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父に思いを馳せる⑥

父が8月4日に亡くなり、今日で四十九日です。

節目なのでなんとなく文をしたためようと思って書き始めたけれど、言葉が浮かんでこない。


「8月4日に亡くなった」ということから遡って考えると、
あの日に、
あの時に、
ああすればよかった、
あんなこと言わなければよかった、
この気持ちも伝えたかった、
このことも聞いてみたかった、

そういうことが山のようにあふれてくる。

「お父さんがいるこの世界にいられる残りの時間は長くはないんだろうけど、でも、今日みたいな明日がきっとくる」と思って毎日を過ごしていた。

7月の中旬、入院していた父が「家に帰りたい」と言ったので、お医者さん、看護師さん、介護士さんに家に来てもらえるようにし、私は実家に住むことにした。

知人に借りた見守りカメラに映っている
父と私の、2023年夏の、いつもの様子


私は父の最後の12日間を家で一緒に過ごし、最期の時も見送ることができた。
「お父さん、おつかれさま。」
「お父さん、ありがとう。」
って、気の利いた言葉を言えればよかったのかもしれないけれど、そんなことを言ったら本当に今が最後になってしまう気がして、言えなかった。
ただ、「お父さん、お父さん」と言って、父の体をさすることしかできなかった。

父がいなくなっても、私の生活は止まらない。
仕事も行ってるし、日々のことに腹も立てるし、友達とご飯を食べに行ったりもするし、新しいことにチャレンジしてみようとしたりもするし、ラジオを聴いて笑ったりもする。

ふとした瞬間、
何気ないことを「お父さんにLINEしようかな」と思った時に、父がもうこの世界にはいないことを思い出す。

今、こうやって文を書きながら、父との最後の日々のことを思い出していたら、久しぶりに涙があふれてきた。

父が亡くなった後の毎日を予想していたよりも普通に過ごせているから、なんだかそんな自分のことを大丈夫なのかな?と思ったりしていた。
体の中には、きっといろんな感情が目に見えない場所にあるけれど、それでも日々を生きているなんて、私の体って、本当にすごい。めちゃくちゃ頑張ってる。

お医者さんが「もうできることはない」と言ったとしても、
その日が死ぬ1日前だったとしても、
「生きている」ことには変わりなくて、
病院や医療では埋めることのできない「生きている」瞬間瞬間が、その最期の瞬間まで、豊かなものであってほしい。

四十九日の今日が終わったら、父がもっと遠くにいってしまう気がして、寂しい。


思いついたことを言葉にしてみました。
いつか、でも忘れないうちに、父との日々を、言葉でまとめてみたい。
それを今年の目標のzineに綴れたらいいなと思っている。


タイトルの写真のハーゲンダッツは、結果、父が最後に食べた抹茶アイスの写真です。

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