隠しきれないこの気持ち

先日Xを見ていたら大好きな朝ドラ『オードリー』の脚本家、大石静さんの人生相談(恋愛論)がタイムラインに。それを見た、恋愛経験ほぼゼロの私はなぜかコンプレックスを刺激され、胸が疼く感じを覚えた。そして至急考えを整理しなきゃ!!という思いに囚われた。もっと自分を知るため、そして今後の人生のために。で、頼まれてもいないのに、私なりの答えを書いてみた。(暇人)
ので続きをどうぞ!相談はこれ。


「自分が損をする恋愛はしたくない」というのは、ご尤も。クズっぽい相手にのめり込んでいる人に対し「自分が損をするのになんで?」という思いを抱くのはよくわかります。見境なく相手にのめり込んでいる友達を見るとちょっと引いちゃいません?私は、10代の頃から周りの友人を側から見ていてそう言う思いが拭えなかった記憶があります。何が彼女をそうさせるのかわからなくて、ローティーンの私には本当に気持ち悪かった。それが尾を引いて恋愛をしてこなかった気すらします。それはまぁ、私が理屈をこえて誰かを好きになるような経験がないからそう思うだけなのかもしれないですが。とにかく絶対に不均衡だろ、と思える恋愛をしている人は見ていて不思議ではある。これは、大石さんも投稿者さんのご主人も言われている通り、私も投稿者さんも恋愛初心者だからなのかもしれませんね。ですが「本当の恋愛」に対する答えなんてあまりにも壮大なテーマすぎてちょっと出しづらい。し、人それぞれに答えがあまりに違うのではないかと思います。どんなにモテる人でも、そこには辿り着いていない気がします。モテても、マッチングが成立するとは限らないのですから。百歩譲って「心の底から誰かを好きになったことがある」って言う定義ならまだわかるんですが。

 ということでここから先、書きたいのは「心の底から誰かを好きになったことない人て未熟なん?」と言うことです。人間には、人生にはいろんな状況がある。そう言うチャンスはいついかなる時も、何人にも用意されているわけではないでしょう。だからまぁ「未熟」と言うことでもないと思いたい。「そういうチャンスがたまたまあった人」というだけ。可愛く見える、ぐらいならいいけど未熟と言われるとちょっとモヤモヤする。たまたま素敵な人に巡り会ったからって、イキんないでよ・・。かなり重要なウエイトを占めている様に見えて、恋愛は人生のほんの一部に過ぎません。あさイチの某特集の例えを借りると「海外に行ったことがあるか否か」ぐらいの差であって、人間性に直結するとは思えません。クズでも相手がいる人は世の中になぜかいます。 

すみません、言い訳や妬み嫉みに文字数を割きすぎてしまうのでそろそろ本題へ。「心から人を好きになる」ということがどういうことか、私なりに考えてみたいと思います。拙い経験をもとに。あえて言語化すると「理屈を抜きにしてその人にとにかく惹かれ、とにかくその人のことを思ってるだけで幸せ」という感じかな、と思います。私の中で「最悪は、叶わなくてもいい」というのは一つの大きなシグナルだと思います。その人を思っているだけで途方もなく幸せで、好きだと言う勇気すら不思議と湧いてきてしまう。それを途方もなく好きなその人がくれるんですよね。これも一つの大きなシグナル。結果を想定するより先に体が動き出しちゃう感じ。だから結果は、最悪いい。(典型的な成就したことない奴の言い草。そりゃーもちろん色良い結果に越したことはないですね。そして秋元康さんが「会いたかった」で書いているのもこういうことではないかと思います。)

本当に好きだったら、結果云々の前に幸福な記憶としてその後の人生にも刻まれると思います。恋愛の経験の絶対数が多いことよりも、こういう記憶を持てることの方が幸せだな、と私は思います。ということで、最終的に実らなくても(実った方がもちろん良いですが)とにかくその人を思ってることが幸せ、というのが私の拙い経験から導き出した「心の底から誰かを好きになること」だと思います!そんな経験、今後の人生では待ってるといいなぁ〜。