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35年前の旅①オランダで何があったか 

 過去を吐き出してリセットしようとして始めたnote、あれこれ書いてきて、そうだ、セイシュン時代の思い出も書こうと思った。そのとき一番に考えたのがこれである。

   1987年、35年前の昭和62年、友人と34日間だけヨーロッパを歩いた。
外国に憧れ、外国生活に憧れ、でも留学したり目的なく住んだりする勇気もなく、とりあえず旅行だけでも、と出かけた。しかも一人で行く勇気がなく、ちょうどあてもなく会社を辞めた友人を誘った。
 
  「地球の歩き方」を勉強して、あれこれ準備をして、ノートを一冊持って旅日記にした。
 noteに書く際その旅ノートを読み返してみて、こんなことあったんだ、こんなこと考えていたんだと懐かしく、また、不思議な感覚になった。

  写真は当時のもの。これまた懐かしい。
当時はフィルムを空港のX線検査から守るため、金属貼りのケースに入れて持ち歩いた。700枚くらいある。
 当然ディジタルではな~い。

   スマホ(ガラケーも含めて)のない旅なんて、信じられないかもしれないね。
パソコンもなしで過ごした、ゆる~い時代のお話。
 俗世間からしっかり抜け出せて、自分の意識を入れ替えることができた旅だった。

思い出のあれこれ……旅ノートにはさんで保存してあった

 さて、35年前の旅、どうぞ、読んでくださいませ。35年の時差が感じられたり、むしろ普遍性を感じたりしますぞよ。

成田から出発!  

 最初に飛行機の話をちょっと。
 安くて速いという理由で、ソ連のアエロフロートを選択した。当時、ヨーロッパに飛ぶために、ほかの航空会社はソ連上空を使えなかったので、北回り航空路の多くがアラスカのアンカレッジ経由、ようするに大回りをしていたが、アエロフロートはソ連上空が飛べるため何時間か早く着いた。
 イリューシンという機種は、ボロい新幹線かという代物。上昇する時の角度が笑っちゃうような急坂状態、絨毯がズルリとすべった。
 もちろん食事など、あらまあ。軽食にリンゴを一個ポイッと渡されたりして、隣席の脚が長すぎて座席からはみ出していたアフリカ系男子が、片手でナイフ一つで食べきったのに目がまんまるになったっけ。
 途中モスクワに降りたが、空港内をショットガン?を持った兵士が歩いていて、中の見張り所みたいな所でパスポートを見られ、緊張した。何で見るんだ~?  乗り換えだけなのに。

   後にロシアになってから、再度その空港に立ち寄った。その見張り所みたいな所は使われていなくて、覗いてみたら、なんとチャチな道具、機械とも言えないモノが置いてあり、こんなのに怖がっていたのかと苦笑。ようするに冷戦時代、怖かったソ連だったが、国がつぶれるのも当然なくらい、遅れていたわけだ。

 オランダ
 最初はオランダがいいよ、と「地球の歩き方」にあったので選んだ。
観光立国だから歩きやすいのだとか。

オランダ野外博物館 アーネム

 さて、夜にアムステルダムに到着。予約してあったホテルに入る。
このホテル、まあまあのレベルで、お湯などももらえた。そうか、さすがに観光立国だ~などと思った。後日、この意識がトラブルを生むのだが。

 アムスはトラムが便利。ゴッホ美術館など有名箇所を観光して、夜は運河のキャンドル・クルーズへ。そこでフランス人夫妻と出会い、ずっとドイツ語で説明をしてくれた。

 私は初歩のドイツ語会話が可能。今ではかなり忘れたけれど。
英語は中高6年間の候英語しかやっていなかったので聞く・話すはNG。

 アムスの裏通り、ものすご~い数の犬のウ〇チ。ぬって歩かないと。
夜は確実に踏むなあ。さすがに今はないだろうな…かなあ。

  そして鉄路、アーネムへ。ドイツの国境に近い。オランダの国鉄は、早くてきれい。
 インフォメーションでその日の宿泊を確保してから歩く。 インフォメーションでその日の宿泊を予約するのは、当時のヨーロッパ歩きでは常識らしい。というか、翌日の予約をしようとして、明日にしてくれと断られたりした。
 
