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フリーランスになったことだし、ちょっと今までの自分について語ってみる(後編)

3本目になりました。前回までの投稿はこちら。


二足の草鞋を履く

2023年頃より少しずつお客様も増えてきました。スリランカを専門に旅行サービスを提供している人ってそんなに多くないので、見つけてもらいやすかったのだと思います。
こちらはコロナ後最初のお客様。(*1)

他社から脅しまがいのことに合ったり、めちゃくちゃなクレームに合ったりといろいろありましたが、それもお客様からの仕事をいただけたからこそ。大学院の仲間の手を借りながら、その都度なんとかしてきました。
平日の日中は会社勤め、平日夜と週末は旅行業と、本業と副業を両立するリズムができてきました。スリランカとの時差(3時間半)も、夜の作業時間がとれるのでやりやすかったですね。私は朝に激弱の夜型なので、絶妙な時間差です。

副業をして変わったこと

街の経営者さんとの会話がより楽しくなった
いつもお世話になっている美容室のオーナーとか、ちょっとこだわりの街中華(*2)の店長とか、同世代の経営者との会話からは参考になることが多かったです。自分も「小さな経営者」となることで、彼らとの話の内容が以前とは変わるとともに、自分を認めてくれるようにも感じました。

自分の人生を生きている感覚が持てた
これだ!と思ったことを形にしてみたことで、以前よりも自分の人生を生きている感覚が持てるようになりました。

効率性を考えなくなった
会社員としての仕事では、限られた時間の中で、自分の業務範囲をなるべく限定して、さっさと終わらせることを考えていました。
しかし、そもそもやったことのない旅行業は当然に時間がかかります。しかも基本的にやりたいことなので、だいたいはどんなに時間をかけても苦になりません(肩と首と腰はバキバキになりますが・・)。そして自分でやると決めたことなので、最終的にはあきらめがつきます。何かにイライラすることも減りました。
なお、効率性を考えなくとも、ずっと非効率になるわけではありません。例えば、私は年間数百件の旅程と、それに準じた数の見積を作ります。経験曲線をあっという間に滑り下りるので、続けてさえいれば、ずっと非効率でいることの方が難しいです。効率は非効率の上に成り立つ、それだけのことです。

副業で困ったこと

本業と副業の両立は、良いことばかりでもありませんでした。
一番つらかったというか、はがゆかったのは、集中力が分散してしまうこと。時間は作ることができても、自分の精神力はそう簡単にスペースを作ることができません。特にコロナがあけた2023年の夏頃から、そう思うようになりました。
本業は主に社内向けに、適切な手順で業務が行われているかチェックする仕事でした。副業では個人のお客様向けに、感情に左右されやすい旅行というサービスの企画や説明をします。頭の使い方というか、使う部分が全然違うので、その切り替え(頭の中の段取り替えコスト的なもの)に想定以上に疲弊していました。双方の分野が関連していればそんなことはないのかもしれませんが、良い切り替え方法については未だに模索中です。

副業だから・・ということで、私自身の甘さも出ていたかもしれません。タリンダは早くからジャスミンツアーズ一本で仕事をしていましたが、私は他に収入源がありました。「値決めは経営」とは本当にその通りなのですが、特に金額を決めるときなど、自分の胆力のなさというか、甘さが出てしまったことがあったように思います。
とはいえ本業にした今も、そんなに利益だけを追っていません。スリランカにかかわる何かができているだけで、常に何かをもらっている感覚があります。人によってはそれが甘いと映るのかもしれませんが。

大変なこともありましたが、「やらなきゃよかった」と思ったことは一度もありません。

会社員生活に終止符

二足の草鞋で2年ほど経ったでしょうか。いろんなタイミングが重なって、10年間勤めた会社を辞めることにしました。心の中で決めたのは2023年の10月。引継ぎして2024年の2月末で退職。そのときのFacebookの投稿を引用します。


【これからの人生の使い方】

10年近く勤めた会社を退職しました。
スリランカ旅行業に注力するためです。
とはいえ、それだけでは食べていけないので、非常勤で監査等の仕事もします。今までと主副を入れ替えるイメージです。

