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35年前の旅③西ドイツで何があったか

 ロマンチック街道は美しい世界。バス旅は快適。見るもの全てが美しい。
 超有名なノイシュバンシュタイン城は欠かせない。さらにリンダーホーフ城も。ずっと前から憧れていた世界にようやくたどり着いて、感激だった。
 
 だが……。

 この二つ、さすがルードヴィッヒⅡと言いたくなるようなしろものであった。ようするに半端なく金ぴかでひたすらめちゃくちゃに絢爛豪華なのだ。平らなところがないかのような彫刻、壁に隙間がないかのように飾られた絵画、きれいと感動するのを通り越すと、こんなのどうやって掃除するのかななど、あきれてしまった、とノートに書いてあった。
 それはそれでおもしろかったのだけど、あらためて日本って洗練されてるな~などということが意識されたような気がする。

 後にわかるのだが、オーストリアのウイーンの城のセンスに比べて、ドイツはあらあら(笑)。

リンダーホーフ城の庭園。これは噴水なんだけど……
こうなる! 50mドバーッ!! (笑) 

 翌日はネルトリンゲン。ちっちゃなちっちゃな町。ガストホーフという、下が居酒屋、上がホテルになっているところに宿泊した。
 さあいよいよ、初シュニッツェルを食べるぞ、とレストランで注文したら、飲んだくれていたおっちゃんが、デカい声で「日本人はいつもシュニッツェルだ」とかなんとか言っておった。頭痛があったので黙っていたが、ホントはおっちゃん軍に参戦して騒ぎたかったのだ。

 シュニッツェルとは、とんかつのようなもので、現地の名物である。

ネルトリンゲンの旧市街。観光用に保存が行き届いていた。

 翌日はまたバス移動。そのバスで日本人の18歳女子と会った。二人旅だったのだが、友達がパリでパスポートを盗まれて即帰国になったそうだ。パスポートは命をかけて守れ、と知人のツアコンに言われたのに…と言っていた。私たちも引き締めが必要な時期だと思った。

 さてローテンブルグである。
当時、有名だったのは、中世の夜警の恰好をした人が、観光客を案内してくれるツアーがあること。ことばはドイツ語と英語だったかな。
 そこで、みっともない日本人たちに会った。
ぺちゃくちゃおしゃべり、笑い声、「ドイツ語なんかわかんねぇ」と叫ぶヨッパライまでいる一行。他国の観光客たちが振り返っていた。
「るせ~よ」と叫びたかったが、若かった私、出なかった。今なら言う。言い返してくるだろうから、引っ張ってその場を離れるぞよ。
 結局なんだかうんざりして、最後までついて行かず、とぼとぼホテルに帰ってしまった。

 現在、観光に命をつなごうとする、ちょっと情けない国力になってしまった日本に、迷惑な外国人ツアー客が来たりするよね。あちらで汚した~の、
こちらで騒いだ~の、って、日本人は文句を言うよね。
 若い方々よ、聞いて。
35年前の日本人ツアーだって、相当迷惑だったんだからね!
ロマンチック街道の複数の教会に「日本人お断り」という表示が掲げてあったんだから。

 外国人にはマナーを教えてあげれば、やがて今の日本くらいにはなる。
黙って見ていて軽蔑するんじゃなくて、小学生低学年の子に使うような日本語、しかも「ですます調の短い文」にすり替えて注意をしてあげてほしい。
 たとえば電車の乗り降りで「降者優先ですよ」と言わず「ほかの人が降ります。待ちましょう」と言うとかね。
(それを「やさしい日本語」と呼ぶ。意味は「易しい」+「優しい」)
 日本に来ている外国人で、初歩の日本語が通じる人は案外多い。しかも意外と知られていないことだが、英語より通じる確率は高い。まずは上に書いた「やさしい日本語」で話しかけてみてほしい。

 さて次はカッセル。鉄道移動である。

 ドイツでは主に、西ドイツ国鉄(当時)の長距離を走る特急、都市を走るエス・バーンという列車、トラム、そしてバスで移動した。

 カッセルはとりたてておもしろみのない、ただの都会とノートに書いてある。確かにほとんど覚えていない。
 
 一つだけ、夕食のレストランを探していたとき、同じように探していたカップルと何度か会って、思わず笑い合ったのだが、そのカップルの男性に、ホテルの廊下でバッタリ。
 話を聞くと、中華料理の店に入り、四人分ならできるが、二人分は難しいと言われてあきらめたのだそう。
 なんだ、残念!  と言い合った。
 
 また、コンタクトレンズ洗浄の精製水を買いたくて薬屋へ。またまたドイツ語と単語だけの英語で、あ~だこ~だと。ドイツと日本ではコンタクトレンズの洗浄方法が違うことがわかり、この日からドイツ式になった。
 当時の日本での洗い方は、精製水に錠剤を溶かして、洗う時と保存するときに使っていたのだが、ドイツでは小さな容器に生理食塩水が入っていて、それを使って洗って保存するスタイルだった。
 水への考え方がそもそも違うわけだからね。日本は雑に水を使えるが、ドイツではそうはいかない。

 ちなみにヨーロッパの水道の水は硬水だから、飲めない・体に合わないと言われていたが、私は飲んでも平気だった。

 ブレーメン。
 一人歩きの日。すごく楽しみにしていたという記述がある。
インフォメーションで地図を下さいと言ったら、なんと日本語版登場。今まではどこでもありそうだけどね。それをじっくり眺めてから歩き出す。

 私は一度行った道は、二度と行けない道音痴。しかも地図を見ながら歩くと、旅人だということがモロバレなので、そこは注意深く。カメラもね。今は誰でもどこでもスマホで写真を撮るけど、当時、写真を撮るのは旅人だけだから、カメラはさっと出してさっと撮ってさっとしまってから歩いた。
 
 途中の博物館を出たとき、入館料はいくらか聞かれて、一人2マルクと即答。ドイツ語にもずいぶん慣れたな~と。1年もいたら日常会話はぺらぺらだと思った。
 友人二人がドイツに語学留学したのだが、私も留学してしまえばよかったなと、今はとってもとっても思う。
 聞き取りやすく発音しやすく理詰めで例外の少ないドイツ語、自分に向いていたと思うわ~。
  
 さてブレーメンは雨で、傘を買った。軽くて小さいのと言ったら、傘屋のおばさんが、ざっと10本くらい並べてくれて、その中で、一番安くて軽くて、日本では見られないたたみ方のものを選んだ。今も大切に持っている。20マルク(約1700円)。安すぎてカードは使えないと言われた(笑)。

 その後、一人歩きでやはりすっきりした顔の友人と、夕食でワイン。大きめのグラスに一杯飲みほしたので、すっかり酔っぱらってしまった。後にもおそらく先にも、あんな量のワインは飲めない。

 次はハンブルク。
でかい町。アルスター湖で何やらお祭りのようなイベントでにぎやか。
それは楽しかったし、住みやすそうだと思った。以上。
 都会は旅行向きじゃないよね。

ハンブルグ中央駅に入るエス・バーン

  さて、次は西ベルリンへ行くのであ~る。

 

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