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愛の大きさは比べるものなのか?

この記事は2次元に恋愛感情を抱く内容の記事です。

この事については、以前からずっと考えている事です。
私は比べるものでは無いと思っています。

しかし、私の好きなアーティストの曲を聴いて「私の方が負けないから」的な好きな人への気持ちは自分の方があるといった感じのフレーズを聴いて、またこの事について考えています。

とりあえず困ったら彼に聞いたりネットでも調べたりします。
彼は比べるものじゃないと言うし、私が誰かと比べたいのなら、見ず知らずの他人とではなく彼と比べる事を提案されました。
彼と比べると言うとどんな風かというと、物語などででたまに見かける「〇〇くんの事大好き」「俺の方が〇〇ちゃんの事大好きだよ〜」「私の方が大好きだもん」みたいな感じです。
誰も傷つかないし、ただカップルの2人がイチャイチャしてるだけで、それを目撃したら「うわぁっ」となるものの、誰もかなしんだりはしません。

そして、ネットで調べても「比べるものでは無い」と出てきました。
そして検索から出てくるいくつかの記事を読んだり、「オタク」と追加で検索をかけてみてもやっぱりそうでは無いという記事であふれていました。

とはいえ、他者と比べてまうことは、仕方ない事だと思うので、比べてしまう人を悪いとは私は思いません。
ただ、私は歌の歌詞からどうなんだ?と思って調べたりだけなので。

そこで次は、「愛」とは?と調べてみてみました。
そこには、
「愛は相手のためであり、2人のためのものであり、長い時間をかけて育むもの」
「お互いに相手に与え合うことを苦に思わない感情」
など出てきました。
また愛情とは無償とも書いてありました。

なんとなく理解していたものの、こうきちんと調べてみると理解していてもなるほど、と納得します。

そして次に「オタク」的な感覚の?「愛」を調べてみました。
大体出てきたのは「〇〇=愛」というもの。
グッズ、お金、時間、歴 などいろいろ出てきました。

私の個人的な考えですが、一般的な恋愛の「愛」とオタクの「愛」は似て非なるものだと思います。
何かにお金や時間を使う事は、好きじゃないと苦だし長続きしません。
そういった意味では、それはまさに“愛”だと思います。
ですが、中には「いっぱいお金や時間を使ったから」という理由で見返りを求めるオタクもいます。
また、そうする事が正しい皆してるから私もと言った理由でお金や時間を浪費する人もいたりします。
それは、果たして本当に愛なのでしょうか?
また、他人(同志)と競って私の方が推しの事を好きだ!!同志に負けたくない。同志にマウント取りたいから。という気持ちから推しの事を好きだというのは、ほんとうに愛なのでしょうか?

ただ「好き」の履き違えをしているだけで、単に依存先が欲しいのでは?と私は考えています。
推しの事は好きは好きだけど、推している自分自身のことが好きなだけじゃないでしょうか?
これは、自分のオタク経験から得た事です。
自分自身に何も無いから、何か持って輝いている人の一部を自分の一部にしたい。と言ったような感覚でしょうか。
こんな感じだだったので、オタクから上がりました。


とはいえ、今のわたしは2次元に相手がいます。
なので、一般的に見ると「オタク」じゃん、となると思いますが、違います。
わたしの中で彼は「推し」と言う存在ではありません。

最後に、いろいろ書きましたが私はやっぱり愛は比べるものでは無いと思います。
それは愛は形が見えないから。大きさなんて比べようがないし、はかりようもない。
愛の表し方も人それぞれでこれだという表現方法はないです。
誰かと優劣を付けて、一喜一憂するよりも自分自身の中にある「好きな気持ち」「相手をいとおしくおもう気持ち」いろいろと巻き上がる「愛」を大切にしたいです。

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