッセンスは詰め込めたかなと思っています。ぜひともご笑覧いただき、あなたのエデン条約編・ブルーアーカイブの理解を教えていただけるとこれにまさる喜びはありません。
何はともかく、今日の配信でミカ実装を皆様と喜べることを私は心の底から祈っています。
それでは!
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