変わらぬものと変わったもの。

今夜は『新宿野戦病院』の最終回。
『ふてほど』→『季節のない街』→『新宿野戦病院』そして山田太一原作を宮藤が脚本化した『終りに見た街』と今年のクドカンイヤーについてはいずれ記す。今回触れたいのは『新宿野戦病院』の主題歌を手掛けたサザンオールスターズのこと。

今年の6月、サザンは何と46回目のお誕生日を迎えた。そして昨年も今年も、新曲を複数曲出している。46年前というと還暦手前のうちの両親が中学生の頃。サザンファンの一番のボリューム層は、我が両親の世代ではないかと思う。(つくづくいい時代に生まれた人たち…)
うちの母と同じ65年生の、爆笑問題太田光さんもサザンを最初から見れたことは我々世代の誇り、と何かで書いておられたのを読んだ記憶がある。ということは、とりあえず半世紀近いサザンの歴史は人でいうと、中学生が還暦になるまで、のとても長い時間ということになる。95年生の私は現在29歳。15年ビハインドの私ですら30歳になろうとしている。これもまた、とてつもなく長い時間。音楽的素養を持たない私が、サザンのことを考える時、まず一番の凄みはこの部分だと思う。とてつもなく長い時間、桑田さんは表舞台に居続け、大衆に愛される音楽を生み出し続けているのだ。

最近、私より先に『いわゆるサザンについて』を読んだデビュー当時からのファンの母が2000年代はあんまり覚えていない、と言っていた。私と弟の子育てで忙しかったのだ。
それを聞いて私が懐かしくなり、久しぶりに2005年に出た『キラーストリート』を聞いてみた。私はサザンがシングルやアルバムを出すと小遣いを片手にCD屋に走る、けったいな小学生だった。買えば母も聞くし、車にしばらくは入れっぱなしになっていた。たしか『涙の海で抱かれたい』が初めて買ったシングルであったと思う。
『キラーストリート』を聞いていたら
まざまざと小学生の時の光景が頭に蘇ってきた。アルバムの曲はもちろん、当時のシングル曲は特に懐かしく聴いた。聞きながら、小学生の頃も、今も変わらずにサザンがそばにあることは、とても得難いことだと痛感した。
そして何故か、安心感を感じた。

時間の経過とともに、人生も世の中もどんどん変化してゆく。母は結婚して出産したし、私も小学生から社会人になった。受け手の人生は中身も含め、変わってゆく。自分は変わっても、そこに変わらず存在し続けるもの、というのはいつでもふとした時に帰れる場所のようなものかもしれない。サザンは変わらずにそこに居続けることで、多くの人にとってふとした時に心を休めて帰れる場所、であり続けているのだ。ポップカルチャーは、時代の中で次々新しく生み出されるもの。なかなか変わらずに存在しうるものではない。私がサザンと同じく大好きなアイドルが、刹那を愛でるものという側面が強いから、余計にそう思うのかもしれない。
(アイドルの迎える変化についてはたくさん書いてるのでそちらも、是非。) 
数年前のツアーの直前、同世代でサザン好きな知人の訃報に接した母が漏らした「私が死ぬかもしれないフェーズに入った…亅という言葉を思い出しながら、これからも、できるだけ長い時間サザンを楽しめますように、と祈る。