愛を持って人と繋がること。そこから見えてきた”多様性”とは。
(グラレコ : 下沢杏奈)
4月24日にヒトカナLabとして第1弾となるイベント「Remoオンライン対談&交流会vol.1」が開催されました。
合同会社Staylinkの柴田涼平さんとゲストに株式会社ここにある代表取締役 藤本遼さんをお招きしてのオンライン対談。
藤本 遼(ふじもと りょう) 1990年4月生まれ。兵庫県尼崎市出身在住。「株式会社ここにある」代表取締役。「尼崎ENGAWA化計画」発起人。「すべての人がわたしであることを楽しみ、まっとうしながら生きていくことができる社会」を目指し、さまざまなプロジェクトを行う。「余白のデザイン」と「あわい(関係性)の編集」がキーワード。現在は、イベント・地域プロジェクトの企画運営や立ち上げ支援、会議やワークショップの企画・ファシリテーション、共創的な場づくり・まちづくりに関するコンサルティングや研修などを行う。さまざまな主体とともに共創的に進めていくプロセスデザインが専門。代表的なプロジェクトは「ミーツ・ザ・福祉」「カリー寺」「生き方見本市(生き博)」「尼崎ぱーちー」「尼崎傾奇者(かぶきもの)集落」など。『場づくりという冒険 いかしあうつながりを編み直す(グリーンズ出版)』著(2020年4月)。
藤本遼さんのnoteのリンクを貼っておくので、さらに気になる方はこちらからどうぞ! → https://note.com/fujimotoryo
今回は個人的な見解も交えながら、イベントの振り返りをしていきます!
「場を編む人」藤本遼とはどんな人?
場を編む人という肩書きの藤本さん。
一般的に使われる「場を作る」ではなく、あえて「編む」。
既存の場や取り組みにも価値があり、人の思いがある。地域に新しく入ってきた人が、「場を作ります!」と言った時、既存の取り組みの否定になってしまっていないかを問う必要がある。
元々根付いているネットワークに自分から入り込んでいき、それをどう組み合わせ、新しい形に見せ直すことができるかを考えている。
と語ります。
「いま、ここにある」ということを大切にして生きていくことができれば、社会は少しずつやわらかなものになっていくはず。
「ここにある」もののかけ合わせ、見せ直しこそが、いまの時代に求められているクリエイティブだと思う。(株式会社ここにある Facebookページより)
肩書きを紐解くことによって、藤本さんが大切にしている視点・思いが少しずつ見え始めてきました。
今になって再考するオフラインの価値とは?
「人と人が直接会えなくなったこの状況において、今までの”場の価値”・”リアルの価値”って何だったのだろう。」
という問いは多くの方が今まさに抱いていて、今後も問い続けていくべき問いだと思います。
オンラインでの会話や日常が主流になってきている今、今までよりも遥かに少なくなったこと。
それは”想定を超えた問い(バグ)”である。
例えば、外を歩いていて、目の前を歩くおじさんのポケットから1,000円札が落ちてしまったとします。
その時に、おじさんの後ろを歩きながら落ちた1,000円札に気づいた自分は、
・お金を拾っておじさんに渡す?
・お金を拾って自分のものにしてしまう?
・そもそもお金を拾わずに見て見ぬふりをする?
