児島ジーンズとバラ色の日々
着るものに頓着しなくなって久しい。
特別なシチュエーションを除いては、ファストファッションや何なら作業服で十分事足りると思っていた。
最近の作業服はバカにしたもんじゃない。ストレッチが効いていて動きやすいのはもちろん、それなりにオシャレですらある。
スニーカーも長いこと買ってなかった。クロックスと安全靴とスーツ着用時の革靴、それに趣味の山歩きで履くトレランシューズで完結できた。
そんなぼくが再びジーンズを穿き、アディダスのスニーカーを買うことになった顛末を書きたいと思う。
かつてのバンド仲間たち
それははるか昔の高校時代のこと。
学園祭でバンド演奏するのがイケてる野郎たち(笑)のステータスだった。
作曲できるわけでもなく、当然コピーバンドではあったけれども、それなりの人気を博した。それでも、卒業とともになんとなく疎遠になってしまった。
大学生のころは同窓会のようなものも催されてたまにあうこともあったけれど、社会人になるとそれもなくなった。
メンバーの一人が長い海外赴任から帰国後、退職したところで再び交流がはじまる。
クルマ買ったからどっか行こうと誘ってくれたのは元ギター担当。鳥取西部から島根あたりをまわって尾道へ行く計画を立てた。
そんなころ、Instagramで元ヴォーカル担当と連絡が取れた。
美大をでてから東京でパタンナーをやってると聞いていた彼は、関西に戻ってきたあと紆余曲折を経て倉敷市児島でデニムの勉強をしているのだという。
帰り道ではあるし、会いに行くのもいいなということになり、急遽一泊することにした。旅行支援様々である。
二十年以上ぶりにあった彼は、じつに昔のままだった。
昔の彼は時間にルーズだったので覚悟していたのだけれど、時間ぴったりにやってきたのには驚いた。
そう。彼も社会で揉まれて変わったのだ。ぼくが変わったのと同じように。
この歳になると、昔話は尽きない。懐かしいことや忘れていたこと。恋の話にや友人の話…まさにバラ色の日々の思い出。とても楽しい時間だった。
デザイナーズインキュベーション
児島の産業振興センターにはDIという制度があるのだという。直訳するとデザイナーのタマゴを孵(かえ)すということになるのか。
期間限定ではあるものの、事務所と作業スペース、高価で特殊なミシン等を格安で使えるのだ。
詳しくは児島産業振興センターのウェブページで確認されたい。
彼はデザイナー・パタンナーとしてのキャリアがあったけれども、製造ができたわけではないようだった。
それでも魅力的な製品をオーダーで作っていた。
冒頭で書いた通り着るものは何でもよかったぼくではあったけれども、応援の意味もあって注文することにした。
そうなってくると興味が出てくるもので
色々と調べたりするわけです。
彼が作るのは、ヴィンテージレプリカということになるようだった。いわゆる大戦モデルというデニムパンツ。
勉強するほどに奥が深いのである。カメラも沼と言われるけれど、こちらもなかなか…
生地、シルエット、縫製、リベット、タブ、ベルトループ、ボタン、ステッチ等々こだわるとキリがない。でも興味深いセカイ。
そして届くステンシルで描かれたオシャンティな箱。捨てずに取っておこう。
荒々しい縫製は職人不足の大戦モデル時代を考えて、ということなのかな。ヴァージンスレッドはあえて残してあるという。そのまま着るもよし、切るもよし。
生地は15ozのセルビッチ(セルビッジ?)。一つ折りで赤い耳を見せて着るのがいい。
これね、すごく穿き心地が良い。太めのシルエットで膝辺りからストレートになってる。
ちなみに、ウエストとシルエットはいくつかから選べるみたい。ぼくみたいなおじさんには真ん中ぐらいの4が良いみたい。
さっそく穿いて、まずはベルトとスニーカーを買いに行った(笑)
学生のころ、欲しかったAdidasのスニーカー。
今となってはローテクだけど、それがいい。NIKEも欲しい。大人になってよかった。なんでも買える(笑)
ところが意外と田舎じゃ売ってないのね。
いちがばちかで公式ウェブから買うのもアリかな。
その後…
4/29と30日に児島繊維祭というイベントが行われたので再び行ってきました。
楽しかった(小並感)
ペインターパンツを注文してきましたよ…
宣伝は今のところしないとのことでしたので、興味のある方は自力でさがしてください^^;
インスタのNaturals craftwork で作業の進捗をアップしています。自分のパンツが出来ていくのは不思議な感覚だったなぁ…
以上、アメカジファッションに再び興味を抱いてしまったおじさんのおはなしでした
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