 この旅行全体を通して、清潔でシャワーが使える安い宿泊をねらっていた。最低で4000円台、最高は15000円くらいだったと思う。男子だったらもっと抑えられたと思うが、そこは女子なので安全も考えた。
   当時の物価は北欧と日本が世界で最も高かったので、どこもおおむね物の値段は安く感じられた。

 ちなみに、当時の海外旅行はトラベラーズチェックと呼ばれる小切手を日本で買って持参し、随時、現金に換金しながら使った。クレジットカードも使えたが、アメリカンエクスプレスかマスターカードがいちばん信用度・汎用性が高かった。日本のカード会社は普及していなかった。

 さてアーネムではペンションに宿泊。
ここのオーナーのおにいさんがどこかイライラしていたのだが、案の定、プチ事件が起こった。

 日本茶が飲みたくて、お湯が欲しいと伝えたら、オーナーがぶちキレた。
英語だったかドイツ語だったか忘れたが、こちらは商売だ、お湯を沸かすのも金がかかるのだ、コーヒーか紅茶を注文してくれ! のようなことを、強い口調で言われた。
 アムスのホテルでお湯をあっさりもらえたので、観光立国オランダではそれは普通のことだと思い込んでしまったのだが、アムスのホテルは星が上だったからだろう。日本で予約できたわけだし。
 言い返せなかったのが悔しかったが、注文したコーヒーはおいしかった。

 プチ事件追加。
 その夜、友人がシャワーを浴びていたら、突然お湯が出なくなった。
今日はお湯にたたられる日だな~、仕方がないのでオーナーのところへ。
お湯がないと言うと、またかという調子で、コーヒーか紅茶かと聞かれたので、腰に手を当て、Deusche(ドゥーシェ=シャワー)と言って睨んでやった。
オーナーはあわてて直してくれた。元々調子が悪い部屋だったんだと思う。

 翌日は、クレラー・ミューラー国立美術館へ。これがまたとっても面白いところ。広い壁中、所狭しと絵画が飾られ、ゴッホの小さな作品なんか埋もれていたりする。庭にも彫刻。日本にもある、庭に彫刻家ある美術館って、ここのマネかもねと思った。

 オランダには5~6日いて、ドイツに向かう前に、郵便局からいらないものや、買ったものなどを家に発送した。飛行機の隙間に入れて送るSALってやつ、今はあるのかしら。3500円くらいかかった。
 郵便局では、職員のお兄さんが人懐こく話しかけてきて、書かれた漢字の住所などを、これが住所か、名前か…などと聞いてきた。代金に細かいお金を引き取ってくれた。当時のオランダの通貨はギルダーである。

 旅行中、何度か家に物を発送した。おみやげや着ない服など。けっこうお金がかかった。

 オランダで最大のミスをした。
なんとユーレイルパスをなくした。ドイツで再発行してもらわなきゃ。
ユーレイルパスとは、ヨーロッパの鉄道を期間限定で自由に乗り降りできるパスで、1か月分7~80000円くらいだったと思う。

 オランダの印象。
きれいだし、人当たりは柔らかだけど、観光立国というところ、ケチと言ったら言い過ぎだが、どこかせせこましいような…日本でもそういう地域、あるよね。
 過去に栄華を誇った地域が、イチバンから陥落して観光に命をつなぐ、なんてことになると、そんな雰囲気になるらしい。人のプライドは高いが、裕福ではないって大変だとは思う。
 日本全体がそうならないといいけどね……。

 さて次はドイツ。
オランダとドイツの違いがありありとわかるのであ~る。 

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