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【おやすみ2024、
とにかく人、人、人の1年。とにかく考えた、とにかくいろんなところへ飛んだ、とにかく行動した、1年。自分にとって新しいことをたくさんやらせてもらった環境。行動した先で拾ったたくさんの景色。景観そして人との関わり。
2024年を振り返ったときに脳裏をめぐっていくのは特定の出来事ではなくて人であること、そしてこれだけ多く人の記憶が確固たるものとして自分の内側に刻まれていること。私にとってこれ以上尊いことはない。
💐
そう、あれは8月2日のこと。来島翌日、わけもわからぬまま同じ地区に住む島体験生同期に突如連行されみた星空。勝手の分からない電動自転車。ひとりだけやけにゆっくり駆け上がったあの坂道。(慣れるまでいろんな人がペースを合わせてくれたことを想起してはじんわりとあたたかさが広がっていく)顔も名前も覚えきれていない同期。大人数で寝転がっては人も車もまるで通らない田んぼ道。私の目を覆った身に余るほどの流れ星。まるであの日の星空のように、まるであの日の流れ星のように、そう、流星群のように駆けていった1年。
年の区切りとして2024年、19歳、大学2年…と、どれを持ち出すのが適切かは分からないがともかく。この1年は私にとって紛れもなく転機の1年であり、数年後数十年後死ぬ間際、人生の節目節目で振り返ったときに多くのことが引き出せる1年であったように思う。
思い出も、学んだことも、撮った写真も、できたつながりも、考えたことも、たくさんあった1年。
自分が「変わった」とも、自分を「変えた」とも、思う。
この街でも星が見えること。
星だーーー、ってあの夏出会った人たちの顔を思い出すこと。
見渡せば溢れる大自然!なんてことはないけれど。あんなに自分に関心を持ってもらえる環境もないけれど。海もなければ電動自転車もなければみんなで夜な夜な囲んで語り合ったキャンドルも居間もないけれど。どこにいても変わらない星空だけを頼りに、やるせない日々にへばりつきながらなんとか生き延びる西東京。浅瀬の人間関係を目前にして途方に暮れる毎日。やるせない、なんて思ってしまう程度には、あの夏の記憶があまりにも色濃く刻まれていること。私も同じ星を見ているよ、なんて思いを馳せたくなる人がいること。遠く離れていても思い出してはそっと微笑みを贈りたくなる人にたくさん出会えたのは言うまでもないが、愛した人たちの裏側にあるのは共に目にした佳景。自身の財産としてこれほど大きなものはない。
様々な場所を転々とするせいで、というよりも、のらりくらりと漂うように生きているせいで時限的な人間関係、すぐに終わってしまいそうな人間関係はどうしても増えてしまったが(実際「ゆるくながく」つながり続けるのは極めて難しい)、そんな人たちといつか再会したときに「出会ったときよりも素敵だ」と思われる生き方をしたいとひたすら背筋を伸ばしている。いかなるときも、出会った人ひとりひとりと真正面から向き合い、全方面に胸を張れる誠実で凛とした生き方を、と。(まだまだ実現への道は遠い)どれだけ人に振り回されようとも、どれだけ人に裏切られようとも。海と季節と星は私を裏切らないことを知っているから。だから完全にひとりになることはない。出会ったときよりも素敵、これは11月にふたたび巡り会えた人が思わせてくれたこと。また会えた、ではなく巡り会えた、という表現になるのはやはり「終わり」を意識することの多い1年であったからだろうか。終わり方に最も人間性があらわれるものだと気付いてから、人間関係が途切れる最後の最後まで自分の在り方に細心の注意を払いたいと思うようになった。
その土地を離れてからも関係を保ってくれる人たちがたくさんいる。手元にあるあたたかい関係は、見に余るというか恐れ多い気持ちになるくらい大きなもの。正直その土地にいたときはそこまで関わることができなかったと後悔が残る人も少なくないが、どこか深くで何かが分かり合えているような感覚を得ている。東京行くから会おうよ、今東京いるんだけど会えない?、○月東京行くから近くなったら連絡するね、東京行くとき連絡するね、こっちでは最近こんなことがあったんだよ…、と連絡をくれる人がいること。定期的に、継続的に、テキストメッセージや通話を交わしてくれる人がいること。ゆく先々で自分はなにかひとつでも本質的なものを遺してこれただろうか、とその環境を離れるときに不安になるものだが着実に目印は付けてこれたのかもしれない。人の気持ちなんてものは分からないし人はいつ急に消えるか分からないし所詮人のことばなんて薄っぺらいものなのだと思ってしまったから「かもしれない」なんてゆるやかな締めにはなってしまうけど。みんなにとっての私が、「思い出の中の住人」ではなくて、みんなと「同じ時間軸を生きている存在」だと認識されていることを嬉しく思う冬。うまく言えないが着実に重みはついてきている。いつだって自分を認識する契機となるのは他者である。
もとある資源を、目の前のものを拾うことはとっても大事なことだが、同時に、「自分にとっての新しさ」に飛び込み続ける行動力はいつまでも持ち続けなければならないと感じた冬で、それがこの1年行動を続けた結果として見えたもののようにも思える。現状維持は緩やかな衰退であると誰かが言った。やはり、新たに人と出会い続けることは自分を更新し続けるために必要不可欠であろう。
