面白い、面白くないを分けるものとは?
こんにちは、ナザレです。
突然、社労士とあまり関係のない笑いの話をしたいと思います。
どうしていきなり笑いの話をしようと思ったかというと、私の子供たちのやりとりを見ていて、「なるほど!」と感じたことがあったからです。
最近はお笑いのテレビ番組を見ることは少なくなったのですが、昔はよく見ていました。
ダウンタウンやウッチャンナンチャンの番組は大好きでした。
彼らはとても面白いことを言い、面白い動きをします。
面白いことは確実なので、見ていて安心感すらあります。
そこで思ったのは、「面白いことを言う」から面白いのか、それとも「面白いことがわかっている人が言う」から面白いのかどうなのかということです。
売れっ子のお笑い芸人が面白いことはもうわかっています。
彼が言うから面白いのであって、別の人が同じギャグを言っても面白くないとか、そういうことはありそうな話です。
無名な新人が初舞台で客の笑いを誘うということもあるとは思います。
この場合は、その人の面白さや面白い漫才が作用した結果だと思います。
しかし、その後に口コミで「こいつは面白い!」ということが広まると、「あいつは面白いんだ!」という安心感から、さほど面白くなくても笑えてくるということもあり得るのではないでしょうか。
「こいつのギャグは笑ってもいい」という安心感が作用している可能性は大いにあると感じます。
子供同士の会話にも同じことが言えるかもしれません。
例えば、私の8歳の娘が、1歳の息子に対して何かを言って、息子が大笑いするという場面がよくあります。
たいしたことは言ってないと思います。
というか、むしろ勢いというか、顔芸みたいな感じになっています。
特に面白いとは思えないのですが、息子は爆笑しています。
何を言っているのか、何が面白いのか、きっと赤ちゃんには理解できていないはずなのですが、なんか笑っているのです。
いったい、なぜなのでしょうか?
もしかしたら、面白い雰囲気みたいなものが伝わっているから笑えるのかもしれません。
娘から「面白いぞオーラ」のようなものが出ていて、それを感じているのではないかと思うのです。
なんというか、上手く言葉にできませんね。
というか、言葉にすると、逆に陳腐に感じます。
昔から、「場を温める」という言葉があります。
最近では、「アイスブレイク」なんて言ったりもしますね。
アイスブレイクとは、「氷を砕く」という意味です。
その名のとおり、氷のように固まった場をあたため、リラックスした雰囲気を作り出す働きがあります。
観客が笑いやすい状況、安心して笑える状況を作る。
これから面白いことをやるぞ、という想いを伝えて、観客に「あ、これから面白いことが始まるんだ」と認識してもらう。
これが「場を温める」ということなのだと思います。
子供たちが笑い合っているのを見ていると、笑いの空間づくりができているのだと感じます。
言葉自体が面白いのではなく、人を含めた空間丸ごとで笑いを体現する、それが面白さなのかもしれません。
なので、場を温めるということはとても重要なことであり、馬鹿にしてはいけないのだと思いました。