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【小説】ラヴァーズロック2世 #08「W・O・S」

あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。

注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。


W・O・S


ジェリービーンズが一面に敷き詰められたカラフルな砂漠がどこまでも続いている。

走るカメラを急上昇で離陸させれば、しみわたるように晴れあがった瑠璃紺の空。

さらにふわりと浮上し静止すると、一瞬の無音。

画面のブレが小刻みに現れ、横方向に2本のノイズが走る。

まるで空中戦アニメのオープニングのようだ。

心を落ちつかせ目も慣れてくれば、地平線へと続くひと筋の飛行機雲に気がつくだろう。

それは、ビーコンを発しながら真っすぐに進む飛行物体。

後方から追いかけるようにズームアップしてみると、その正体はなんと、ショートカットの美少女〈キリコ・バナナシェイカー〉。

華奢な身体には不釣り合いな黒のボンデージ系チューブトップに、エナメルのホットパンツ、右腿にはガンフォルダーまで装着している。

風になびく長い前髪の下には、意志の強そうな太い眉と大きな瞳。

右の握り拳はグッと力強く前に突き出されているのだけれど、もう片方の手は緩くて脱げてしまいそうなホットパンツをどうにかこうにか押さえつけているというありさま。

正直、不格好極まりない水平飛行なのだが、できれば大目に見ていただけるとありがたい。

理由はわからないが、ここワイルド・オープン・スペースでは、身体のサイズがオリジナルの約98パーセントに縮小してしまうらしいのだ。

だから、この時空間に召喚させるたび、彼女はぶかぶかの衣装で風圧と格闘しなければならないというわけ。

画面の右下で高速で回転している数字は、位置座標データ。

実はこれ、キリコ・バナナシェイカー自身の位置ではなく、彼女の鼻の先に浮かぶ小型ブラックホールの位置を表すもの。

そう、キリコ・バナナシェイカーは飛行しているというよりも、高速で移動するブラックホールに向かって、常に落下し続けているといった表現のほうがしっくりくるのだ。

世界中のフアンたちが発信した膨大なデータをある一点に集中させ続けると、その密度はやがて限界を超え、無限大になり、ついには情報の特異点が発生する。

これがいわゆる情報のブラックホールなのだが、この特異点を移動させている主体は、当然キリコ・バナナシェイカー本人。そして、それを陰で支えるように彼女の意思を座標データに置き換えるのが、クラウディア社の地下室でひっそりと稼働している大型電子計算機なのだ。

いずれにせよ、飛行する彼女にとって最も重要なのは、このブラックホールとの距離感だといってよい。

なぜなら、操作を誤れば、あっという間にブラックホールに吸い込まれてしまい、永久に抜け出すことができなくなってしまうのだから。

情報ブラックホールの異常な密度は、その中に存在する意志決定主体のフロンティアスピリット的探究心をいとも簡単に挫折させてしまう。

針先のように微小な中心部のみの情報を読み取るだけで何世代もの時間を要するのだから、ブラックホールの外へ到達するなど明らかに不可能なわけで、これは生命が本来持っている〈外界への展開〉というベクトルを無理矢理内側に捻じ曲げていることに等しい。

この辺の事情をフアンたちも十分に心得ていて、彼女が穴に近づきすぎると「キリタン、下がって下がって!」などと愛の大合唱で忠告すること怠りない。

このように、フアンはキリコ・バナナシェイカーの一挙手一投足に注意をはらい、過剰に心配すると同時に、そのギリギリの状況を全力で支え続けている自分自身に酔いしれるのだ。

ところで、キリコ・バナナシェイカーの〈時間〉に対する観念は、ここワイルド・オープン・スペースにおいては少々特殊な部類に入るといってよい。

彼女にとっての〈未来〉は、前に突き出された握り拳、あるいは、それよりもちょっとだけ大きいオツムから始まる上半身で、〈過去〉は狭い骨盤のあたりから、ウサギの耳色のような爪先まで。そして〈現在〉は、ちょうどその真ん中のエクスクラメーションマーク、〈おへそ〉辺りということになる。

