見出し画像

ドラマみたいなことは起こる

きのうのこと。
この1ヶ月、特にこの2週間くらいは最悪の底にずっと居た。

何回死んでやろうと、
この世からいなくなったほうが楽なんじゃないかと思ったことか。
離れていった知り合いや、なかなか連絡が取り合えない友人のことなんかを思い出しながら。

もし自分が今、この世からいなくなっても
多分、誰も気づかないだろうなと。
気づく手立てもなければ知らせてくれる人もいない。
だから静かに消えていくだけなんだろうなと。

死んだこともわからず音信不通の失礼な変わり者にでもされるのかな。

なんてことを今朝考えたりしていた。
結構冷静に。

そして19時過ぎ、家族から電話。
「隣のビルで飛び降りた人がいるみたい。今パトカーとかが来てる。血の跡も見た。警察から質問された。気持ちが落ち着かなくて、電話してしまった。こんなことで電話してごめん。大丈夫?」

ああ・・・死にたい気持ちの人がこんなにも近くに居たのだ。
二度あることは三度ある・・ではないけれど。

これで3人目。

一人は知っている人。
或る人の話を聞き、当時私も同じような心境にあったから、とても心配をしていた人。友人のツテを辿り、なんとか引き留めようとした。だけれど、友人は私に繋げることをしなかった。絶妙なタイミングで連絡をしたから、タッチの差で彼はその後すぐにこの世からいなくなった。私のあの必死さを「虫の知らせかな」なんて友人は言ったけれど、そうではない。予感ではなく、直感で私はできることをした、しようとしていたのだ。それを繋げなかったから、彼には死しか選択肢が生まれなかったのだ。
非難する気持ちなんて毛頭ない。だが、真っ直ぐにそう信じている。
命はそれほどに儚くて脆い。丁寧に扱わなければならないのだ。

もう一人は、知らない人。
飛び降りた後の現場に居合わせた。
何を思って、飛び降りたのだろう。同じフロアにいなかったその人が毎日どんな気持ちで働いていたのかと思うと心が痛む。
これだけ多くの人が行き交い、命も行き交い、多くの人が働いている場所なのに、
誰とも気持ちが通わなかったのだろうか。
その人の日々を勝手に想像し、その場所を見上げては、思いを寄せる拝むような祈るような日がしばらく続いた。

そして今日。
その知らない人は、私とほぼ毎日半径2〜3mくらいのところにいた。
男性なのか女性なのかも知らないあなた。
ひょっとしたら、それは私だったかもしれないあなた。無事であればと思う。

どこかでほんの少しの気持ちが誰かと通えば助かる命がある。
けれど、どこかで知らないうちに消えていく命がある。
救えないだろうか。
ほんの一匙でいいから、気持ちを寄せて生きていけないのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?