このタイミングになった理由は、ポジティブもネガティブもいろいろあるのですが、お世話になった方への退職ご挨拶メールに
「今後の人生の使い方を考え、ここで一区切りつけることにしました」と書いていたので、これが大きいかもしれません。

最近、以前隣の部署にいた同世代の同僚を亡くしました。コロナになってから直接会うことはありませんでしたが、それだけに今もどこかで働いているような気がします。
彼女にとって、幼いお子さんをのこしていくことはさぞや心残りだっただろうなと想像する中で、では自分なら何が心残りになるだろうかと考えました。

コロナが明けてもなお厳しい状況にあるスリランカの人と、少しずつお客様もついてきた旅行業をとことんできなかったことではないか、と思い至りました。
年々自由に働かせてもらってきた上司にはとても感謝していますが、どんなに業務と時間を調整できても、週5日フルタイムで働くのにはそれなりの集中力が必要でした。自分にとってそれを注ぎ続けることにどれだけ意味があるのか、考えることが増えていました。

とはいえ、我ながらむこうみずな選択を、彼女の存在を使ってもっともらしく理由づけようとしているだけな気もするし、きっとその面もあります。
それでも懐の深い人だったので、きっとおもしろがってくれるでしょう。

これを書きながら思い出したのは、そもそもスリランカを旅先として認識したのは彼女の話もきっかけでした。新婚旅行でモルディブに行く途中、特に興味のない旦那さんを説き伏せて数日間スリランカを旅行した話を、ランチしながら聞いたのでした。

だからなおのこと、おもしろがってくれるだろうな。

私はあの世というものを信じないので、またいつか会えるとも思いません。彼女が新婚旅行の思い出を語ったような近しい人が、いつか私たちのサービスを使ってくれたら嬉しいなと思います。
もちろんお互いそうとはわからなくても良いのです。
長く続けていかないとな、と改めて彼女に誓います。
そんなわけで、みなさんスリランカにきてくださいね。引き続きよろしくお願い致します。


旅行業は軌道に乗り切っておらず、大学院も卒業していませんでした。自分自身の予想よりも早かったですが、辞めました。上記はきれいに書いてますが、他にきれいでない理由もあります。それも含めてタイミングでした。
ちなみに、会社を辞めると伝えた時の相手の反応は、真っ二つに分かれました。ある一定年齢以上の人(いわゆる偉い人)からは、何をバカなことを、という反応でした。少し年上か同世代以下の人からは、たいていうらやましがられました。

フリーランスになって半年

予定通り、非常勤で監査の仕事をしながら、残りは旅行業に時間を使えています。この半年、以下のような変化がありました。
・仕事と遊びの境界線があいまいになった
・曜日の感覚があっという間になくなった
・めちゃくちゃ運動不足になった (←これは何とかしなければ・・)

先立つものをはじめ、不安がないと言ったらうそになりますが、日々の充実感は大きいです。単純に、旅行業に時間を使える良さはありますが、それ以上に面白い気づきが日々あります。

特に、組織や時間から解き放たれたことで、時間と頭の余白ができたことはいろいろな変化をもたらしています。余白ができたことで、ものをとらえる目や感覚がクリアになったというか、柔軟になったというか。例えば、ありがたいものをありがたいと気づくことが増えました。
私の今までの経歴を話したり文章にすることで、面白がってくれる方が声をかけてくださることも増えてきたのですが、それにこたえられる心と時間の余白があるのも、またうれしいことです。
最近のことなのでまだ冷静に言語化はできていませんが、振り返るタイミングがきたらまたNoteにしたためたいと思います。

人生は壮大な実験

そんなわけで、長々と語ってまいりましたが、ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。みなさんがスリランカに興味を持っていただけることを願いつつ、いったん区切りとさせていただきます。

(*1)幡ヶ谷で小粋な飲食店、キッチンかねじょうを経営されています。

(*2)私のおすすめのこだわり街中華はこちら。麻婆豆腐が絶品。


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