ドラマや映画の音楽演奏のオシゴト
2022年ももうあと数分で終わり、というタイミングだけど、振り返るなら僕にとって2022年最大の事件はやはりNHKの朝ドラ「舞いあがれ!」への音楽参加に尽きるだろう。何せ毎朝毎昼、日本中のお茶の間や職場の休憩室などで流れてるドラマなのだ。見てる人の数が違う。今まで関わってきた映画やドラマの仕事の中でも飛び抜けて大きな仕事だった。という訳で今回は映画やドラマの音楽、いわゆる劇伴と言われる録音のお仕事についてのお話。
申し遅れましたが私、寺原太郎は、バーンスリーというインドの横笛を演奏している者です。普段は主にタブラ奏者と一緒に、北インド古典音楽を細々と演奏しております。そんな、あまり一般的とも言えない楽器演奏者にくる劇伴のオファーはだいたい以下の3種類。
1. インドが舞台あるいは登場人物がインド人で、インド的な雰囲気を出したい場合。
2. フルートや尺八と似てるんだけど何か少し違うという音色が欲しい場合。
3. どうして僕にオファーが来たのかよくわからない場合。
1.はアニメーションの「ブッダ〜赤い砂漠よ永遠に」とか、スーパー歌舞伎II「ワンピース」の女ヶ島のシーンとかがそう。女ヶ島はインドではないけれど、蛇の姉妹ということで作曲がインドイメージだったのだ。ただ基本的には、この路線のオファーはシタールに行くことが多いんじゃないかと思う。シタールがタラフ(共鳴弦)爪弾けばそれだけでもうインドの空気になるもんね。
2.は劇場版「るろうに剣心」のシリーズがモロにこれ。時代劇のようでいて時代劇じゃない作品の音楽に、日本の楽器のようでいて日本じゃない楽器を使うというコンセプト。尺八の代わりにバーンスリーだったり、琵琶の代わりにウードを使ったり。実は劇伴録音のお仕事で一番多いのはこれかもしれない。バーンスリーは結構応用範囲の広い楽器で、吹きようによってはコテコテにインドっぽくなったり、逆に全然インドっぽくなくなったりするので。ちょっと違う感じ、という音を演出するのには打ってつけなのだ。
問題は3.のケースだ。なんでこれ俺にきた?という。今回の朝ドラ「舞いあがれ!」が実はこれ。決してインドを求められている訳ではなく、かと言って何かの代わりという訳でもない。実は作曲家の富貴晴美さんは以前、3年ほど前のテンジン・チョーギャルとのライブに来てくれて、その時に空高く舞い上がるようなバーンスリーの音に惹かれて、それが今回のオファーに繋がったのだそうだ。
これ実はかなりのレアケースで、通常は作曲者はバーンスリーという楽器のことをよく知らない場合が多いので、尺八とかアルトフルートとかのイメージで曲を作ってくることがほとんどなのだけれど、舞いあがれの場合は作曲家がピンポイントでバーンスリーをイメージしていて、この楽器のこういう音が欲しいという明確なビジョンで曲が作られていた。有り体に言えば、バーンスリーで非常に吹きやすいフレーズ。バーンスリーの美味しいところが存分に発揮されるような譜面だった。こんなことは初めてだ。譜面を確認した時に驚きのあまり「え、富貴さんてバーンスリー吹けるんですか?」と言ってしまったくらい。それくらい自然な、あたかもバーンスリー奏者が書いたような譜面だったのだった。
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ところで、僕に来るような録音のお仕事は、いつもいつもこんな風にきっちり譜面に書かれたものばかりではなく、即興の場合も多い。インド音楽的なアプローチのものに関しては、むしろこちらにすべて任せて貰った方がやりやすい。剣心の時は、作曲の方からイメージを伺って、それを元にこちらから幾つかラーガの候補を提示して、じゃあこれで行きましょうということになり、最終的にRaga Bhairaviと、Raga Madhumanjaliという2つのラーガを録音した。Madhumanjaliは4つの午後のラーガの合成ラーガだ。
作曲家から譜面が送られてきたけれど、pdf開いてみたら五線紙の上にただ一言「即興で」とだけ書かれていてずっこけたこともある。いや良いんですけどね。僕らにとっては結局それが一番やりやすい訳で。
