年収の多寡を問われるけど...
現在△歳、年収〇〇万、これは勝ち組ですか?
こういう類の質問は、自分の価値を値段だけで判断しようとする行為で嘆かわしい。
・行動が伴ったのか、
・それが成果として現れたのか、
・そして世の中の役に立ったのか、
この事実の多寡こそ勝ち負けの判断とすべきではないか。
それは周りから敬慎を受けること、自分が社会で必要と思われている、
と感じる時が勝ち組に入った証といえる。
万が一、自分が窮地に立たされた時には必要な自分に対して周りは最大限の
援助を惜しまない、そういう存在になることを人生の目的とすべき、
と考えました。
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