柔術で黒帯になった話 〜その三、紫帯編〜
皆さんこんにちは、もしくはこんばんは。
高知県高知市北川添の初心者に親切な格闘技ジム、トライフォース高知でレスリング、ノーギを指導していますオダです。
話のネタに大した話でもないのに引き伸ばして、更新を繋いでいます。
時間を稼ぎ、青帯編が終わりました。
紫帯からは、数多の柔術家がぶち当たるであろう壁に私もぶち当たってしまいます。
それは、「家族含め周りの環境が変わった」というものです。
紫帯になって少しの間はこれまでと変わらず週に1日や2日の練習には参加できていましたが、このあたりから劇的に自分の周りの環境が変わっていきました。
ただ、本当は練習に行きたいけど行けなくなったというものではなく、私の24時間の優先順位の中で「柔術の練習」の位置が下がっていったということです。
理由その一:「家族が増えた」
共働き家庭ですので、夜は子どものお世話が多くなりました。私が育児でできたことは少ないんですが、子どもたちと過ごす時間は楽しいものです。
今や三児の父、日々バタバタです。
理由その二:「仕事の役割が増えた」
年齢を重ねるとそんなものですよね。仕事も頑張っています。
職業柄、飲み会も多かった時期でした。
理由その三:「レスリング関連が忙しい」
レスリング協会の事務局にもなったりしましたので、色んな事業を運営していました。
スポーツ協会とのやりとりなど、単純に業務量が増えました。
特に四国インターハイの時は、レスリング競技は高知県開催ということもあり開催2年前くらいから慌しかったように思います。
理由その四:「運動自体はしていた」
全く練習から遠かったというわけではありません。
専門であるレスリングの練習は継続していましたので、運動不足を感じることは少なかったかなと思います。筋トレも空き時間でしていましたし、時には柔術の練習もしていました。
頻度が落ちたということです。
理由その五:「ケガ」
肩の脱臼やら、膝の靱帯損傷やら、少し大きめのケガをしたことも影響しています。
家族や職場に迷惑もかけられませんし、考える時期ともなりました。
主に上記の理由で、少しずつ柔術の練習(特にギ)から足が遠ざかっていました。
紫帯の時は、柔術の試合は一試合のみの出場でした。紫になってすぐでした。
その試合も3位だったように記憶しています。
あまり帯色にこだわりはなかったですが、周りの帯色が上がっていくのを眺めながら、「もうちょっと頑張りたいな」とは思っていました。
追い越されていきながら、少しずつ自分のモチベーションの維持も難しくなっていきます。
転機になったのは、現在のトライフォース高知の北川添支部が立ち上がるというタイミングで、インストラクターを任されることになったことかなと思います。
トライフォース高知の前身のジム(TEAM一領具足)が初心者を対象に柔術ジム(SAUDE)
を北川添に構えました。
自宅からも通える距離で週一日、初心者の方に指導することで自分の柔術のリハビリとして引き受けることにしました。
当時はノーギではなく、柔術を指導していました。
日々、指導していく中で会員の方から、ノーギやグラップリング、レスリングに興味を持つ方も出てきました。
柔術と並行して、グラップリングの指導もしていきます。
そうして、特に試合に出場もしていませんが、会員の方への指導の実績とジムへの貢献という点を評価していただき、ジムの代表から茶帯をいただきました。
私の紫帯は競技から普及指導への変遷となっていた時期となりました。
柔術だけではなく、いろいろな面で次の世代へのバトンタッチとなったのかなと結果として感じています。
地方のおじさん柔術家らしい、昇帯の仕方ではないでしょうか。
柔術の帯制度は評価とのことですので、競技力、理解度、貢献度など、いろいろ評価する尺度があって助かるなぁという思いです。
次回は最終回、茶帯編となります。
そんなに珍しい話もないですが、こういうパターンもあるのでぜひ練習に来れなくても、辞めずに月一の練習でもいいので継続してください。
トライフォース高知では、会員を募集しています。
柔術で人生を豊かにしませんか?
これまでとは違った交流、仲間ができると思います。
ぜひ、見学や体験に来てみてください。待ってます♪