安全基地〜無償の愛を受け取る場所〜

物心ついた頃から、父のフキハラに晒されて育った。そんな私の安全基地は両家の祖父母であり、おじおばであった。両家の祖父母にとって私は初孫であり、両親の兄弟は私が生まれた頃独身であった。親戚唯一の子供として、本当に甘やかしてもらい図に乗って好き勝手をしてきた。
具合が悪くなりそうなので、過去の暴挙については割愛したい。が、ともかく家庭に心理的安全性があまりなかった分、祖父母やおじおばは、私にとって大切な安全基地だったのだ。

父方の祖母は、クリスマスと誕生日に毎回両親には買ってもらえないような豪華なプレゼントを買ってくれていた。母も、オモチャを買ってほしいというと「クリスマスにおばあちゃんに頼みなよ」と言っていたものだ。どころか、8月の弟の誕生日に弟のプレゼントを送ってくるときにも洋服だけは姉弟合同でくれていた。(もちろん3月の私の誕生日にくる洋服も、姉弟合同である)
母方の祖父母からは、例えばトイザらスで買うようなオモチャのプレゼントをもらった記憶はそこまでない。(忘れているだけかもしれない)だが、遠方に住んでいた父方の祖母に比べて一緒に過ごした時間は圧倒的に長い。夏休みや冬休みは、祖父がファミレスによく連れて行ってくれた。中学高校の頃は、父に嫌気が差すたびに近所の母の実家に行っていた。何をするかというと、週刊誌を読むのである。母の実家には、文春と新潮と週刊朝日とサンデー毎日が置いてある。林真理子さんや宮藤官九郎さんの文春のエッセイを知ったのは間違いなく祖父母のお陰だ。週刊誌を斜め読みしながら大音量のテレビを見やり、祖母と取り留めもなく話していると、時間は案外あっという間に過ぎてしまう。祖母には家庭での顛末を少し愚痴る。すると「あなたのパパは、ホンットに、相変わらずねぇ…」という望み通りの答えが返ってきて安心したものだ。母は、パパの悪口を祖母にはあまり言うな、と言っていたがとにかく共感者が欲しかった。そして、祖母は決まって「Miiちゃん、次男とは会う?元気なの?」と、近くに住む伯父(母の次兄)のことを気にしていた。母の実家も安全基地だと思っていたが、父と家にいたくない時は、近所に住む独身の伯父(先述の母の次兄)のマンションにもよく行っていた。大好きな KAT-TUNの亀梨くんの家に姪っ子さんが犬を連れて来る、という話を聞けば、何故か真似をして当時飼っていた犬を連れて行ったものだ。伯父の家でも何をするわけではない。犬とソファーで横になりながら、テレビを横目に文春やサンデー毎日よりオジサン色の濃い某週刊誌の「昭和スター列伝」の様な記事を読むだけである。とにかく自分にギスギスした感情を向けない人と過ごす時間が、心の安寧には必要だった。

父方の祖母も、母方の祖父母も、伯父も手放しに私の存在そのものを肯定してくれる存在だった。ちなみに、母方の祖母と伯父はまだ生きているので今もそうだ。父とはしっくりいかないし、性格が災いして、友達ともそんなにうまく関係を築けなかったティーンのわたしにとってどれだけありがたい存在だったか。
父の愚痴を言うのはたしかに母の言うように家庭としての健全さに欠けるし、私も思慮があったとは言えない。だが、私は実直に思いを言える相手がいることに、救われていた。多少いびつでも、心から安らげる場所が人間にとって必要なのだ。あれから歳を重ね、私が誰かにとって(恋人もそうかも知れないが、もっと年齢差のある対象をイメージしている。それこそ甥姪や、友達の子供など)そういう存在たりうる大人にならねば、と切に思う。今度は私がもらった愛情を返す番だ。