昭和のテレビ界を駆け抜けた女性たち〜20代のうちに3〜

私は29歳独身。結婚のチャンスは、なかった。周りの友達は結婚どころかママになる子もチラホラ。私だって、チャンスが有ればそりゃあ結婚したい。と言いつつ、育った環境からして、結婚に大きな夢を持っているわけではない。このままだとおひとり様まっしぐら??と感じる時もある。でもまず恋愛だ結婚だ言う前に、まずは経済的にも社会的にも個人として自立しなきゃね、と思って社会人をやっている。当たり前だが。そんな私が、憧れているテレビ業界のパイオニアたる女性たちへの想いを今回は記すことにする。私がテレビの世界に飛び込んだのには、彼女たちへの憧れもあるのだから。

まず最初に触れたいのは以前もこのnoteで、お名前を出したことがある石井ふく子さん。
言わずとしれたTBSのドラマのプロデューサー。有名なところで言えば『渡る世間は鬼ばかり』や『ありがとう』などのホームドラマを作った方だ。映像作品以外で、数々の舞台も手掛けられている。渡鬼は比較的最近までやっていたが『ありがとう』は何せ半世紀近く前のドラマなので知らない方も多いかもしれない。
膨大な彼女の作品を見なくてもいいが名前や実績はTVに興味のない方も、是非知ってほしい。石井さんのエピソードで私が好きなのは、水前寺清子さんに『ありがとう』の出演オファーをするためにトイレまで追いかけていったという逸話だ。いつか私もトイレまでは行かずとも、高い熱量でいい仕事がしたい。そんな石井さんは、独身を貫き現在はご友人と同じマンションの別部屋で暮らしておられる。先日、私は仲の良い独身の友人に「ずっと一人だったら、石井ふく子さんみたいに同じマンションに友達と住みたくない?一緒に住んで!」と言ったばかりだ。(また婚期が遠のいた気が…) 
次は、石井さんの盟友でもある脚本家の橋田壽賀子さん。代表作『渡る世間は鬼ばかり』は有名だが、朝ドラにも大河にも複数回登板した大脚本家だ。『おしん』が数年前再放送され、私は面白さに釘付けになった。ちなみに橋田さんはご結婚され、TBSのテレビマンだったご主人を見送ってからも執筆を続けられた。
ずっとご主人を妻として支えてきた橋田さんの結婚は、橋田さん世代の女性に一般的な夫に養ってもらう(家庭に入る)ものというより、共に歩みを進めるパートナーという側面が強いような気がする。この点に私は憧れている。
私は、主婦として家庭に入るというより、人生を並走するパートナーがほしい。
3人目は、脚本家の向田邦子さん。テレビドラマでは『寺内貫太郎一家』や『阿修羅のごとく』などの名作を生み出した。私が特に好きなのは初の長編小説「あうん」である。
これは今でも手に入るので、是非これを読んで下さった皆様にはオススメしたい。映像も良いが向田さんの筆致を、まずは味わってほしい。向田さんも、生涯独身を貫かれた。
彼女は、女性はそれこそ結婚や出産が当たり前だった時代に仕事に邁進し、自分の優れた感性をしっかり世に問うたところがとてつもなくカッコいい。もちろん前提にはその優れた感性があるのだが。向田さんの人間への深く鋭い眼差しを、是非多くの作品で味わって頂きたい。
4人目は黒柳徹子さん。日本のテレビ女優第一号。彼女の足跡は、そのまま日本のテレビ史そのもの。徹子さんも、若い頃にお見合いを断り、テレビの仕事に邁進して今がある。ご結婚はされていない。彼女が、生来持ち合わせていた人間への尽きぬ興味や愛情は何度触れても、学ぶところが多い。これも、あまりにも生来の気質によるところが大きく、簡単に真似はできないが尊敬の念は持ち続けたい。

私が彼女たちに憧れと尊敬の念を持つのは、女性が社会の中で仕事に邁進することが今ほど一般的でなかった時代に己の道を突き進んだ強さだ。せめて、このマインドだけは自分にもしっかり刻みたい。自分で決めた道を強い意志で歩み進めた先にしか、自立も(恐らく)良い恋愛も待っていないのだ。彼女たちから教わったのはそのことだ。なので普通に考えて、今の私が恋愛に縁遠いのは至極当たり前といえば当たり前。今は思いっきり将来に向けていろいろな準備と鍛錬を進めたい。まず目下の課題は経済的自立…実家暮らし脱却、である。