💐
私と関係を持ってくれた全ての人の迎える日々が、
これからも素敵なものでありますように。
そして、
一緒に悩んで考えてくれて
私の話を最後まで聞いてくれたみんなが、
自分の現在地に自信を持てますように。
あなたが思うよりずっと、
あなたはそのままで十分素敵だから。
特定の誰かにってことではないけど届いていてほしいな、なんて一縷の望み。たくさん悩んで遠回りした誰かに。遠回りしてるのはわたしも一緒。みんな一緒だとは言わないしそんなことせず器用に生きることができる人もたくさんいるけれど。
流星群と化して過ぎゆく2024年に、
そして2024年、私と出会ってくれたすべての人に、
愛をこめて。
💐
みなさま良いお年をお迎えください。
今後ともよろしくお願いいたします。
2024年12月31日
2025年1月1日
三好で1ヶ月過ごしたこと。
お芝居をしたこと。
バ先の先輩が自殺したこと。
単位をたくさん落としたこと。
海士で2ヶ月過ごしたこと。
バイトを辞めたこと。
MVに出たこと。
九州移住ドラフト会議で八女とつながったこと。
生まれてはじめて(言いにくい)本音を伝えたこと。
サークルを辞めたくなったこと。
来年度は東京にいると決めたこと。
海士町に行きたいと思ってしまうこと。
海士町での日々を思い出さない日はないこと。
とにかく人に振り回された1年だったように思える。
1月
なにしてたっけ。記憶ない。なんかしてた。たぶんなんかがんばってた。たぶん人生初の四国行きにわくわくしてたと思う。
2月
三好。
三好いる間に大阪行った。
3月
三好。
三好いる間に愛媛行った。興居島行った。島よいね。
この頃夏のインターン先に出会う。
前撮りが最悪だった。後撮りしたい。
4月
南相馬行ったけどあんまりいい思い出ない。やっぱり誰と過ごすか、誰と一緒にやるか、というのはきわめて重要。
三好で出会った人と東京で再会。2回とも池袋。珈琲伯爵。
5月
稽古がんばってた。ここも記憶ないけど色々がんばってた。
6月
稽古がんばってた。
2回目のヘアコンテストカラーモデル。髪ピンクになった。からの黒髪(不本意)。
7月
はじめて役者やって、はじめて舞台に立った。
表情管理をたくさん褒めてもらった。
一緒に舞台踏みたいって言ってもらえて泣いた。
ほんとうにたくさんのことを学んだ夏公演。
先輩が自ら命を絶ったということを夏公演千秋楽直後のバイトで告げられる。あのときはこんな仕打ちある?と思ったものだが、実は先輩が死んじゃったのはもうすこし前のことで、亡くなった事実を知らされたのがそのタイミングであったというだけ。千秋楽が終わるまで待っていてくれた、のだと感じた。あの日大雨のせいで雨が止むまで芸術館にみんなで残ることができたのも、雨で出勤が遅れて仲間と過ごす時間がすこしだけ増えたのも、「待っていてくれた」、そんな運命的なタイミングであったように思えた。これが最後の授け物であるとでも言うように。
私も死にたくなった。までも常に死にたいと思ってるのであまり変わらないような気もする。
そして7月31日、先輩の死から逃げるように海士町へ。
8月
海士町。体調不良。記憶ない。
研修がひたすらしんどい。
仕事を覚えて他のインターン生から遅れを取らないように、と必死で食いついた。仕事仕事仕事。
考えることがすき&人間大好きに気付き始める。
9月
海士町。やっぱり研修しんどい。いろいろありすぎて記憶がごちゃごちゃ。なんかまあいろいろ楽しかったことだけは覚えている。30日まで島残ってよかったけど残るんじゃなかったと一周まわって思うこともある。急にいろんな人と喋れるようになる。泣いたり笑ったり怒ったりなんか忙しかった。
10月
バイト辞めた。
貯金切り崩し生活スタート。
考えた、考えた、とにかく考えた。だって暇だったから。ちょうどバイト辞めたし。ある意味2024年いちばんしんどかった。出来事としては特に大きなことはなにもなかったが自分のなかで色々ありすぎてしんどかった。内省の秋。
ここでもまた、泣いたり怒ったりなんか忙しかった。
11月
ぬくもん(学内の有志展示会)出展した。
八女とつながった。
体調不良体調不良ひたすら体調不良。
MV撮影。
年内は無職を決め込んでいたのに結局バイト探し始める。
機種変一括払い&パソコンぶっ壊れのせいで口座が泣いていた。いや今でも泣いている。
人に対していろいろ諦めた。
相も変わらず泣いたり怒ったりなんか忙しい。
12月
内省の秋終わる。
新しいバ先見つかる。
MV公開。
いろんな人が連絡くれた。みんな思ったより私に関心持ってくれてるみたいでとても嬉しかった。
私ってどこまでも泣いたり怒ったり忙しい人間。感情が動くのは素晴らしいことだと思っていたけれどそうでもないかも、しれない。まあ外から見てる分には面白いかもしれないな、と思うなど。
下半期色々ありすぎて怖い…が、とりあえず2025年もおもろく生きようと思う。
おはよう2025年。
前半部はインスタに載せたものと同じようにも見えるけど、実はすこしだけ、書き換えています。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
2025年も仲良くしてください。
なんて祈りを、誰に宛てているわけでもない一縷の望みを、そっと吹きかけてみるなど。
それでは。