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発表会と母とバイオリン

先日、生徒(中学生)のバレエの発表会に行ってきました。
私の人生で関わりのなかった世界を見てみたい・体験/体感してみたいという好奇心があるのと、「いただいたお誘いは断らずに行ってみる」が2023の目標の一つでもあるので、「ぜひ来てほしいです」とお誘いいただいた流れに身を任せてみました。

衣装がピンクだと聞いていたので、「ピンクのお花がメインの花束を」と、あれこれ悩んだ結果、潔くピンクのスイートピーだけで束ねてもらうことに。すると、私がもらったら最高に嬉しい私好みの花束になりました。
スイートピーだけの花束が花束として映えるのかやや心配になりましたが、花束を持って会場へ。

公演の時間まで会場でいただいたパンフレットを読んでいたら、そのバレエ教室の先生は私と同年代か、やや下世代なのかなという印象。

ある人はバレエを教えるお仕事に就き、
ある人は自らもバレエを踊り続け、
そして私は毎日辞めたいと思いながら中学校の教師をしている。

私にはバレエに携わるという人生という選択肢は全くなかったし、人生って、仕事って、何がどうなってとりあえずの現在地にたどり着いているのだろうと思いを巡らせていると、周りの席にどんどん人が増えてきました。

赤ちゃんとちびっ子が近くに座りました。
嫌な気持ちになりました。
私は子どもが大嫌いなのです。
(「大嫌い」というより、「私の中の「何か」が反応してしまう」というだけで、子どもを責めているわけではないです。たぶん。)

小さい子どもたちに囲まれたことによって、
この席嫌だ、この場ももう嫌だ、帰りたい、
とモヤモヤし始めました。
いや、でもバレエを見るぞと我慢していると幕が開き、全てのバレリーナが同じポーズで登場。なんだかその姿が圧巻で胸にくるものがありました。

小さなバレリーナから順番に発表曲に合わせてバレエを披露していく様子を見ていると、
小学生〜中学生のころ、バイオリンの発表会で私が抱いた気持ちを突然、ぽろぽろと思い出しました。
(そう、私は幼少期バイオリンを習っていたのです。)

母が今の私と同じ歳の38歳だったとき、私は小学校3年生くらいだったはず。
バイオリンという少し特別な楽器を習っているということにフフンという誇らしい気持ちがなかったと言えば嘘になりますが、今思えば、正直言ってバイオリンは嫌いでした。

今だから「嫌いでした」と言い切れますが、当時は自分で自分の本当の気持ちが分かりませんでした。
分かろうともしなかったし、分かることが必要だとも思わなかったし、「自分の気持ち」なんてものがあるのかどうかさえ知りませんでした。

モヤモヤしながら決して「好き」だとは思えないのに、「ここまでやったのにもったいないから」という義務感でバイオリンを続けていました。そしてバイオリンを習わせてくれた母に申し訳ないという気持ちもありました。

「自分は幼少期に習い事をやらせてもらえなかったから、自分の子どもにはたくさん習い事をさせたい」という母の優しさを、「優しさ」のまま受け取らなきゃいけない、という気持ちもありました。「やりたくない」と言えば、母の優しさを裏切ることになるような気がしていたのだと思います。

でもバイオリンを練習するのも嫌いだったし、否定ばかりするバイオリンの先生も苦手でした。
そして何より、私がバイオリンをどうやって弾いても、または弾いていなくても、
バイオリン教室への送り迎えの車の中も、レッスン中も、
母がずっと不機嫌そうな、不満足そうな表情を浮かべていることが本当に悲しかったのです。
家での練習も頑張れない、たまに練習しててもダメ出しされるばかりで褒めてもらえない。
どうやって母の優しさに応えたら喜んでもらえて、どうやってバイオリンを弾いたら愛されるのかが分かりませんでした。

妹は早々にバイオリンをやめてピアノが習いたいと言い、そしてピアノもやりたくないと言って、すぐやめました。そんな妹は、どれだけ母を振り回しても、新しい楽器にどれだけお金をかけても、母に愛されているように見えました。私はずっとバイオリンを続けているのに母に振り向いてもらえない。妹が羨ましい。どうしたら分からない。ずっとそう思っていました。

バレエを見ながら自分のバイオリンにまつわる記憶がぽろぽろと溢れてきて、そして気付くと涙もぽろぽろと出てきました。

「私は何をやってもダメだ」って、
「私は何を頑張っても愛されない」って、
ずっとずっとずっと、自分で自分に叩き込んでいました。
でも、「そういう風にしてきたたんだな」って気付いたら、不思議と体がモワッと温かくなって、なんだか少し安心した気持ちになりました。


バレエの発表会の第一部が終わり、買った花束を渡そうとして出演者を探したけれど見つけられず。受付の方に花束を預けようとしても断られ、しばらくウロウロしましたが、結果、花束を渡すことを諦めました。
自分への花束にしました。
と思うと、スイートピーだけで束ねてもらった私好みの花束が意図せず私に贈られて、それはそれでなんだか幸せな気持ちになりました。

元々自宅用にはチューリップを買っていた

家の花瓶に入れ、ベッドサイドに置き、毎晩、毎朝、美しいお花が目に入り、とても幸せな気持ちで何日も過ごせました。

ベッドから見たかわいいスイートピー

バレエの発表会を見て、まさか自分のバイオリンのことを思い出すなんて思いもしませんでした。


母に、
お母さんに、
「お母さん、のりちゃんのバイオリン、好きだな」
って言って欲しかった。

「お母さんに、のりちゃんのバイオリン、好きだなって、言って欲しかったね」って、
「私はのりちゃんのバイオリン、好きだよ」って、
38歳の私は、私の中にまだいる小学校3年生の自分に、これから、何度も何度も何度も、声をかけていきたいと思います。
そしたら、子ども嫌いの気持ちも変わっていくのかしら。

スイートピーを見ながら自分をなでなでしてあげたいです。


当初は、人のために買った花束が自分の元に返ってきたという笑い話を書く予定でしたが、書いているうちにどんどん気持ちが出てきたのでそのまま綴ってみました。

自分の中に、いろんな自分がまだまだたくさんいるみたいです。

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