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息子のちょっとした逆転物語

 息子、今年25歳、カタい仕事に就いている。このお方、ややツラい人生を歩んできた。よくぞまっすぐ育ってくれた。そんなお話。

 小学校までは、まあまあ順調だったが、中学でたった一度ミスをした。何かの理由で泣いてわめいたらしい。
 そのことがきっかけで始まった。イジメである。
仲間外れ、すれ違いざまの雑言、荷物を蹴る、集団暴力は女子が先生を呼びに行ってくれて終わったと聞いたが、かなり辛い状況だったと思う。
 ある時、彼は私に言った。
「絶対先生には言わないで。もっとヒドくなるから」
学校側に憤りを感じながら言った。
「わかった。でも、本当に辛くなったら言いなさい。校長でも教育委員会でも乗り込んでやるから。転校でもさせる」
 彼は3年間乗り切った。
 
 でも、成績は伸びるはずもなく、見たこともないオール3。
これは非常に困ること。高校入試にとても不利なのだ。
 当時、都立高校入試は内申点が3割を占め、滑り止めの私立は、優先的に入れる権利が取れない。仕方がないので、遠く埼玉県に滑り止めを求めた。
 中学のメンバーのいない、ちょっと離れた地域の私立を第一志望に置いたが、落ちてしまい、近隣の都立高校に入った。入試では当日点でカバーした。

 高校では、中学のときのうわさがうわさを呼び、またもや不愉快な毎日になった。たとえば、グループに入れないとか、ゲームをクラス中でやると、いつも最初に集団で殺されたとか…。
 学校自体もクラス自体も、楽しい話題にみちていた、評判の良い学校なので、楽しませてやりたかった。残念に思う。

 結局、何も勉強しなかった。いつも暗い顔をして、黙って座っていたという。ある日、学校から親が呼ばれた。物理の単位が取れないかもしれないと。夫が週末に物理を教えた。たまたま仕事で使っていたからと。そうしたら次の試験で、50点ほど点数を上げて、単位を取ってしまった。
「やらなかったから、できなかった」の典型である。

 大学入試は全滅。彼は、GMARCHくらいなら、どこか入れるだろうと思っていたそうだ。勉強をしないで合格できるわけがないのに。

 浪人。
 予備校に入った。これがとても良かった。ここで初めて友達ができた。今でも、つかず離れずの付き合いがある。
 だが息子は、勉強についていけなかった。必死にやっていたようだが、基礎の欠落がひびいた。ここでやっと、自分の甘さを認識したらしい。それなりに頑張ってはいたが、入試では偏差値40にも満たない大学一つだけの合格となった。
 私も正直悲しくて、入学金を振り込むとき、泣きそうになったことを覚えている。

 息子は、今度は「仮面」になった。
最近の学生に多いのだが、大学に行きながら、違う大学の入試を受ける学生のことを言う。
 翌年、国立大学をねらい、センター試験ではA判定を取った。でも、ここでまた彼は油断して、二次で落ちた。
 今の大学で頑張るしかなくなった。

 この後、今までとは別の意味で、辛い日々が待っていた。大学は本当にものごとを知らない学生が多いらしく、話が合わなかったのだ。出雲大社を知らないとか、オーストラリアの首都を何十人も答えられなかったとなどと聞かされたら、笑うしかなかった。

 特に困ったのが就職だ。
 この大学は、名前を聞いたことのある企業に就職した実績がとても少なく、どんな就職先があるのか、それがどんな会社なのか、調べなければならないが、情報はあまりなかった。
 息子には、就職部に通うように伝えた。学生は就活で苦労しているはず、そんな学生を支えなければならない就職部は優秀だろうと思ったので。
 実際、いろいろと面倒をみてくれたと思う。

 息子はこのとき、どうにかしようともがいていた。やがて公務員試験を受けると言い出した。大学が外部の専門学校を呼び、無料のゼミをしてくれると言う。選抜10人か。
 息子はこれに挑戦し、見事に……落ちた。夜中にメールを読み、寝室に飛び込んできて泣いていた。
 しかたがないので、有料で公務員専門学校に入った。この時点で3年生。
 就活がスタートしていたが、インターンシップすらハネられると言う。
4年生になり、コロナで就活スケジュールはめちゃくちゃになった。公務員試験も時期が数か月もずれこんだ。
 何十社も落とされた。一つも内定が取れなかった。理系なので、筆記試験から入る。試験は通るのだが、履歴書を提出すると、お祝いメールが来るの
だ。
 
 (実は、知人関係で、有名会社の人事課長がいる。その人が、息子の大学より上ランクの大学に対して「うちのレベルではない」と言い切った。学歴フィルターは厳然として存在する)

   一般企業へ向けた就活とともに、公務員試験も受けた。都は途中で落とされた。残るは国家公務員である。
 国家といっても、キャリアと呼ばれる総合職ではなく、国般と呼ばれる一般職である。しかも、その試験は細分化され、彼が受けたのは、技術職の物理というくくりだった。
(単位を落としそうになったくせに、大学では物理学科に進学していた)
 都で300人超くらいしか受けない。合格率はその年によるが、50%くらいはあるか?
 筆記試験を突破し、人事院面接を突破した時点で合格となる。その後、募集している省庁に面接を申し込み、そこで内定となれば、晴れて国家公務員になれるのだ。
 しかも面接申し込みの権利は3年間保持できる。合格してから、大学院に進んだり、NPO・NGOで仕事をしたり、中には長旅に出る人もいるそうだ。
 そのような受け方があるとは、全然知らなかった。
 しかし、そんなオイシイ話じゃ、息子は無理だろうというのが親の予測。
アルバイトをしながら、来年も受けるか?  などと話していた。

 合格!

   それが129人中、128番でブービー合格。息子らしいオチがついて。

    しかも、前々から、彼が入りたいと希望していた所に面接を申し込み、オンライン面接の5分後には内定の電話がかかってきたとか。
私は外出先で、喜びの電話を聞いた。

 なんと彼は、かねてからの第一志望を勝ち取った!

   その省庁名を他人に話すと「すごいですね」と言ってもらえる。
確かに私もそんなイメージがあった。でも実際は、入れる可能性のあるルートがあった。
   しっかり調べて、それをさがし出した息子に喝采だ。

  息子は言った。
「落ちた国立大学に入っても、ここを志望したと思うよ」
過去の失敗がリセットされた瞬間であった。

 大学側は、息子の内定の話を知り、発行している就職の小冊子に、息子の写真付きインタビュー記事をのせた。大学初の内定だったから。

 親はホントにバカで、その記事を周囲に見せまくったのであ~る。

(公務員試験の受け方は、息子の場合、ちょっとイレギュラーです)
 

 
 
 

 

 
 


 
 

 

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