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「数学は暗記」説が欲しかった
ルードヴィッヒ・グッドマン博士の名言
「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」
に感銘を受けて、
「できないことを数えるな、できることを生かせ」
と思って生きてきた。
と、言ってみたかった。
私は正反対。
できることや得意なことをそこそこにして、できないことや苦手なことを、人並みにしたくて…という歩みをしてきた。
数学がめちゃ苦手だった。
中学の時なんか、数学一つで、平均点を5点くらい下げた。
数学の点がまともに取れていたら、学年1番だったかも。420人中。
ハンデを背負ったまま、クラス3番以下にはならなかったのだから、
よく頑張ったというか、周囲がさぼっていたというか…。
高校の時はもっと大変だった。数学を60点取るために、ほかの教科も60点程度に抑えなければならなかった。
その後ずっとたって、ある方の考え方に出会った。著書もあったはず。
「数学は暗記だ」という考え方である。早く出会いたかった。
ようするに、理論と解き方を知ったあとは、問題を数多くこなし、その解き方をひたすら覚えて、試験のとき、その解き方をデータファイル(脳みそ)を検索して出力するのだ、のような考え方だったと思う。それをひらめきと呼ぶのだと。
数学が得意な人に話すと、ほとんどの人が、違うよ~と抵抗を示すが、唯一、私の夫が「その通り」と言った。国立大学の理系出身の人である。
人生、失敗したな~と思った。数学ほど暗記の簡単な教科はなかったから。ようするに、私はおのづと暗記で試験をこなしていたのだ。その技術をもっずっと推し進め、大学受験に挑めばよかった。そして受験が済んだら、数学は用無し、ポイッすればよかったのだ。
しかし、高校時代、数学の勉強は本当によくやっていたな~、しっかり無駄だったな~と、つくづく感じるできごとがあった。
短大を出て会社に入り、2~3年目のころ、あるクイズを出された。
これは高校の数学だよ、と。
4.1=24 ってどういうこと?
マッチ棒を4本使う。1本だけ、薬の玉と棒に分けて使う。
それを、4.1 という数の形に置く。そのパーツを一つだけ、ほかの場所に移動すると、24になるがなぜ? というものだ。わかるかなあ? ある式というか、法則というか、記号というか、たった一つだけ思い出せばすっと解ける。
ほかの人が軒並み苦労するところ、私は約15分くらいで、高校の数学を思い出して解いた。
これが解ける人、そのときも後にも、あまり出会っていない。
これが解けて、何の役に立つのか…アソビのネタにしかならない。
私は高校のとき、そんなタイプの勉強をしていたのだ!
それより、得意だった学科や、得意だったことを伸ばすこと、そちらに専念した方が良かったなあとつくづく思った。
実は、数学に限らず、苦手なことやできないことを、マイナスからゼロに持って行くことが人生のほとんどの時間を埋め尽くしてきたカンがある。
人生の後半にさしかかり、さすがに苦手なことは、もう放り出してもいいかなあなどと思うこのごろなのであ~る。