と一瞬のうちに問いに対する複数の選択肢から判断を下しています。
今、この瞬間の問い(バグ)に答え続けること。
これこそが、生きているという実感を生むのかもしれない。
この話を受けて、僕自身もオフラインの価値について改めて問い直してみました。
先程のおじさんが落としたお金の話に続けると、後日同じ道を歩いた時に
「おじさんの1,000円札を拾って渡してあげた場所。その行動によっておじさんが笑顔で感謝してくれた、なんとなく暖かい記憶が蘇る場所」として、”記憶や感情が蘇る”こともあるんじゃないかと。
自分の中で、この場所はこういう思い出がある、と”場や地域に色が付いていく”。
一人一人違うその場に対する”色”がまた、いい意味で価値観の違いや感情の違いを生み出していく。
偶発的な問いが生まれることが、結果として多様性を生み出すことにも繋がっているのかもしれない。
じゃあこの多様性って一体何なのだろう。
多様性について考える
多様性という言葉。
今まで「多様性を大切にしよう。多様性あるコミュニティを作ろう。」という考えや取り組みは自然と意義のあることだと感じていました。
例えば、「エコ」という言葉を絡めた取り組みは(殆ど)全てが社会的意義のある取り組みであり、反対すると自分が社会の中で悪役になってしまう。そんなことを無意識のうちに感じる感覚と似たようなものでした。
「多様性という”いかにも正義感の強そうな言葉”を発することによって自分が高尚な人間になった気がしていないか?」
このことをもう一度僕は自分に問いかける必要があると感じながら、対談を聞いていました。
対談の中で藤本さんが話していた「多様性」について、物凄く印象に残った言葉があります。
コミュニティスペースやカフェに行く時、時には自らがチームと組む時など、多様性あるコミュニティや人との繋がりを持つことはもちろん良いことだが、それ以前に自分の中の潜在意識と向き合うことが必要。
多様性を自分の外に求めるのではなく、まずは自分の中の多様性を育む(気付く)ことが大切である。
「確かに、”自分以外の誰か”との関わりを沢山持つことこそが自分の視野を広げる = 色んな考え、色んな人の気持ちを理解できるようになる。」
と今までの自分は考えていて(きっとこれも間違いではないのだろうけど)、自分という人間を大きく、深く、していくためには多くの人との出会いや関わりが必要不可欠だと思ってしまっていました。
すごく今の僕にとって大切な言葉を聞いた気がする、と思いイベント後に落ち着いてこの言葉を噛み砕いてみました。
異なる自分の共存を受け入れる
例えば、何か新しいことにチャレンジしたい!という前向きな気持ちの自分がいたとして(「頑張る自分」とでも名付けましょうか)、その自分は様々な”場”や”機会”に赴くことを良しとします。
しかし、実際に場や機会に行き、いざ目の前に見知らぬ人が現れた時、「この人たちにいきなり話しかけて、何か頑張りたいです!と伝えるのはちょっと怖いな...」という気持ちの自分(「怖がる自分」)が出てきます。
そんな時に、
・怖がる自分はダメな自分で、その自分を押し殺して前に進まないといけない。
・怖がる自分は役に立たないから、倒すべき敵で今後も必要のない存在。
と考えるのではなく、二つの自分を共存させながら、でも、今回は怖がる自分は一旦少し心の中の少し奥に座っておいてもらって頑張る自分で話しかけてみよう。
と考えることができたとすれば、それは自分の中で感情の多様性に気づいていること、受け入れていることだと思うんです。
この「頑張る自分」と「怖がる自分」は、”たった一人の僕”の中に共存するもの、共存すべきものです。
この共存を理解している自分がいれば、きっと誰かと接する時にも相手の気持ちをわかってあげられる、寄り添ってあげられる可能性が高まるはずです。
向き合いたくもなかった(見たくもなかった)自分の感情と向き合うことが、誰かを助ける手助けになるのかもしれない。そう感じました。
終わりに
今回、2人の対談ががあまりにも学びに溢れる内容であったこと、そしてその学びも「うんうん。たしかにそうだよね。」という内容から「そういう考え方(捉え方)があったのか...!」という内容まで、一つのテーマの中でも学びが深すぎたことから、言葉を咀嚼しながら自分の思考に追いつかせるまでに時間がかかりましたが、とても有意義な時を過ごすことができました。
僕は人が大好きです。
なぜか、という部分はあえて自分では言語化したくない部分ではあるし、言語化できない部分でもあると思っています。
今回、この対談イベントに参加できたことで僕は、きっと、もっと人を好きになれる。
そう感じられる素敵な機会になりました。
(グラレコ : 宮古朱理)