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【小説】ラヴァーズロック2世 #22「キリコ・バナナシェイカー」
あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。
注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。
キリコ・バナナシェイカー
高層ビルの地下駐車場から白いリムジンが悠然と現れる。
エンジン音はほとんどせず、柔らかなタイヤの表面がアスファルトからゆっくりとはがれる音がかすかに聞こえるだけ。
車は今日も主の指示に従い、ウインカーを点滅させながら歓楽街に向かって左折する。
コーラルピンクの後部シートに沈み込んでいるのは、キリコ・バナナシェイカー。
長いことタクシー移動だった彼女に、念願の専用送迎車があてがわれたのだ。
白いドアが開き、ピンク色の内装が初めて目に飛び込んで来たときのことを、彼女は今でもはっきりと覚えている。
白い肌を鋭く切り開いたときの傷口、血が噴き出す直前に一瞬見えるウサギ色の傷口を連想してゾッとしてしまったけれど、慣れてしまえばこれほど快適な空間はない。
白服を着た初老の運転手とはまだほとんど話をしていないが、物腰柔らかで感じはよさそうだ。それにかれは、護衛もできる元武闘派だともきいているので正直心強い。
キリコ・バナナシェイカーはドアウインドウを下げ、乱立する高層ビルを見上げる。
バイオレットの虹彩に映り込んだ高層ビル群が、カレイドスコープのようにゆっくりと回転する。
鋭利な結晶のように空に向かって伸びていく銀色のモニュメントたち。
天に向かって伸びていく、この都市の推進力を支えているのは、紛れもなく自分のような少女たちなのだ。
〈仕事〉なのだからと割り切ってしまえば、どんなことでもやってしまう生真面目な少女たち。それはきっと良いことなのだろうが、その一方で何だかとてつもなく大きな間違いを犯しているような気もする……。
キリコ・バナナシェイカーはドアウインドウを閉め、小さなため息をついた。
発光する地下街への入り口が間歇的に現れてはドアウインドウに映り込み、ガラス越しの少女の顔と重なりながら流れていく。
車が歓楽街に入ると、今度は店先の照明が白いボディに映り込む。
極彩色の下品な光が、リムジンの白い肌を汚しながら後方へと流れる。
歩道の奥に時折みえる薄暗い裏通りが、今日はなお一層寂し気に映っていた。
「すいません。スピードを落としてください」と彼女は指示を出す。
地下街への入り口付近に女が立っていた。
ペラペラの安物生地で着飾り、今日もひとりで立っている。
キリコは、毎日この場所で客待ちをするこの女のことが、最近気になってしょうがないのだった。
ふたりの警官が女に近づいていくのが見える。どうやら職務質問を受けるらしい。
キリコは思わず身を乗り出し、ドアガラスにおでこをくっつける。それとほぼ同時に、どこからともなく表れたふたり組の男が、女と警官の間に割って入る。
リムジンがゆっくりとその前を通る。
口論しているようにも思える大陸の言葉が、ウインド越しにくぐもって聞こえてくる。デュラスがいっていた、これが〈叫ぶ言語〉か……。
女がドア越しのキリコに気づき、何を見ているのよ、といった感じでにらみつける。
切れ長の目。絶望すらしていない、いや、絶望などという概念に全く興味を示さないような鋭い目つきだ。
キリコ・バナナシェイカーも目を逸らさない。
ネオンの反射するドアガラスを挟んで、ふたりは見つめ合ったままゆっくりと離れていく。
あの女は私自身だ、とキリコは思う。
多分あの女も同じように思っているはずだ。
根拠などない。単なる直観。
彼女がにらみつけたのは私ではなく、彼女自身なのだ。
幾人かの見知りの大人と、その他大勢の知らない誰かにお膳立てされ、わかっているようでわかっていないまま、利用し利用され……ただ決定的なのは、全ては止められないこと、決して止まらないこと。終わりは自分だけにやって来る……自分だけがはじき出されたときに……。
「もう結構です。帰ります」
女の姿が見えなくなると、キリコは再び運転手に指示を出し、シートに深く沈み込んだ。
キリコ・バナナシェイカーが、こんなにも早くこの高級送迎車を手に入れることができたのは、ある事件がきっかけだった。