そう、彼女にとっての〈時間〉は、進行方向に沿って前から後ろへと直線的に整然と流れるものなのだ。

それは、今この時を驚き顔で通り過ぎる瞬間瞬間の連続だと表現しても間違いではないだろう。

しかし、ここワイルド・オープン・スペースでは、そうはいかない。

ワイルド・オープン・スペースでの〈現在〉は、〈過去〉の否定としての〈現在〉であると同時に、〈未来〉の否定としての〈現在〉、すなわち、〈過去〉と〈未来〉の相互否定としての〈現在〉であり、しかもこの〈現在〉は〈現在〉自身によって限定された〈現在〉なのだ。

ワイルド・オープン・スペースでの時間の在り方と彼女の時間認識の違い……高速で移動する場合、この見解の相違は結果的に〈おへそ〉のあたりに気圧差を発生させ、低圧部に断熱膨張を引き起こす。

現在の中を漂う無数の瞬間たちが凝結核となって大量の雲が発生、ひしめき合う無数の〈過去〉と〈未来〉は、〈現在〉の中の多様なバリエーションと化し、発生したその雲を巻き込みながら後方に勢いよく流れ続ける。

実はこれが、彼女の後ろを流れる飛行機雲の正体なのだ。

そして、その飛行機雲にもっと近づいて観てみれば、さらに理解できるはず。

Gペンで引いたような飛行機雲の輪郭線……それは線ではなく、フォントサイズがうねるように変化している密集した文字列で、その文字を読めばワイルド・オープン・スペースの時空間の基本的な在り方や、歪ませ方などが手に取るようにわかるという仕掛けになっているのだ。

キリコ・バナナシェイカーは、速度を下げ低空飛行に入ると、時折現れるピンク色の巨大なモニュメントの間を遊び半分に通り抜ける。

砂漠を駆ける野生馬の群れを見つけた彼女は、さらに高度を下げ、馬たちの速度に合わせゆっくりと地形追随飛行を楽しむ。

こうして地表すれすれを飛ぶと、可愛らしいジェリービーンズたちの甘い香りが鼻をくすぐり幸せな気分になれる。

それに、上から眺めた野生馬たちの栗色の背中は、蜜蝋でコーティングされたような独特の艶を放っていてとても美しいのだ。

群れの最後尾から少しだけ離れて、必死に後を追う仔馬の存在に気づいたキリコ・バナナシェイカーは、レッグホルスターからベレッタのサブコンパクトをおもむろに引き抜く。(ちなみにこの拳銃は彼女のお気に入りで、チョコチップパターンのデザート迷彩柄に塗装されている)

キリコ・バナナシェイカーは一瞬たりとも躊躇しない。

「チュウチョって言葉、響きは可愛いけど漢字で書くと難しいし……」

懸命に駆ける仔馬の背中に狙いを定め、トリガーを引く。

銃口からサフランイエローのジェリービーンズが発射されると、銃声とほぼ同時に鈍い破裂音がそれに重なる。

跳ね上がるように走っていた仔馬の身体は、一瞬にしてめくり返り、地面にドサリと落ちる。

皮膚が内側で内臓が外側、ようは一瞬にして裏表が逆になってしまったのだ。

透明な水飴に浮かぶ大量のホワイトパープルのそら豆が、カラフルな大地の上でゆっくりと広がっていく。

母親と思われる一頭の馬が異変に気づき、踵を返す。

けれども、どうしてよいのかわからず、仔馬を鼻先でつついたり、周りを意味もなく走り回ったりするだけだ。

キリコ・バナナシェイカーは、とうに水平飛行をやめ、中空に立ち尽くすように浮遊しながらその様子を眺めている。

やがて母馬はあきらめたとみえて、群れを追いかけ走りだした。

「何てこと……自分の子どもがこんな目にあっても、それを理解することもできないなんて……ケモノってかわいそう……」

彼女の瞳に涙がにじむ。

「でも、あれね、結局はゼリーの塊だしね」

キリコ・バナナシェイカーは涙をぬぐうと「BH移動開始!」とファンたちに呼びかけ飛行を再開。

さあお仕事お仕事。

もう太陽も高くなり、陽差しも容赦がなくなってきた。

キリコ・バナナシェイカーは急上昇すると、一気にスピードを速め、地平線の彼方に消えていった。

つづく


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