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【小説】ラヴァーズロック2世 #12「ウエディングドレスでカレーうどん」

あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。

注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。


ウエディングドレスでカレーうどん


一度だけの気の迷いから、厳格に守り続けてきたルール、北半バナナシェイカーズのライブ会場には決して近づかないというルールをイランイランは破ったことがある。

メジャーデビュー直前の北半バナナシェイカーズは、その日、インディーズとしては最後のライブツアー『北半バナナシェイカーズの北半球凱旋ツアー~ほーら、来た!来た! 北関東って北半球?~』のツアーファイナルを迎えていた。

会場は衝撃的なデビューを飾ったライブハウス〈聖地2ND〉で、一部ではあるが同時配信もされるらしい。

振り付け分析のための調査だと、彼女は自分自身に言い聞かせていたけれど、本当はインディーズ最後のパフォーマンスをこの目にじかに焼き付けておきたかったのだ。

目立たぬようアポロキャップを目深にかぶり、グレーのスウェットにベージュのワイドパンツで参戦した。

その日は何だか朝から頭の芯がボーっとしていて、陽の光が当たるすべての場所がにじんでいるように見えた。

観客に気づかれないよう少し遅れて開演後に入場したのだが、無駄だった。

イランイランの近くにいた北花フアンは、例外なく彼女の存在に気づき、驚き、戸惑った。

誰もイランイランに近寄れないので、ぎゅうぎゅう詰めのライブ会場を上から眺めると、ちょうど彼女の周りだけ小さな穴が開いたように見えるのだった。

最初こそ、躊躇のない痛いほどの視線を送ってきた観客たちも、ああ、これは同じプロダクションのモデルか女優がお忍びで覗きに来ているに違いない、と自分を納得させ、次第にステージに集中するようになっていった。

が、イランイランから決して注意をそらさないものたちがいた。

それは、よりによってステージ上の主役、北半バナナシェイカーズのメンバーたちだったのだ。

パフォーマンス中はもちろん、MCの最中でも時折チラチラとイランイランへ視線を向ける少女たち。

特に問題なのが、ショートカットのキリコ・バナナシェイカー。パフォーマンスに集中できず、歌も振り付けもガタガタだった。

これはまずい。想像できる最悪のパターンを超える酷さだ。

イランイランは身体を丸め、ひしめく観客たちの間をぬって出口へ向かった。

やっぱり来るべきではなかったのだ。

あれほど心地よかった歓声と耳をつんざくリズムが、今は胸をしめつけ、彼女を呼吸困難へと追い詰める。

何とか表に出てドアを閉めると、今度はひりひりするほどの静寂。

彼女は、防音ドアの冷たいスチールに額を当てて呼吸を整えようとする。

来なきゃよかった、来なきゃよかった……でも大丈夫……。

物販コーナーに飛び込み、定番の『北花Tシャツ』を一枚購入する。

手早くビニール袋から出すと、胸に大きく書かれた〈北乃花〉の相撲文字に顔を埋め、大きく息を吸い込む。

新品のTシャツの香りが体中に充満して、何とか落ち着きを取りもどす。

涙で濡れたTシャツを見て、自分が泣いていたことに初めて気づくと、今度は妙に可笑しくなってきて、思わず笑みがこぼれてしまう。



5分後、イランイランはスーツ姿の男と並んで大通りを歩いていた。

ビルの出入口で声をかけられたとき、かれが大手プロダクションのスカウトマンでないことが自動的にわかった。

実をいうと、イランイランは業界内のあるレベルでは有名で、スカウト厳禁どころか、まるで彼女が存在しないかのように振る舞わなければいけないという、ある種の紳士協定のようなものが結ばれていたのだった。

だから彼女に声をかけるものは、業界のルールに疎い弱小プロダクションか、よほど仕事ができないスカウトマンかの、どちらかだと相場は決まっているのだ。

反射的に断り、足早に立ち去ろうとしたのだけれど、差し出された名刺に見覚えのある文字を発見してしまった彼女。話だけなら聞いてあげてもよいという、あからさまに消極的態度の裏で、密かに躍動する好奇心の塊を必死に押さえつけていた。

そして、つい彼女は自分の年齢を20歳だと嘘をついてしまう。

雑居ビル6階の事務所へ上り会議室に通されると、すぐにスーツ男の上司らしき人物が現れた。

金髪でTシャツに短パン姿のその男は、ドアを開けてから閉めるまでの一瞬で、直前までしていたと思われる談笑用の笑顔から、真剣モードの真顔に素早く切り替えた。

「うーん、年齢的にどうかなー、アイドルを始めるとなると……」と金髪男。

「はぁ」

どういうわけか、イランイラン本人がどうしてもアイドルになりたいと懇願してきたという話になっているらしい。

隣のスーツ男を覗き込むと、何ともいえない顔つき。彼女は一瞬笑い出しそうになったが、眉間にしわを寄せて必死にこらえる。

続いて、アポロキャップを脱いで立ち上がると、指示どおりその場でゆっくりと一回転。アイドル志願の女の子がこんなにもラフすぎる服装でやって来てよいものなのだろうか?しかもノーメイクで。

「ねえ、女の子がアイドルになれるか、なれないか、体のある一か所で判断できるって知ってる?」と金髪男。

「ええーとぉ……わかりません」と可愛らしく首を傾げるイランイラン。

「それはね、〈骨盤の幅〉なんだよ」

「コツバンノハバ?」笑いをこらえるため、またもや彼女の眉間にグッと力が入ってしまう。

リオのカーニバルでサンバを踊る女性のような、ボン、キュッ、ボンなナイスバディではアイドルになれないとこの男はいっているのだろうか?

