千葉駅の駅員さん、父がお世話になりました!
亡き父から聞いた話である。
時は昭和、サラリーマンが毎晩のように、飲み歩いていた頃のこと。
東京都心勤務だった父も、ご多分に漏れず、しょっちゅうヨッパライになって帰宅した。
寿司や菓子折りを持って帰ったかというと、知りませ~ん。
ヨッパライって不思議だ。
実家は、片側が崖のようになった、ケモノ道のような狭い道を通って帰ってくるのだが、一度のころがり落ちたことがなかったそうだ。
また、どんなに酔っぱらっても、記憶をなくすことはまずなかったと言っていた。
ある日のこと。
その日もさんざん飲んで、電車で帰宅の途についた。総武線。
実家は途中で降りて、乗り換えなければならないのだが、電車で寝てしまった父、結局、終点の千葉駅まで行ってしまった。
しかも終電である。
駅員さんに起こされた父であったが、乗り越し料金を支払ったら、もう持ち合わせのお金がなかった。コンビニなどない時代。タクシーもなかったか?
駅員さんは、とても親切な方で、自腹を切って、駅近くのビジネスホテルに泊まらせてくれた。
父は感謝しながら泊まり、翌朝、ホテルから出勤した。
ところが、なんと、その夜も父は飲んだ。そしてまた、終電で乗り越して千葉まで行ってしまった。
そしてあろうことか、またまた前日お世話になった駅員さんに起こされ、
またまたまたホテルに連れて行ってもらったのであった。
駅員さんは、
「また、あなたですか~」
父、さすがに恥ずかしかったとか。
そりゃ、そうだ。
その翌日、父は、身なりを整え、借りたお金とお礼の品を持って、
千葉駅を訪問したのであった。
ヨッパライの武勇伝は時折耳に入るが、実は、灯台下暗しであったことは、ずっと後になってから知ったのであ~る。