CM録音の時だったか、参考音源としてラケーシュ・チョウラシアとザキール・フセインの演奏を出されて、こんな感じで15秒くださいって言われたこともあったな。だったらラケーシュ連れてこいよってここまで出かけたよ。こんな感じで演奏できるのは世界でこの2人だけですから。
インドネシア映画「見えるもの、見えざるもの」の録音の時は、このシーンでこんな風に音が入ってきてこのタイミングで音が変わって、と実際に映像を流しながら音楽の方とかなり綿密に打ち合わせしつつ、一緒に作品を作りあげていく感じだった。ここまで深く作品作りに関わったことはなかったので、ほんと得難い経験だったと思う。
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ところで劇伴録音について、今回少し思ったことがある。端的に言えば、これは普通の録音ではなくあくまで劇伴なのだということだ。その違いを、これまであまり意識したことがなかった。
今回のように、作曲家さんから録音すべき曲の譜面を貰うと、僕はそれをひとつの曲として解釈して自分の中で流れを作る。ここで一旦落としてここで一番盛り上がる。1回目にこう吹いたから2回目は少しニュアンスを変える。次にこの音に行くために、前に伸ばす音のお尻を少しフラットさせる、等々。
ところが、だ。ドラマの中では録音された楽曲がそのまま使われる訳ではない。シーンの展開や尺に合わせて曲の一部をカットしたり、一部分だけを繰り返したりして使われる。するとどうだ。録音の時に僕が音に施したあれこれは、まったく意味不明なアーティキュレイションになったり、単に音程が悪いだけになってしまうではないか。頭を抱えた。そうか、劇伴ってそういうことか。
正直に告白すると、実は今まで録音系のミュージシャンの演奏って表情がなくてつまらないなと思ってたのだ。ところが実際にドラマの伴奏で使われてみると、彼らの演奏は曲の中の何処をどう切り取って繋げてもちゃんと成立するようにできている。なるほど、劇伴の録音ってそうじゃなきゃいけないんだ。
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劇伴の仕事に際して、僕らミュージシャンは魚だ。そして作曲家さんが料理人。料理人は魚を選び、献立を決める。料理人に選ばれた魚は、なるべく自分の良いところ美味しいところを見てもらおうと努力する。けれども、それを食べるかどうかはお客さん次第。ドラマの中で実際にどの曲をどんな風に使うかを決めるのは音楽監督や音効さんであって、作曲家や演奏者ではない。「鮮度のいいバーンスリー入ってますよ、お刺身でどうですか?」といくら料理人が勧めてくれても「いや今日は刺身はやめとくよ、塩焼きちょうだい」とお客さんが言うなら刺身に出番はないのだ。今回のNHK連続ドラマのために、作曲家の富貴さんはおそらく、アレンジ違いも含めて2〜300曲のレコーディングをしている筈だ。そして多分、そのすべてが劇中で使われるということはないのだろう。献立表には載っていても、お客さんに注文されなかったメニューはドラマでは流れない。
実際僕もスタジオでは5〜6曲の録音に参加したのだけれど、3ヶ月の放映期間に流れたのは2曲だけだった。回数も4回。ただそのうちの1曲が、ドラマの中の一番良いシーン、ここぞという場所でいつも使って貰えるという僥倖に恵まれた。人力飛行機サークルの無口な空先輩が思いの丈を熱をこめて語りだすシーン、人力飛行機が琵琶湖を飛ぶシーン、そして航空大学に入学した主人公がついに機体のコントロールを会得したシーン。総集編でも必ず取り上げられるその名シーンに、いつもバーンスリーの音が共にあるというのは、これはもう奏者にとって幸福以外の何物でもない。
朝の連続ドラマ「舞いあがれ!」はまだ後3ヶ月続きます。この後まだ僕の笛の出番があるのかどうか、それは料理人や魚の知るところではない。いち読者として楽しみだ。それ以外にも幾つか、音楽参加している公開予定の作品がある。2023年もいろいろ期待しながら、魚として精一杯アピールしていきたい。