「もちろん君は合格だよ。〈骨盤の幅〉は。ただ、何というか……足りないものがあるんだよね。決定的に」

金髪男はこれだけはいいたくないような、それでいて、あえて質問してほしそうな、妙な塩梅の顔つきをした。

「何ですか? 足りないものって」

「そうねえ、ダサさっていうのかなあ、ほどよいダサさっていうの? それがねぇ……ないんだよねぇ」

「はあ……」

金髪男はイランイランの顔色を伺いながら「アイドルは無理かもしれないけど、モデルや女優だったら何とか……いや、ピッタリだと思うよ」と妙に優しい声でいった。

プライドの高そうな美少女は、あえてそのプライドを少々傷つけてみる。そして次の瞬間、優しく救い上げる。この、いったん下げてから上げるテクニックも、場数を踏んで獲得したかれ特有のテクニックなのだろう。

他のプロダクションに取られたくはないけれど、かといって勘違いされ、最初からでかい面をされても正直おもしろくない。何ごとも最初が肝心。非の打ち所のない美貌をもって生まれてきてしまったような小娘には、特にビシビシ行かなくては……そんな思いが透けて見える。

いきなり事務員らしき若い女性がドアをノックして入って来ると、金髪男に耳打ちをした。

ばれてしまったのかもしれない。

「家族とよく相談してみます」といってイランイランは立ち上がった。

顔を硬直させて事務員に何やら聞き返している金髪男に深々と会釈すると、彼女は急いで会議室を出た。

そのあとを追いかけるスーツ男、それを制止する金髪男の声。しかし、その声もスーツ男の耳には入らなかったようだ。

エレベーターにギリギリ駆け込み、イランイランの横に立つスーツ男。何とか引き止めようと矢継ぎ早に話しかけるが、もう彼女には全く聞こえていなかった。

間違いない、あの金髪男は地下アイドルユニット〈ウエディングドレスでカレーうどん〉を短期間ではあったが全国区にまで押し上げた敏腕プロデューサーだ。名刺を見せられた時のプロダクション名でピンと来たのだが、やはり間違いなかった。

イランイランはかれのようなタイプの人間に興味を抱いていた真っ最中だったので、まさにグッドタイミングだったのだ。

そう、素人に毛が生えたような成り上がりの業界人。

本当のところ、アイドルなんぞに興味などさらさらなく、当然のことながらメンバーたちへの愛情も薄い。

だが、まるで助走する氷上のボブスレーをがむしゃらに押し続けるように、無理やりにでも事態を動かし〈ブーム〉を作りだすと、持ち前の実行力でそれを軌道に乗せてしまう。そんなゴリ押しタイプの人間。

無駄に広い人脈も利用するだけ利用し、強引にでも目的を達成させてしまうような人間。

かれのようなタイプは、アイドルにとって〈百害あって一利なし〉と正直、昔は思っていた。

けれど、今は違う。場合によっては、かれのような人間も必要な場面があるのではないかと、ちょうど思い始めていた時期だったのだ。

アイドルに必ず幾度かおとずれる転機、ビッグチャンスをがむしゃらな攻めの姿勢で取りに行けるのは、いったい誰なのか。

デビュー当初から共に歩み、少女たちの心の機微も今では実の親よりも敏感に感じ取ることのできるマネージャーたち?

 試行錯誤を繰り返し、やっと定着したイメージをどのように展開していくかを常に考え、一日のほとんど全ての時間を彼女たちだけのために費やす制作陣営? 

かれらはやんごとなき大人の事情や、メンバーに対する愛情、成功体験など色々なことを知り過ぎているが故にがんじがらめになり、大博打を打つことができなってしまう傾向が確かにある。

有能だが残酷で、当然のことながら少女たちへの保護本能も希薄、一見デリカシーのないように見える決断をここぞという場面でできてしまう人物が、時としてアイドルには必要なのだ。

残念ながら、良い行いが必ずしも良い結果をもたらすとは限らないのが世の常。かわいそうだけれど、彼女たちアイドルグループには大雑把にかき回す、ごつごつした手が必要な瞬間が確かにあるのだ。

我にかえるとスーツ男はいつの間にか消えていた。掌の中には、ねじ込まれたようにクシャクシャになった名刺が3枚。イランイランは名刺のシワを丁寧にのばすと、ワイドパンツのポケットに入れた。

今日は大失敗もあったけれど、思わぬ収穫もあった。

彼女はアポロキャップを被りなおすと大通りを歩きだした。

喧騒がイランイランの耳にやっととどきはじめ、彼女の存在も街に溶け込んでいく。

イランイランはショーウィンドウのある交差点の角を曲がっていった。

彼女の姿が消えて随分とたってから、通りを歩く人々は急に何かを思いだしたかのように足を止め、ハッとなって振り返った。

そして、一時停止した動画が通常再生に戻ったかのように、また街は慌ただしく動き始めるのだった。

つづく


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