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私のことは、忘れてね。【寄せ集め】

あなたにとって私は思い出の中の住人かもしれないけど、少なくとも私は、私は ___ 。

私のことは、忘れてね。

💐

わたしは、誰のことも、
「三好で出会った人」
「隠岐で出会った人」
「写真を通して出会った人」
「一緒に撮影行った人」
「女子高時代を彩ってくれた人」
「あの冬分かり合えた人」
「あの春夜な夜な語りあった人」
「あの夏一緒に星を見た人」
「一緒に火を囲んで葛藤を分かち合った人」
「東京で刺激を受けた人」
「いま遠くの場所で頑張ってる人」、
だなんて思ってません。

思い出の「中の」人なんかじゃないし、私にとってはみんな、同じ時間を私とは異なる歩き方をしている、ただそれだけの人です、

他人のまたねはもう信じないと決めたけどさ

なんていうか、出会った人をね、「思い出の人」にしたくないんだよね
別に執着はしないけどそれが人よりちょっと強くて

人を愛するには人と関わることだと思うけど
人に臆病になるのも人を愛することだなと思う

私がうまくいかない要因って大抵の場合
解像度の低さか解釈の不一致のような気がするな

そう、出会い頭なんかよりいまの方がよっぽど大事で
きっかけありきだけれど きっかけごとき なんだよな

出会えた人たちみんな、私がこの選択をしてなきゃ出会えなかったんだと思うと、この上なく愛おしいな

忘れられない人も 忘れられないことも 忘れられない歌も たくさんあるけど 別によいのではないかな、それはそれとしてね。色々あったけど、わたしにあたたかい時間をくれた人たちみんな、100年先でまた巡り会えたらいいね。期待をやめたというべきか、諦めというべきか。

自分のことを大切にしてくれる人を大切にしようね、みんなみんなをひとりひとりを愛するのはやめようね、全員を愛してしまったらいつもこうやって苦しくなるからね

人に限らずハマっても幸せになれない選択だと頭で分かっているのなら、いくら心が持っていかれても流されないように

好き/嫌いですらも自分を幸せにするか否かの選択なんだな
そんなこと今知りたくなかったよ。残酷。

そう思うと、ひとりひとりとちゃんと向き合いたいって思うのも、人間関係において恋愛感情以前に全て「人として」から入ってしまうのも、すべて不幸の入り口では、?

忘れられない人を無理に忘れようとするのもやめることにした、感情が自然な場所にすっぽり収まって整理できる時はいずれ来るからだいじょうぶ

100年先で、100万年先で、巡り会えたらいいな、くらいのもの。いつの日かの巡り合わせに期待するくらいがちょうどいい。
「雨がやんだよ、まりな。風もやんだよ、まりな。星が出てるよ、まりな。月も出てるよ、まりな。行こうよ、まりな。どこまで行くの?決まってるだろ。火星の運河を泳いでいこう。木星の砂漠を渡っていこう。土星のわっかもすり抜けて。ずっとずっと先までいくのさ。100万年先まで行くのさ。、まりなも、行こうよ。」
これもまた、忘れられない人と歌とこと。

愛する人は選びましょう、いいかげん性善説から離れましょう、もっと自分の都合で動きましょう、近くて遠い愛じゃなくて、そう目の前にある愛を拾いましょう、

目の前にあるものほど限りがある。
愛する人は選びましょう、いいかげん性善説から離れましょう、もっと自分の都合で動きましょう

泣きたいことは山ほどあるけど、たくさん泣いたけど、色々とちゃんと割り切って、がんばるんだ、大きな何かが起こったわけじゃないんだから、そう私が勝手に苦しんでるだけだといえばそれはそう

その人といるときの自分が好きでも、そこに辿り着くまでに幸せになれないのならその人のもとに行くべきじゃない。恋よりもっとずっと、広い意味で。

手放したい記憶にもいろいろあるけど、忘れたいけど嫌な色としてまとわりついてく「忘れられないもの」と、心残りか残り香かなんらかの執着があっての「忘れられないもの」があるよね、

最近、思いを伝えることに対して臆病になっている。感謝を伝える言葉は、ありがとうだけ、?

「お前はどこに行っても必要とされるよ」という、残酷すぎる真実。

💐

寄せ集め、人についての葛藤。

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