その日、いつものようにタクシーで帰宅していた彼女は、途中めずらしくコンビニによった。買い物を済ませ、タクシーに乗り込もうと後部座席に右足を入れた瞬間に声をかけられた。
そのツインテールの少女は、極端に背が低く大きなリュックを背負っていた。
「キリコ・バナナシェイカーさんですよね! 感激です! よろしかったらサインをお願いしたいのですが……」
少女は大人びた口調でそういった。
「あっ、ええ」と口ごもるキリコ。
リュックから色紙とサインペンを取りだす少女の様子を、キリコは注意深く観察する。何だか怪しい。
「尊敬しています」
少女は色紙に〈脇の下の女王〉と付け加えてほしいと懇願してきた。
キリコは、ここで全てを理解した。
やはり〈メッセンジャー〉に間違いない。
同姓同名の風俗嬢とわざと間違えることで、自分を挑発しているのだ。
こういった類の〈メッセンジャー〉に彼女は何度も遭遇している……そう、これが奴らのやり口なのだ。
動揺などしない。キリコはサインを書きながら、それとなく少女の顔を覗き込む。やはり目つきがおかしい。
「あのう……本当ですか? 入院したお友達のために、脇の下で千羽鶴を折ったって?」
少女は両手を合わせ、祈るようなポーズでそういった。
「ええ、でも……でもね……間に合わなかったの……」
キリコは目じりに涙を溜める。職業柄、この程度のことは簡単にできる。
「そうですか……」
ツインテールの少女も、思わずもらい泣きする。
いっけん、これほど微笑ましい光景はないように見えるが、実際はその裏で、信じられないような激闘が繰り広げられている。それを知っているのは、ごく限られた人間のみだ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
少女は何度もお辞儀をして、名残惜しそうに離れていった。
キリコ・バナナシェイカーは彼女を笑顔で見送る。
少女は両手でツインテールの根本を掴むと、進行方向に向けて頭をぐるりと機械的に180度回転させた。そして、その場で大きくジャンプすると、首から下の身体が空中で顔の向きに合わせ回転。綺麗な着地を見せると、背を向けたまま颯爽と歩きだした。背負っている水色とピンクのツートンリュックが、まるで中に生き物が潜んでいるかのようにモコモコと動く。
少女を目で追いながら、キリコ・バナナシェイカーは大きく息を吐く。
今日も何とかやり過ごせたと安堵する彼女だったが、タクシーに滑り込んだ瞬間、危機は全く去っていなかったことに気づく。
一部始終を見ていて何かを察知したからなのか、それともちょっとした隙に〈薬物〉を注入されたからなのか、手の震えが止まらなくなってしまったタクシー運転手。キリコを乗せ、何とか走りだしたものの、広場に面した裏通りに差し掛かったころには、もう完全に精神に異常をきたしていた。
運悪くその広場では炊き出しをしていて、それを目当てに大勢の日雇い労働者やホームレスが集まっていた。
タクシー運転手はわけの分からない言葉を発しながら、その人ごみに向かってアクセルを踏み込んだ。
人々をなぎ倒してもタクシーは止まらず、そのまま被害者たちの身体の上に乗り上げ進み続ける。
車体は大きく揺れ、段々と速度が落ちていく。
骨の砕ける感触がサスペンションを通して後部シートに伝わってくる。
ブロック塀に衝突してやっとタクシーが止まると、悲鳴はあっという間に怒号に入れ替わった。
運転手が群衆に無理矢理引きずり出される。
キリコ・バナナシェイカーは後部座席でうつむいたまま動こうとしない。
心の奥底から笑いが沸き上がってくる。もう、ごまかして生きることはできない。これは紛れもなく、戦争なのだ。
だが、そのあとのことはほとんど覚えていない。
ただ、誰かの指の第二関節が外からドアガラスを優しく叩く音、それだけが頭の片隅に残っているだけだった。
警察に保護されたような気もするが、白服の老人に手を引かれ優しくエスコートされたような気もする。そう、柔和な初老の男、ただの幻覚かもしれないが……。
このリムジンの運転手がすぐに気に入ったのも、そのせいかもしれない。
かれは優しい運転をする。加速や減速の負荷をほとんど感じない運転。それだけで、キリコ・バナナシェイカーは守られているのだと実感する。
「まっすぐに帰宅されますか?」
「はい」
かれは、余計なことを一切話さない。そこが一番気に入っているところだ。
リムジンはウインカーを点滅させながら左折すると、広い3車線道路にゆっくりと入っていった。
つづく