柔術で黒帯になった話〜その一、白帯編〜
皆さんこんにちは、もしくはこんばんは。
高知県高知市北川添の初心者に親切な格闘技ジム、トライフォース高知でレスリング、ノーギを指導していますオダです。
2024年、世間はパリオリンピックで盛り上がり、高知からもレスリング競技で幼なじみで同級生が揃って金メダリストになるという映画化されそうな話題だらけの中、同じくレスリング出身の40代オジサンがひっそりと柔術黒帯を取得しました。
私の生活している高知県では、まだ柔術の黒帯の選手は少ないと思いますので、周りからはありがたくも敬意を感じる次第です。
さて、2025年早々に少し振り返り。
地方で柔術を嗜む方の黒帯までのキャリアの参考になればいいかなと思います。
参考にはならないかもしれませんが・・・
私は、レスリングも継続していましたし、同時にコンバットレスリングやMMAもしていましたので、柔術っぽい柔術でもありませんが、貢献度や柔術への理解度などを総合的に評価していただいた次第です。
20代の選手に求められそうな、いろんな試合に出て、結果を出して、という形ではないですが、地方在住の中年おじさんにはこういった昇帯もありだと思います。
さて、地方在住40代おじさんが、なぜ柔術を始めることとなったかを少し残しておきたいと思います。
いろんな人の人生を豊かにする手助けになれば、残しておく意味が出てきます。
私は中学校からレスリングを始めて、現在も続けています。レスリング歴はだいたい30年。
大学進学で関東に行き、レスリング漬けの学生時代を過ごしていました。
自分としては頑張っていましたが、結果はそこそこというところでした。
卒業後、高知でUターン就職、レスリングの現役生活としてはある程度線を引き、新しいことにチャレンジしようと思い始めたのが柔術でした。
余談ですが、自分が大学で2年に進級したとき、ひとつ下の後輩が練習着で「柔術で充実」というパラエストラのTシャツを着ていて、当時は「レスラーなのに柔術なんて」と思っていました。およそ5年後、柔術を始めるとは思ってもみませんでした。人は変わるものです。
高知で就職してからの何年かは宿泊勤務もあったので、なかなか練習に行く暇はないと思い保留にしていたんですが、宿泊勤務の落ち着いた頃に当時柔術チームとして活動していた「TEAM一領具足」(現在のトライフォース高知)の練習に参加するようになりました。
当時の高知の柔術は、チーム数も少なくサークル的な感じでした。
常設の道場ではなく市営の体育館や、学校のレスリング場を借りて練習する日々でした。
私はだいたい週に一日練習するという感じで、余暇の充実に取り組むという感じでした。
チームも柔術だけではなく、修斗(MMA)やグラップリングもしていましたので、私もいろいろ経験させていただきました。
当時は、柔道黒帯やレスリング経験者は青帯からという論争の前でしたので、私も白帯からスタートしました。
背中をついてはいけないレスリングから、どんどん背中をついては背後にまわらせないようにする柔術は、なかなか慣れないものでありました。
今もレスリングの試合に出てる自分としては、あまり下からのガードポジションは違和感もあり上手ではありません。永遠の課題です。
レスラーとしての自分と、柔術家としての自分がいつも喧嘩しています。
さて、白帯のときの記憶はさほどありません。
まだ若かったし、フィジカルも強かったので、白帯で苦労はあまりしませんでした。
当時は地方で柔術をする方は少なかったし、自分ほど体の大きい選手も少なかったです。
まぁ、単純に体格勝ちですよね…
ポジションを譲ることはあまりなかったので、負けることはなかったように思います。
その代わり、私が極めることもなかったですが…
極めは弱いです。ポイントで勝つ感じです。これも課題ですね。極めが弱い。
そんなこんなで、柔術を始めて一年くらいで青帯になりました。たぶん…
白帯の頃は、自分の身体の使い方を理解して、怪我をしない身体作り。
柔術の基本動作を理解することが大事かなと思います。
「練習のための練習」という土台作りが大事な時期だと思います。
さて、次回は青帯編となります。
思い出せるうちに記事にしようと思います。
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これまでとは違った交流、仲間ができると思います。
ぜひ、見学や体験に来てみてください。待ってます♪