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人権問題を考える

知人からこの本を頂いた。特集に「大切な人権の話」があった。とても考えさせられた文章があったため、それを書きます。


障害者の人権は見えているか  

栗田 季佳(くりた ときか)さんの文章を引用します(一部)

何が障害か、だれが障害者か、それは生物学的に決定された自明の存在ではなく、人が-往々にして当事者以外の-ある「できなさ」に注目し、「障害」とみなし名づけ、それを管理する政治の中で生じるものである。障害は人々によって構築される社会的な概念なのだ。
だれもができないことを抱えており、その点は同じなのである。障害の問題は、他者のできない問題ではない。できないことを抱える私たちみんなの普遍的な問題である。障害者の人権問題とは、障害者とされる人が身近にいないこと、また、できないことを受け入れられない、排除したがる人の性が根底にあることを考えれば、身近な問題なのだ。

この文章を読んだ時、ハッとさせられた。
私のできなさが、ある時、社会的に障害というくくりで語られることも起こり得んだと。

私は、リハビリテーション職として回復期病棟で仕事をしていた当時を思い出した。
そこには、手を動かすことができない人(患者)、歩くことができない人、上手にしゃべることができない人、たくさんのできない人がいた。
私は、疑いもなく「できなさ」=「障害」として機能訓練(リハビリ)をしていた。それが私の仕事だったから、深く考えることはなかった。

振り返ると、その環境では治療者としての私は間違いなく健常で、障害者は助けるべき対象という能力の優劣の関係を好まずとも前提にしていたと、おもう。
そして「障害」は私の外側の問題で、患者の固有の問題と決めつけていたと、おもう。

この記事を読んで、何か大事なことに気がつけたように感じている。言葉でうまく説明できないが、「私のできなさ」に何かヒントがあるような気がしている。

高齢化社会は、できなさを抱える人が増えていく社会です。そんな時代を生きていく私は何を学ぶべきなんだろうと改めて考えさせられた記事でした。
やっぱり読書はいい。是非、読んでみてください。

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