SRIの75年間のイノベーション: コンピューターマウス
〜消費者向けのコンピューターがより使い易く、広く普及するきっかけとなった、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)の躍進〜
「75年間のイノベーション」シリーズでは、SRIが設立された1946年から現在に至るまでの数々の画期的なイノベーションを取り上げます。SRIの英語ブログでは、2021年11月の75周年を迎える日まで、毎週1つずつイノベーションに関する記事をリリースしています。この日本語ブログでは、その中からいくつかを日本語にてご紹介します。
コンピューターマウスの産声が世界に響いたとき
「いつから“マウス“と呼ぶようになったのか誰も覚えていないのです。ただ、しっぽのあるネズミのように見えたので、みんなそう呼んでいました。」 - コンピューターのマウスがなぜ「マウス」と呼ばれるのか、と聞かれたときのDouglas Engelbartの話より
皆さんがオンラインショッピングでスニーカーを購入するとしましょう。商品タイプの一覧をスクロールして好みのものを選び、詳細のページを開いて説明を読んだ後に、次はカラー・スタイル・サイズを選んで、オンラインショッピングのカートに入れます。そして、支払い画面に進み、配送の詳細情報などを設定して、最後にカードで支払います。では、これをコンピューターのマウス、もしくはマウスに相当するものを使わずに行えるかどうか考えてみてください。少なくとも、かなりの長い時間がかかるでしょうし、オンラインサービス自体を利用することに嫌気がさしてしまうかもしれません。
さて、「ポイント&クリック」機能を使えないウェブサイトはどのようなものになるでしょうか。使えないことはないかもしれませんが、見ているページを簡単にスクロールすることができないので、多くの人には使いづらいだろうと思われます。
コンピューターの世界で最も重要な発展の1つは、「人間がコンピューターとのやりとりをする方法」、つまり「ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI:Human-Computer Interaction)」と呼ばれる分野の進化です。HCI技術の1つである手に心地よく収まる小さなプラスチック製の楕円形デバイス、またの名を「コンピューターマウス」は、1960年代にSRIインターナショナルが開発したものなのです。
コンピューターマウスの産声
コンピューターの黎明期には、操作にはライトペン(light-pen)が使用されていました。1954年に発明されたこのデバイスは、画面上に表示されたオブジェクトに直接触れて操作するものであり、CRTディスプレイで作動するように特化して設計されていました。しかしながら、問題となったのはユーザーが長時間ペンをその場所に固定していなければならないことでした。1950年代はコンピューターの用途が軍事用途等と限られていたのでこの問題は許容できたのですが、コンピューターが普及するにつれ、人間工学により基づいた新しい方法である「コンピューターマウス」が普及していきました。
テクノロジーの歴史におけるコンピューターマウスの位置づけ
Douglas Engelbartは1962年に「Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人間の知性の増強:概念的な枠組み)」と題した画期的な論文を発表しました。この論文では、「システムの変更可能なコンポーネントを再設計するという工学的なアプローチによって、人間の知性における効率を大幅に向上させることができる」という仮説を述べています。そして、Engelbartはこの論文の中で以下のように指摘しています。
「『人間の知性を高める』とは、人間が複雑な問題のある状況に直面した際に、自らのニーズに沿った理解を得て、問題の解決策を導き出す能力を高めることを意味する。」
「我々にとっての通常生活とは、直感や手探り、形がないもの、そして人間の『状況に対する感覚』等が、確固な概念、合理的な用語や表記、洗練されたメソッド、そして高性能な電子機器とうまく共存している、統合された領域での生活を指している。」
この「人間の知性を高める」研究の1つの案として、Doug Engelbartとそのチームは、「マウス」と呼ばれるアイデアにたどり着きました。これは、人間の体を使ってデータをコンピューターに入力する機器のアイデア(ヘッドギアを含む数種類)の1つでした。実は、マウスの当初のアイデアは1961年の会議で発表されたと言われていますが、ヒューマン・コンピュータ・インターフェース(HCI)となるマウス第1号機が誕生に至る研究が本格的に始まったのは1962年のことです。
初期のマウスは、2組の回転するホイールを垂直に配列するよう設計されていました。1964年、SRIインターナショナルの元祖「マウスチーム」のメンバーであるBill EnglishはEngelbartが設計した「The Mouse」のプロトタイプを製作しました。このマウスには平たい形状のホイールが2セット使われており、押しボタンは1つだけでした。
こうして、コンピューターマウスが誕生したのです。
そして、「The Mouse」の特許は1967年6月21日に出願され、1970年1月17日に特許権を取得しました。
1972年、既にこの頃にはXerox PARCに転職していたBill Englishは、ホイールの代わりにボールを使った「ボールマウス」を開発しました。ローラーと内蔵車輪を使って動くボールは、電気パルスを利用して方向と速度を示すことができました。ボールは使用中に汚れやすく、マウスの性能に影響を及ぼしたことから、1980年代の前半にはボールマウスに代わる光学式マウスが設計されました。
地味なマウスが消費者向けコンピューターの世界を変えた
コンピューターマウスは、1968年に開催されたFall Joint Computer Conferenceでデビューし、HCI技術の世界をけん引する立場に躍り出たのです。Engelbartには、先見の明がありました。Engelbartは、「人間の進化が技術の進化に追従し、その逆もまた然りである」として両者が本質的に結びついて同時に発展していく世界を思い描いていたのです。
マウスの存在により、人間は極めて直感的な方法で自身の思考やアイデアをコンピューターに伝えることができるようになりました。コンピューターマウスは地味なものですが、コンピューターインターフェースのデザインにも大きな影響を与えました。現在、私たち全員が使っているGUI(Graphical User Interface、グラフィカル・ユーザー・インターフェース)は、人間とコンピューターとの関わりの革命の一端を担ったのです。これは、現在のタッチスクリーンにつながる道の革命的な第一歩でした。人間工学に基づいた、自然で魅力的なテクノロジーの開発がなければ、コンピューターはまったく別の道を歩んでいたかもしれません。
ということは、コンピュータの周辺機器で最も小さな「コンピューターマウス」は、我々が一般的に使用するコンピューターとその業界においても、今でも大きな影響力を保っているということなのです。
素晴らしい先見の明があったDouglas Engelbartは2013年7月2日、88歳で死去しました。SRIとNew York Timesの追悼記事をご覧ください。
コンピューターのパイオニアであったWilliam (Bill) Englishは2020年7月26日、91歳で死去しました。New York Timesの追悼記事をご覧ください。
※論文のタイトルなどは正式な日本語名がないため、意訳としております。
SRI Internationalについて、詳しくはhttps://www.sri.com/jaをご覧ください。
参考資料:
The Light Pen: https://www.computerhope.com/jargon/l/lightpen.htm
Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework, By Douglas C. Engelbart, October 1962: https://www.dougengelbart.org/content/view/138/#5
1968 demonstration at Menlo Park, California, by Douglas Engelbart of a mouse in action: https://www.computerhistory.org/revolution/input-output/14/350/2302
Douglas Engelbart Mouse patent drawings: https://www.computerhistory.org/revolution/input-output/14/350/1877
Original patent for the mouse, “X,Y indicator for a display system”: https://pdfpiw.uspto.gov/.piw?PageNum=0&docid=03541541
Bill English and the Ball Mouse: http://www.computinghistory.org.uk/det/720/bill-english/
編集/管理:熊谷 訓果/ SRIインターナショナル日本支社